岡田大河

岡田大河は今年17歳、日本の高校に進んでいれば今が2年生のポイントガードだ。15歳でスペインに渡り、マドリッドのプロクラブ、セントロ・マドリーのカンテラ(下部組織)でプレーしている。彼の父は『静岡ジムラッツ』代表を務め、様々な形で若い選手たちに世界挑戦のきっかけを提供してきた岡田卓也。ジムラッツは『体育館に住むネズミ』の意味で、ずっとバスケ漬けの生活を送る選手を意味する言葉だ。世界に通用するバスケ選手を育てるためには早くから海外を経験すべきだという父の下、岡田大河もバスケ漬けの生活を経て日本を飛び出した。2年目のシーズンは2つのカテゴリーを飛び級してジュニアAでプレー。マドリッド州の決勝でレアル・マドリーに敗れるものの、チーム初の全国大会出場の立役者となった。さらなる飛躍を目指して3年目のシーズンをスタートさせようとする大河に、その意気込みを聞いた。

「レブロンのように、ゲームメークをして勝負どころでは自分が点を取る」

──まずは自己紹介をお願いします。

2004年5月23日生まれの岡田大河です。静岡県出身で『静岡ジムラッツ』に所属していました。自分たちの代で県大会で優勝して、ジュニアオールスターに出場しました。僕はレブロン・ジェームズが好きで、レブロンはチームが勝つために何が必要かを常に考えてプレーをしているので、僕もゲームメークをして勝負どころでは自分が点を取るなど時と場合によって役割を変えてプレーしています。

──お父さんの影響で海外によくキャンプに行っていたと思いますが、海外挑戦を志したのはそれがきっかけですか?

中学1年生の夏に父にスペインに連れて行ってもらい、チームに1週間だけ加入する機会をいただくことができ、大会に出た経験が大きなきっかけになりました。中2の時も同じスペインのチームでフランスの国際大会に出て感じたのは、身体能力、身長も高校生以上のスケールで、バスケットIQが高かったことです。僕は身長が低くて、海外で通用する選手になるにはバスケットIQをもっと磨かないとダメだと思ったので、チーム戦術も含め状況判断を養う練習が多いスペインを選びました。

──特に行ったばかりの頃は苦労や不安が大きかったと思います。実際はどうでしたか?

日本人がバスケのためにスペインに行くのは聞いたことがなかったので、最初は不安でした。もともと行こうとしていたチームには海外選手の枠がなく、そこのオーナーに紹介された別のチームに行くことになって、どういうところか全く知らなかったので不安が大きかったんですけど、合流初日の練習ですごくレベルが高いと感じて「ここなら成長できる!」と思いました。

日本とスペインではフィジカルもそうですけど、パスへのこだわり方が違います。スペインの指導者は一つひとつのバスに対して厳しく、それだけではなくオフボールの人の動きとかチーム的な組織としての動きにすごくこだわります。練習はウェイトやスキルなど個人練習の時間、チーム練習をやる時間がはっきり分かれていて、チーム練習の時は合わせの動きとかボールマンだけの練習じゃなくて、ボールマンがどう動いたらここに合わせるとかそういう練習が多いです。

岡田大河

「ポイントガードが意思を伝えられないと周りから信頼されません」

──バスケIQ以外の部分でのプレーでの違いはどうですか?

フィジカルがまず違います。身体の使い方がすごく上手くて、日本でもハンドチェックはありますが、腕一本で簡単にとかじゃなくてユニフォームをつかんででも守ったり、それでファウルを吹かれない時もあったり、1対1も根本的に違っていて、慣れないと分からないやりづらさがありました。完全に自分が相手を背負ったと思ってもブロックされたり、抜いたと思っても後ろから手が出てきたり、最初は感覚が分からずに大変でした。

──U18のクラブチームでバスケをして、学校はどうしていますか? 普通の高校生活は送れていますか?

現地の高校に通っていたんですけど、今はコロナの影響で先生が家に来てくれたり、通信制に近い形になっています。午前中は8時半から先生に見てもらって勉強して、12時からはスペイン語の授業に出ています。スペイン語のできる選手はその時間にスキル練習をやるので人によってスケジュールは違うんですけど、僕は学校の後にスキル練習をしてからお昼を食べて、夕方からウェイトとチーム練習、という感じです。

土日のどちらかに試合があって、週に1日はオフという感じなんですけど、僕は日本にいた頃からすごく練習をやっていてオフが多いと逆に困ってしまうので、空いている日にシューティングを入れてもらったりして自分で練習するようにしています。

──言葉や生活習慣、勉強などいろんな壁があると思いますが、どれが一番大変ですか?

文武両道で勉強も頑張っているんですけど、最初は言葉が大変でした。自分の中で英語ができれば大丈夫だと思っていたのですが、実際に行ってみると全然違って、最初の1カ月か2カ月は大変だったし悩みました。ですが、しゃべっているうちに相手の言葉が聞き取れるようになって、チームでもどんどんコミュニケーションが取れるようになりました。

私生活も大事なんですけど、やっぱり大きかったのは練習です。バスケだと僕はしゃべりたくなっちゃうので、自分で指示を出せるようにと意識していたら、気付いたらしゃべれるようになっていました。それに、ポイントガードが意思を伝えられないと周りから信頼されません。そのプレッシャーが僕にとっては良かったのかもしれません。そのおかげで簡単なコミュニケーションならすぐ取れるようになりました。

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「やるからにはマドリードのてっぺんを取るつもりで頑張ります」

──セントロ・マドリーのU18ではどのような大会があり、どう勝ち上がっていく感じですか?

マドリードの地域リーグがあって、そこでトップ3に入れば全国大会に出場できます。それがスペインのNo.1を決める一番大きい大会になり、それで1シーズンが終わることになります。名門クラブだと基本、1月、2月にヨーロッパの大会に参加するのですが、今年はコロナの影響で国際試合がほとんどできなかったみたいです。

昨シーズンはマドリードで準優勝して全国大会に出場できました。次のシーズンもまだロスター発表前ですが良い選手は揃っているので、またトップ3に入って全国大会に行きたいです。マドリードのトップ3に入れば全国でも上位を目指せます。昨シーズンは主力で出場資格をもらえない選手がいたり恵まれない面もあったんですけど、それでも自分が勝たせなきゃいけないと思っていました。やるからにはマドリードのてっぺんを取るつもりで頑張ります。

──間もなくスペインに戻ります。どんな心境で新たなシーズンに向かいますか?

昨シーズンはプレータイムを勝ち取ることができたので、今シーズンはさらに自分のパフォーマンスを高められるように。そして次のレベルで戦う準備を本格的にやっていきたいと思います。

日本の高校生だと40分出る選手もいると思うんですけど、自分たちは10人ぐらいでタイムシェアして、決勝とかで7人か8人のローテーションになる時もありますが、基本的にはNBAみたいに選手をどんどん入れ替えて10人使う感じです。プレータイムは25分あれば多い方で、僕はそれ以上プレーさせてもらっていました。

──日本でプレーしている時と比べると、どんなところが変わってきたと思いますか?

練習でも試合でもそうなんですけど、「日本だったら絶対に自分で行っていたな」という場面で行けないシーンがあるようになりました。逆にそこで行けない分、周りの生かし方とかはどんどん覚えていって、上手く周りを使えるようになったと思います。中学の時にはできなかった判断ができるようになり、発想力が高まって、例えばアリウープとか日本ではやっていなかった点の取り方が増えました。そこは自分のパスのスキルが上がったということなので、すごく良かったと思います。