プロアマを問わずどのコーチに話を聞いても「まずディフェンスから」とか「走る展開に持ち込む」という言葉が出てくるが、東山はその例外だ。大澤徹也コーチは「100点取られても101点取る」、「ハーフコートのオフェンスにこだわりを持つ」と、超攻撃的バスケットへの持論を語る。それはディフェンスを教える指導者はいるが、オフェンスを教えられる指導者がいないと考えているから。ディフェンスをないがしろにするわけではなく、オフェンスに真正面から取り組む東山はウインターカップの舞台でどんなバスケットを見せてくれるのだろうか。
「洛南を倒すことだけを考えてきた」からの脱却
──まずは自己紹介からお願いします。
大澤徹也です。京都出身で、洛西中学校2年生の時に全国優勝しています。高校は洛南には上がらずに、強化1年目の選手として田中幸信監督と一緒に東山高校に来ました。インターハイには一度も行けず、1999年のウインターカップが初めての全国大会出場となり、そこで得点王になっています。この時に点数を取るという部分では「東山のバスケットはこうなんだ」という形ができました。その後は日本大学で4年間バスケットをして、東山高校に戻って来ました。
──指導歴15年ということですが、実績はどのようなものですか?
先日Bリーグに行った岡田侑大の年代から京都の子たちが集まり始め、岡田が2年生の時に初めて洛南に勝利して、京都インターハイでベスト4、次の年にインターハイ準優勝、ウインターカップ準優勝と、今のところは洛南に勝ち続けています。インターハイは4年連続出場、今年は洛南のウインターカップの連続出場を18で止めました。
──2年前のウインターカップでは準優勝、しかし去年は大会出場を逃しました。同じ京都にライバル校があり、全国大会の決勝レベルの戦いが行われているというのが全国のファンの見方だと思います。洛南に対するライバル意識はどのようなものですか?
他の県だったら東山は強くなっていないでしょうね。その点では福岡と似ているかもしれません。バチバチしたライバル関係がありますが、それで良いと思います。
──洛南との京都予選の決勝は、京都ハンナリーズのホームゲームの前座として行われました。京都府のバスケットボールとしては意義深いことだったと思います。
選手紹介や入場で、高校の試合ではまずあり得ないような演出をしていただき、すごく良い経験になりました。東山の選手たちが入場していく時は遠目で見ていてもうれしかったですし、こういう演出は選手には一生の思い出になったと思います。ウチの選手たちは結構図太くて、そんな舞台でも気にせずゲームができていました。逆に私が舞い上がってしまいました(笑)。
──「東山のバスケット」がどのようなものか、教えてください。
オフェンスに特化したチームを作りたいと思っています。私が指導者になった時、プラスアルファで何か付けられないかと試行錯誤したのですが、なかなかうまく行きませんでした。そんな中、田中監督に教えていただいたのは「100点取られても101点取る」、取られたら取り返すバスケットが東山の原点だということです。そこからハーフコートのオフェンスにこだわりを持ち、ピック&ロールを武器にできるよう時間を費やしています。ハーフコートオフェンスが軸になりますが、その中でもパスが結構出て速攻も使えるので、幅広いオフェンスが展開できます。
──15年間の試行錯誤の繰り返しの中で、一番覚えている失敗は何ですか?
洛南を倒すこと。これが私が指導者になったきっかけであり、たった一つの目標であり、それが全国大会への意識に結び付いていないこともありました。洛南と当たる前に負けてしまうこともあって、それで「洛南のことだけ考えていてもダメだな」と。洛南と戦う前に負けた京都予選はすごく印象に残っています。
「チャンスがある選手にはプロでやらせてあげたい」
──東山出身のプロ選手はいますか?
三遠の川嶋勇人、京都の頓宮裕人、八王子の岡田優などがいます。
──プロでも通用する選手に共通する特徴はありますか?
やはりバスケットに取り組むひたむきな姿勢は共通しています。岡田や川嶋は自分に足りないものを理解して、自主練習から工夫していました。お互いの性格とかは全く違っていて、岡田は僕が3年の時に1年生でしたが、上級生だろうが全然関係なかったです。そういう勝ち気な部分はプロでやっていけるベースになるのかもしれません。川嶋も自分のプレーに対してはすごくこだわりをもってやっていました。それぞれの選手で違いはありますが、取り組み方の部分はやはり共通していますね。
──現在は東山のバスケ部に入って来る生徒のほとんどがプロ志望だと思います。指導者としてトップ選手を育成するのか、あくまで高校生なので文武両道を目指すのか、どちらですか?
高校生である以上は学業ですから、口うるさく言っています。Bリーグに行って活躍すること、例えば洛南だと日本代表の選手をたくさん輩出していてあこがれますが、私はバスケットと勉強の両立を頑張ることを一番においてやっています。実際、東山の学力は悪くはありません。スポーツの盛んな進学校としてやっているので、洛南には及ばないですが、指定校推薦の枠や学力に力を入れている学校です。
ただし、勉強をきっちりやりなさいとは言いますが、今はこうしてBリーグが成功しているので、バスケットで可能性がある選手が本当にその道に進みたいのであれば、高校を卒業してそのままBリーグに行く選手が出てきても面白いと思います。世界がそうなっている以上、日本もそれを基盤にしていかなければいけない部分もあります。アンダーカテゴリーの強化が重要であることは間違いないので、そういうチャンスがある選手には是非やらせてあげたいと思います。
──それで言うと、卒業生の岡田侑大選手がシーホース三河に加入しました。彼については?
こう考えたら曲げない性格で、レベルの高いところでバスケットをやりたい。生活の中でもすべてがバスケット優先です。年齢が上の選手にも向かって行くし、プロ向きだとは思っていました。拓殖大の池内泰明監督は「アメリカではドラフトに掛かることもある」と送り出してくれました。拓殖大には迷惑が掛かっていて賛否両論ではありますが、一つの例になったという意味で頑張って成功してほしいです。
──東山は留学生プレーヤーのイメージがあります。留学生を入れたきっかけは何ですか?
岡田が入ってきた時にちょうど京都インターハイがあり、どうしても勝ちたいと思いがありました。ただ、バスケットのために来ているというより日本の文化を学びに来ているという留学生はもともといました。
日本に数人しかいない195cmの中学生がスカウトで取り合いになります。昔はそういう子たちがウチに来てくれるような基盤がなかったので。私も若かったので「留学生ってどうなのかな」という葛藤はありました。それでも田中監督と話す中で、日本人のバスケットの質を上げるには、また京都や近畿のレベルを上げるには必要なことだと理解しました。
「日本にはオフェンスに特化した指導者がいない」
──田中監督と二人三脚でずっと指導しています。恩師にはどういう思いがありますか?
私は中学高校と田中先生の指導を受けていたので、大学に行った時に別のバスケットが上手く吸収できませんでした。本来だったら高校に入ると指導者が代わり対応力が付くんでしょうけど、プレーヤーとして一番頑張っていた時期にずっと田中バスケットをやっていて、今も一緒ですから、その影響力は計り知れないです。
田中先生は「日本にはディフェンスを教える指導者はいるけど、オフェンスに特化した指導者がいない」といつも話しています。田中先生はあと1年で退職になりますので、そこから私の真価が問われます。チームの持っていき方の細かい部分、一つの声掛けが勉強になります。
──年配の先生方が多いバスケット界ですが、若い指導者も増えてきました。
大濠の片峯聡太先生など世代の近い指導者はたくさんいます。そんな若い指導者が年配の素晴らしい先生方を追い付き、追い越さなければいけない。そこにプレッシャーを感じることもあるかもしれませんが、今は「よし、やってやろう」という気持ちしかないです。ベテランの先生方に「このバスケを見てどう思いますか?」と言えるチームを作りたいです。プレッシャーを感じるよりも、とにかく頑張らなければいけないです。
──ウインターカップの開幕が近づいてきましたが、目標はどこに置いていますか?
京都で洛南を倒すことは全国のベスト8やベスト4に相当するんだなと、インターハイやウインターカップに出ると感じます。個人的には、ウチの選手が全国の猛者たちを相手にどうやって戦うのか楽しみです。例えば米須玲音と福岡第一の河村選手のマッチアップは見てみたいです。緊張はありません。どちらかと言えば緊張するのは洛南と戦う時です。十何年やっていますが、夜は眠れなかったりします。緊張して眠れないのではなく、高ぶって寝付けないんです。
──全国の高校バスケットファンに、東山のどんなバスケットを見てもらいたいですか?
東山の売りである攻撃型のチームというのを見てほしいです。どういった形で点を取るのか、ハーフコートのオフェンスにはこだわりを持ってやっているので、そこに注目してほしいです。あとは1年生ガードや留学生など個性的な選手もいますし、3年生の献身的なプレーやチームをまとめるところ、組織力の部分を見てほしいとも思います。
──やはり「洛南の分まで」という思いもありますか?
もちろんです。子どもたちにもそれはあります。高校バスケットファンの皆さんに、福岡と京都はこれだけすごいんだという試合を見せられるよう頑張ります。