原田裕作

原田裕作コーチは福岡第一高校、東海大とバスケ界のエリートコースと言えるキャリアを歩んだきた。大学卒業後はアメリカにコーチ留学へ行き、プロチームでのアシスタントコーチを経験して、飛龍高校を指導することになった。その後、飛龍を全国屈指の強豪校へと押し上げたが、今年度から母校である福岡第一へ赴任。恩師である井手口孝コーチを支え、115人の大所帯を指導し、目標である『3冠』を目指していく。

変わらない恩師の存在感「選手との付き合い方はすごく参考になります」

──福岡第一高校の教員に就任しました。現在の状況を教えてください。

まず学校生活では1年生の担任をやっているんですけど、教員経験があるといってもやはり違う学校なので、いろいろな先輩方に教えてもらいながら良い緊張感を持ってやれています。部活の方は13年間ずっとヘッドコーチでやっていましたが、それとは違うアシスタントコーチという立場なので、やはり井手口(孝)先生の考え方をまずは私自身が理解しなくちゃいけません。いろんなものを汲み取って学んでいる中で、少しずつ子供たちとコミュニケーションを取って、私が入れる部分はしっかり入っているという状況ですね。

──福岡第一の生徒として在籍していた時と比較して、今の学校はどうでしょうか?

学校生活は本格的に授業が始まってみないと分からない部分もあります。今は自分のクラスだけしか関わっていないので、まだ見えていない部分が正直あるんですけど、学年集会などを見ていると、当時と比べて落ち着いているなと思いました。昔は本当にやんちゃな人も多かったので、そういった意味ではすごく落ち着いてきたのかなと。生徒数は昔も多かったんですけど、今は1学年で1,000人近くいます。

──部活はいかがでしょう?

部活の方は部員数が倍近くになっていました。私がいた時はみんなで一緒に練習して、目標に対してベクトルがしっかりと向きやすかったのかなと思います。今は115人もいるので、全員で練習というのは物理的に難しく、2つのグループに分けたり、新1年生は別でやったり、井手口先生がいろいろと工夫されてやっています。そのグループを私や今井(康輔)先生だったり、武藤(海斗)先生、安田(真也)先生あたりで役割分担をしながら子供たちと接している部分があるので、115人いる難しさは感じています。同じ方向を向かせるという、意外に簡単そうなことが今は1番難しいと感じています。

──向かせるベクトルは日本一ですか?

そうですね。日本一が最大の目的ですし、去年達成できなかった3冠を目指しています。去年もあれだけ良い選手たちがいて、努力もいっぱいしてきたと思うんですけど、それでも3冠は取れなかったです。やはり簡単なことではないので、足りないものや強化していかなくちゃいけない部分をしっかり整理して、同じ方向を向かないとそこまで辿りつけません。そういったところはトップにいる井手口先生の周りにいるスタッフ陣ができると、より先生がバスケットに集中できてチームとして良い組織になっていくんじゃないかなと思います。

──コーチ陣の人数も増えてきた中で原田先生は卒業生でもあり、他のチームでヘッドコーチを経験しています。どういった立ち位置を意識していますか?

先ほども言いましたが、まずは井手口先生の考え方だったり思いをしっかりと理解して、それを子供たちに伝えていくことが大きな役割だと思います。年齢的にも今年40歳になるので、井手口先生とスタッフ陣、井手口先生と選手たち、スタッフと選手たちという関係性をうまく繋げていく役割がまずは大事にしなくちゃいけないところかなと思います。

──高校時代の時と比べて井手口先生は変わりましたか?

やはり以前に比べると丸くなられたと思います(笑)。ただ、勝負事だったり譲れないところはやはり変わらないというか、より研ぎ澄まされていると感じます。ここはやはり手を抜かせないんだなとか、こういった注意の仕方をするんだなというのはすごく勉強になります。以前だったら注意された時は近づけないみたいな雰囲気だったんですけど、今はそうは言いながらも練習が終わった後に先生から選手に笑顔で声をかけたりされていますね。60歳になられますので、子供たちは孫みたいなもんですよね。やはり年齢が成せる技もあるとは思うんですけど、選手との付き合い方というのは、すごく参考になります。

原田裕作

「井手口先生が集中できる環境が、日本一になるための一番の近道」

──福岡第一での将来的なビジョンはいかがでしょう?

もちろん、福岡に帰ってきたので将来的には井手口先生の後を引き継げるように、常に日本一が狙えるチームにしたいと思っています。今の福岡第一に絶対的なモノがある中で、良い部分はしっかり引き継ぎます。本当に引き継いでもらえるようにするにはバスケット以外の部分で求める部分もありますし、先生が要求する以上のことを自分ができないと第一のバスケット部の発展はないのかなと思っています。13年間飛龍でやってきた経験に頼るのではなく、井手口先生からいろいろなものを学んで自分の感性を磨きながら、いつか引き継いでもらえるようにしたいです。

そして、もちろん結果もそうですけど、井手口先生が常に言われてるのは選手たちがバスケットが好きでいてほしいとか、バスケットを将来やめたとしても違う仕事などでしっかり輝いてほしいということです。それは私達が現役の時からずっと言われてることなので、そういった部分でもしっかりと大事な部分は残していきたいと思っています。

──福岡に帰ってきて井手口先生から褒められたりしたなど、何かエピソードはありますか。

いや、褒められることはあんまりないです(笑)。ただ、やはり近くいるので他愛もない話をすることは増えました。それは以前からするとすごく良い部分だし、やはり私が他のチームでやっていたというのもあるので、うまく言えないですが、多分少し尊重してくれているんじゃないかなと思います。

ただ、練習試合を任せられた時に主力の子が少しケガをしてしまって。その時はすごく焦って謝りましたね。結果的に問題なかったので安心しましたけど(笑)。

──飛龍高校の生徒に対しては心情的にはどうでしょうか?

飛龍の子たちは常にやっぱり気になりますね。引き継いだ大石先生とも連絡はちょくちょく取るようにしていますし、近況を聞きながら映像を見れる時はチェックしたりしています。練習試合も増えて緊張感も出てきていると思うので、そういった意味では私ができることをしっかりやっていきたいと思っています。

3年生に関しては進路のこともあるので、こちらで動きながらですが、できることはやっています。ただ、今の飛龍の3年生は自主性があって、自分たちで考えて自分たちで行動ができるし、リーダーシップが取れる子たちが非常に多いので、そこまで心配はしてないというか、きっとやってくれるだろうと期待の方が大きいです。選手からも時々LINEが来るので私がいなくてもあの子たちは大丈夫だなって思っています。

──地元に戻ってきた安堵感はありますか?

地元は大牟田なのでめちゃくちゃ地元という感じはしないですが、やはり私の周りはみんな博多弁なので、言葉が自然と博多弁に戻りましたね(笑)。静岡も食事は美味しかったですが、やはり福岡も食事が美味しいと思います。1時間もすれば実家にも行けるので少し安心ですね。

──第一に戻ってくる際、元チームメートでもある今井コーチの存在は大きかったのではないでしょうか?

そうですね。悩んでいる時にも今井さんにいろいろ話をしていただきました。その中でやはり今井さんがいてくれるというのは福岡第一に決める際にかなり大きなものでした。今井さんとは24、5年の付き合いで、1番長い付き合いですし、大先輩ですし、兄みたいな親友みたいな存在です。何でも話せて頼りになるし、お互いにきっとそう思っているんじゃないかなと思います。

──最後にこれからの意気込みをお願いします。

今年の目標は3冠ですが、現在はその力はないです。ただ、高校生というのは本当に1カ月もあれば大きく変わるので、子供たちがしっかりと目標に向くように、その上で選手たちをサポートしていくことが私の仕事だと思います。

もう一つの大きな仕事は、やはり井手口先生の思いや考えをしっかり汲み取って、先生がバスケットに集中できるいろいろな環境作りをやっていくことだと思います。それがアシスタントコーチとして1番の仕事になってくるかなと。井手口先生がそういうふうに目を向けられる状態が続くことが日本一になるための一番の近道じゃないかなとも思っているので。そういった意味でも、井手口先生と選手たちをしっかりサポートする、大きな大きな仕事を毎日全うしていきたいと思います。