マイケル・ジョーダン「私も含めて彼に続いたすべての黒人選手の模範となった」
7月31日、NBAのレジェンドであるビル・ラッセルが亡くなったことが家族により発表された。88歳だった。
1934年生まれのラッセルは、サンフランシスコ大でNCAAトーナメントを連覇して、1956年のNBAドラフトで全体2位指名を受ける。セルティックで13シーズンを過ごし、NBA優勝11回、MVP受賞5回、オールスター選出12回とリーグを席捲した。
コート外ではバスケで得た知名度を生かして公民権運動を推進。黒人の地位向上のために尽力したことも、ラッセルの名声を高めた。もともと人種隔離政策の取られていた地域で生まれ育ち、NBA入りの前から遠征先で白人のチームメートと同じホテルへの宿泊が認められないなどの差別を多数経験してきた彼は、人種問題について早い時期から積極的に発言していた。
MLBで同じ立場にあった黒人選手のジャッキー・ロビンソン、NFLのジム・ブラウンと行動をともにし、モハメド・アリの徴兵拒否を支持。彼がNBA入りした当時はまだ黒人プレーヤーの数が少なかったNBAにも大きな影響を与えている。
NBAコミッショナーのアダム・シルバーは声明を発表し、「セルティックスでの11回の優勝や5回のMVP受賞など彼が得た数多くの栄誉は、より広い社会に対する貢献の序章に過ぎない。ビルはスポーツよりもはるかに大きなものに向き合っていた」と綴っている。
セルティックスのレジェンドであるポール・ピアースは「先駆者としてハードルを上げてくれた。優しい知恵の言葉、素晴らしい笑いに感謝している。今日はNBAのファミリー全員にとって悲しい日になった。永遠に惜しまれる人だ」とコメントしている。またNBAレジェンドのマイケル・ジョーダンは、「彼はプレーヤーとして、NBA初の黒人ヘッドコーチとして、活動家としてパイオニアだった。彼が道を切り開いたことで、私も含めて彼に続いたすべての黒人選手の模範となった」とコメントした。
引退後は事業に失敗し、表舞台から長く遠ざかっていたが、近年は再評価されている。2011年にボストン市は、市庁舎前の広場にラッセルの銅像を建てた。バラク・オバマは大統領時代に、アメリカでは議会名誉黄金勲章と並んで文民に贈られる最高位となる大統領自由勲章をラッセルに与えている。そのオバマは「我々は偉大な人物を失った」とツィートしている。
家族の発表によれば、ラッセルは妻に看取られて静かに息を引き取ったとのこと。バスケファミリーの全員が、このNBAレジェンドの冥福を祈っている。