「試合終了まで、すべての瞬間を僕は生きてきた。それがやっと終わった」
一つのチームで20年以上のキャリアを過ごす選手として、コービー・ブライアント(レイカーズで20年)とダーク・ノビツキー(マーベリックスで21年)に続いて3人目となったのがユドニス・ハズレムだ。地元出身選手が故郷のクラブで20年プレーし続けるのは初めてのケースとなる。
ハズレムは昨夏に20年目のキャリア続行を決断すると同時に、今シーズン限りでの引退も発表していた。
2003年にドラフト外でヒートに加入した彼は、ヒートの3度の優勝すべてに貢献した。2010年11月に足の甲にあるリスフラン靭帯を断裂し、そのシーズンを全休している。このケガを機に運動能力が落ちたことは、ペイントエリアで身体を張って相手と戦うスタイルの彼には大きな痛手となったが、不屈の闘志てケガを乗り越え、2012年と2013年の優勝に貢献。当時は『スリー・キングス』と呼ばれたドウェイン・ウェイド、レブロン・ジェームズ、クリス・ボッシュからも一目置かれる存在だった。
『スリー・キングス』の時代が終わると、年齢的な衰えもあって最前線で戦うのではなく、ベンチで若い選手たちを支え、ヒートカルチャーを伝える役割へと移行していった。激しく泥臭く戦い、どんな苦境にあってもあきらめない。そんなカルチャーが根付いているからこそ、選手が入れ替わってもヒートは常に強いチームでいられるし、今シーズンのように第8シードからアップセットの連続で激戦の東カンファレンスを制することができる。
NBAファイナルではナゲッツに1勝4敗で敗れ、ヒートのシーズンが終わるとともにハズレムの現役生活も終わることになった。「優勝したかったな」と彼は言う。「だけど、僕はチームを誇りに思う。不満はない、後悔もない。本当に充実していたよ。みんなが僕に、一生忘れることのない最後のシーズン、素晴らしい思い出を与えてくれた」
「試合終了まで、すべての瞬間を僕は生きてきた。それがやっと終わった。ナゲッツの選手たちを祝福しているうちに、少しずつ感情が沸き上がってきて、ロッカールームでようやく落ち着くと、不満も後悔もないことが分かった。望んだ結末ではなかったけど、すごいシーズンだった。そのことには感謝しかない」
ロッカールームでは、今後のヒートを支えていく選手たちに「今の気持ちを忘れるな」とのメッセージを伝えたそうだ。
ハズレムは言う。「僕は20年間、僕をドラフトで指名しなかった人たちに向けて『今の気持ちを忘れるな』と思い続けて、同じ戦いをやってきた。ここでも別のどこかでも構わないけど、今の気持ちは決して忘れてはいけないと伝えたよ」
これでハズレムはユニフォームを脱ぐが、ヒートの一員であることに変わりはない。役職は決まっていないがフロント入りし、近いうちにヒートのオーナーグループに加わることを彼は望んでいる。休暇が終わって選手たちがトレーニングキャンプに集まった時には、「僕はそこにいないが、近くにいるのは間違いない」とハズレムは言う。
「僕のいる場所がどこになるかは分からないが、近くにいるよ。僕は永遠にこのチームの近くにいる。ここにはたくさんの愛があり、犠牲があり、成功がある。そんな場所は多くは存在しない」
そして、これまでもそうだったように、彼はマイアミとその周辺のコミュニティを助けていく。彼は多くのビジネスを展開しているが、これは困っている地域の人たちを助けるためで、モノやお金を与えても効果は一度きりだが、仕事を与えればその人の暮らしそのものを支えられるとの考えで行っているものだ。NBA選手としての収入をビジネスに投資し、レストランや不動産を手広く展開し、多くの雇用を生み出している。ヒートのフロントに入るとしても、現役引退でこうした活動により力を注ぐことができる。
かつて彼はこう語っている。「僕の時間の99%はヒートのために費やされている。でも、ビジネスにリソースを割くことで、この街に良い影響を与えられる。何も偉い人になりたいわけじゃない。僕は護衛を引き連れて出歩いたりはしない。街で僕を見かけたら気軽に声を掛けてほしい。会話もできるし、一緒に写真を撮ることもできる。僕はマイアミの住人の一人なんだ」
ハズレムはユニフォームを脱ぎ、遠からず彼の40番は永久欠番となり、アリーナの壁を飾ることになるだろう。ただ、現役選手ではなくなっても彼がヒートの一員であることに変わりはないし、引き続きヒートカルチャーを体現する人物であり続ける。そしてマイアミの人々にとってのロールモデルとして、これまで以上に活躍するに違いない。