ジェリー・ウェスト

NBAロゴになったことに「光栄だが恥ずかしい」

NBAレジェンドのジェリー・ウェストが現地6月11日に86歳で世を去った。2017年から彼がアドバイザーを務めていたクリッパーズは、訃報を発表するとともにウェストを「バスケの素晴らしさを体現し、彼を知るすべての人の友人だった」と評している。

ウェストバージニア大でNCAAトーナメント優勝を逃したにもかかわらずMVPを受賞し、1960年にはローマオリンピックに出場してアメリカ代表に金メダルをもたらした彼は、同年のNBAドラフトでレイカーズに指名される。クラッチタイムの勝負強さから『ミスター・クラッチ』の異名を取った。1969年にはNBAファイナルに敗れながらもファイナルMVPを受賞。1972年、ついにNBA優勝を成し遂げ、その2年後に現役を引退した。

その活躍は引退後も続く。GMとしてレイカーズに黄金時代を築き、1996年にはシャキール・オニールをフリーエージェントで獲得するとともにコービー・ブライアントをドラフトで指名し、マジック・ジョンソン引退後のレイカーズに新たな黄金期をもたらしている。

2011年にはウォリアーズの役員に就任。モンタ・エリス放出でステフィン・カリー中心のチームを方向付け、クレイ・トンプソンの指名を勧め、ケビン・デュラントの獲得を主導することで『王朝』と呼ばれたチームの全盛期を築いた。2017年にはクリッパーズのアドバイザーに就任。『ロブ・シティ』解体とともにカワイ・レナードとポール・ジョージを獲得してチームを一変させている。

ウェストはバスケ界で様々な成功を収めてきたが、彼について最も語られるエピソードは『NBAロゴの人物』だろう。青と赤の背景に、白抜きでドリブルする選手の姿。そのモデルとなったのがウェストだ。ただ、NBAは公式にこれをウェストとは認めていない。1968年にMLBのロゴを作ったブランドコンサルタントのアラン・シーゲルは、その翌年にNBAでも同じ仕事を任されると、集めた資料の中からウェストのドリブルする写真にインスピレーションを受けてロゴをデザインした。シーゲルは2010年になってようやくそれを明かしたが、リーグは今もなお公式にはそれがウェストだと認めていない。2021年、NBAコミッショナーのアダム・シルバーが「公式に発表されたことはないが、確かにジェリー・ウェストに似ている」とコメントしただけだ。

もっとも、ウェスト自身がそれに憤慨したり、抗議することはなかった。彼はむしろ自分の姿がリーグのロゴになっていることを「それが私だとしたら光栄だし、それが私なのは分かっている。でも恥ずかしいんだ。私は目立ちたくない。変えられるものなら変えてほしい」と語っている。

「私はずっと人々から『彼は思いやりのある善い人だった』と思われたいと考えてきた。それだけなんだ。それ以上は望まない」。それは彼が何度も繰り返してきた本音だ。

NBAのロゴデザインはリーグの歴史とブランドの象徴であり、ウェストが『光栄だが恥ずかしい』と感じていたとしても、変更されることはないだろう。コービーが不慮の事故で亡くなった時、彼をモデルとしたロゴへのリニューアルを提言する声が上がったが、それも立ち消えになった。

「変えられるものなら変えてほしい」という彼の願いは叶わない。だが、「私はずっと人々から『彼は思いやりのある善い人だった』と思われたいと考えてきた」という願いは叶えられている。彼が最後まで仕事をしたクリッパーズでは、前オーナーがハラスメントでリーグから追放され、スティーブ・バルマーが新たなオーナーになったタイミングでウェストを雇い入れた。NBAを熟知するコンサルタントとしての彼にバルマーが求めたのは、優勝できるチームを作るより先に、人々に愛され、信用されるチームを作ることだった。

クリッパーズは万年下位で、前オーナーの統治下ではそこで働くスタッフや選手たちが虐げられてきた。新生クリッパーズはその悪癖を払拭することを目標とし、「選手たちがレイカーズよりもクリッパーズでプレーしたいと望むようなチーム」を目指して始動した。クリッパーズはいまだ優勝に手が届かないが、『愛され、信用されるチーム』への変貌を遂げた。それがウェストの手腕によるものであることを、人々は知っている。彼を知る人はみなこう言うはずだ。「彼は思いやりのある善い人だった」