森田空翔

福岡大濠との決勝では5リバウンド5スティール3ブロックと守備の要として君臨

福岡第一はウインターカップ2023で4年ぶりの優勝を果たした。チームの中心といえば大会ベスト5に選出された崎濱秀斗と山口瑛司のガードコンビ、フォワードの世戸陸翔の3名が挙げられる。だが、福岡第一の根幹である豊富な運動量を生かした鉄壁ディフェンスを誰よりもコート上で表現した選手は、上記の3名と同じ3年生の森田空翔だった。準決勝の藤枝明誠戦では赤間賢人、決勝の福岡大学附属大濠戦では髙田将吾と、それぞれ相手の得点源を密着マークで苦しめ、準決勝では94-65、決勝では63-53と相手をロースコアに抑えて勝利する原動力となった。特に決勝では14得点5リバウンド5スティール3ブロックの大暴れだった。

178cmの森田は、189cmの赤間、190cmの髙田と対峙すると高さで大きな不利が生まれる。だが、平面で激しいプレッシャーをかけ続けることで、このマイナス面を感じさせなかった。また、決勝では、自身より10cm以上も高い髙田のジャンプシュートをドンピシャのタイミングでブロックし会場を沸かせた。

「オフェンスは周りが点数を取ってくれます。僕は相手のエースに点数を取られないことを意識してディフェンスを頑張りました。やっぱりエースはみんなから注目されています。だからこそ、自分が止めればチームは勝てる。絶対に負けるかという思いで頑張りました」

このようにエースストッパーの仕事について語る森田だが、「元々はディフェンスが苦手で、(井手口孝)先生にもずっとディフェンスのことで怒られていました」と、守備についての自信はなかったという。だからこそ、与えられた役割に当初は「なんで俺なんだろう?」という疑問が心の中にあった。だが、チームのためにという気持ちが、その思いを払拭させた。そして仲間の存在が、持ち味の激しいディフェンスを生み出した。

「みんなはオフェンスでの負担があったりします。少しでもみんなを楽にさせるためには、自分が(相手エースのマークを)やらなければいけない、と自覚がどんどん増していきました。また、自分がダメな時には小野(結大)や(児玉)ジュニアが控えにいて、その安心感があることで最初から強く行くことができました」

準決勝、決勝と見事なディフェンスを見せた森田だが、終盤の猛攻による逆転勝利で74-71と競り勝った準々決勝の東山戦では、相手のエースである瀬川琉久に32得点を許した。チームが劇的勝利で沸く中、勝ったうれしさと同時に自分の仕事を遂行できなかった悔しさもあった。だが、周囲の励ましで気持ちをしっかりと切り替えられたと感謝する。

「東山戦の時はまだ、少しビビってしまったところがありました、でも、アシスタントコーチの原田(裕作)先生が『お前はグッドディフェンスをしているんだから、もっと続けろ』と言ってくれました。そのおかげもあって(準決勝の)藤枝明誠戦では自分の仕事ができたかなと思います」

森田空翔

「先生を信じて3年間頑張ってきて良かったと思います」

ウインターカップでは不動の先発として活躍した森田は、一般入部から学年を重ねるごとに存在感を高めていった叩き上げだ。元々、部員が多い福岡第一だが2018年、19年と河村勇輝を中心にウインターカップ連覇を達成し、多くの中学生プレーヤーを魅了したことで、さらに入部希望者が増加した。その結果、森田の代は1学年40名超えとかつてない大所帯となった。ある程度、部員が多いことは覚悟していた森田にとっても、この人数は想定外の多さであり、周囲の雰囲気に圧倒されたと振り返る。

「初めてみんなの顔を見た時、絶対うまいやん、顔がうまいやんみたいな(笑)。入る高校を間違えたと思いました。試合に出られなくても、とりあえず3年間やりきろうという感じでした」

このように自分が主力になれると想像していなかった森田だが、チーム内での序列を着実に高めていった。「1年生の時は試合に出られるとは全く思っていなかったです。2年生から徐々にAチームに入り、試合の最後の方で出してもらったりしていました。それで去年のウインターカップはベンチメンバーに入れてもらいましたが、最後に決勝で負けて本当に悔しい思いをしました。今年は絶対に、最後は笑って終わりたいという思いでした」

そして迎えた最終学年、主力の一角として飛躍が期待されたが、インターハイの前日練習でルーズボールを追った際に左手を骨折し、2カ月間に渡って練習ができなかった。さらに復帰直後にも「11月3日、(ウインターカップ予選で)大濠さんとやった時に逆の指をケガしてしまいました。それで2、3週間バスケができなくなりチームに迷惑をかけてしまいました」と故障に苦しめられていた。

まさに逆境続きの森田だったが、それでも自分のできること、やるべきことを地道に積み重ねてきた成果を、高校最後の大会で存分に発揮した。「多分、自分が一番、3年間で井手口先生に怒られました。『なんだよ……』みたいに思ってしまったこともありましたけど、先生を信じて3年間頑張ってきて良かったと思います」

森田はこのように濃密な3年間を振り返った。森田本人は否定するかもしれないが、40人以上の大所帯で最も怒られたというのは、それだけ普段から目をかけられていたということだろう。そして、森田はウインターカップの大舞台で井手口コーチの期待にこれ以上ない形で応えた。