カーメロ・アンソニー

ドラフト上位5人のうち4人が殿堂入り確実、史上最高の『当たり年』

2003年のNBAドラフトは、史上最高の『当たり年』だったと言われる。全体1位指名は大学に進学せずNBA入りを表明したレブロン・ジェームズ。当時からNBAのトップスターになることが約束された選手で、18年後の今はGOAT(史上最高の選手)とも言われる存在だ。上位指名の5選手のうち4人は、バスケットボール殿堂入りが決まっている。ラプターズから4位指名を受けたクリス・ボッシュはすでに殿堂入りを果たした。ヒートに5位指名されたドウェイン・ウェイドは2023年にその資格を得る。3位指名でナゲッツに加入したカーメロ・アンソニーはレブロンとともに現役生活を続けているが、いずれも将来の殿堂入りは間違いない。

この『当たり年』のドラフトで、唯一の『ハズレ』を引いたのがピストンズだ。その年にカンファレンスファイナルまで進みながら、指名権をトレードで手に入れていたピストンズは、17歳にしてユーロリーグで活躍していたセルビア人のダーコ・ミリチッチを獲得する。7フッター(213cm)の長身ながらスピードがあり、ボールハンドリングにも優れていたミリチッチは、センターを必要とするチームならどこでも欲しがるタレントだった。

しかし、彼自身の精神的な弱さがあったのか、あるいは加入1年目にNBA制覇を成し遂げるベテラン中心のチームに馴染めなかったとか、ミリチッチはプレータイムを獲得することができず、わずか2年半でトレードされることに。以後はいろんなチームを転々と渡り歩くジャーニーマンとなり、レブロン、ウェイド、ボッシュの『スリーキングス』がリーグを席巻していた2012年を最後にひっそりとNBAの舞台から去った。

先日、カーメロ・アンソニーがポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演した際、この2003年のNBAドラフトについて触れ、ピストンズが自分を指名すると約束していたと明かした。今さら蒸し返しても意味のない話題ではあるが、カーメロは「僕はドラフトの日までずっとデトロイトに行くものだと思っていた。もし僕を指名していたら、その次のシーズンも優勝していただろうね。僕は1年目に学び、2年目には全く違った選手へと成長して活躍できたはずだ」と語る。

ピストンズはドラフトの直前になって考えを変えた。それは、チームがニューヨークで練習していた際、隣のコートでワークアウトをしていたミリチッチのパフォーマンスがあまりに素晴らしく、偶然そこに立ち会ったクラブ幹部たちが揃って一目惚れしたからだと言われている。こうしてカーメロはピストンズに裏切られ、ナゲッツと契約することになった。

即戦力として活躍できたのは、アメリカでの生活に順応する必要があった若いミリチッチよりも、キャリアのあったカーメロだろう。実際、カーメロはルーキーイヤーの2003-04シーズンからナゲッツの主力として全試合に先発出場して平均21.0得点という数字を残している。もっとも、ピストンズが彼を獲得していたら、シーズン途中にラシード・ウォーレスを獲得する必要がなくなり、優勝には手が届かなかったかもしれない。そもそも、当時のピストンズはカンファレンスファイナル進出の常連ではあったが、全員が泥臭くハードに戦うディフェンスのチームだった。そこにスター選手の入り込む余地はなく、ミリチッチでなくカーメロでも、その才能がフィットしなかった可能性はある。

ピストンズはミリチッチが期待外れに終わっても、そのシーズンで優勝を果たし、翌年にもNBAファイナルに進出。その後の3シーズンもカンファレンスファイナルまで勝ち進んでおり、チーム編成自体が失敗だったというわけではない。ただ、史上最高の『当たり年』にミリチッチを指名した失敗は今に至るまで語り継がれているし、カーメロは「裏切られた」という屈辱をいつまでも自分のパワーに変え続けている。