黄金期の能代工業と対戦した経歴を持つ市立船橋の斉藤智海コーチ「『市船のバスケット』を消さないように」

黄金期の能代工業と対戦した経歴を持つ市立船橋の斉藤智海コーチ「『市船のバスケット』を消さないように」

2020/11/26 12:00
斉藤智海

千葉県の強豪校と言えば、真っ先に『 いちふな 』こと、市立船橋が思い浮かぶ。昨年のウインターカップでは格上と見られていた県立広島皆実、中部大学第一を撃破。タレント揃いの明成の壁を超えることはできずベスト16で姿を消したが、伝家の宝刀である速攻や連携の取れたチームオフェンスで全国を驚かせた。長年指揮を執り、『市船』の形を作り上げた近藤義行コーチの後を引き継いだのが同校出身の斉藤智海。『市船』スピリットを継承し、上位進出を目指す斉藤に話を聞いた。

「最強能代と戦えたのはすごい経験でした」

──まずは斉藤先生の経歴を教えてください。

バスケを始めたのは小学校5年生からです。それまでは運動は全くしていなかったのですが、小6で170cmと大きかったので当時のミニバスの先生に声をかけてもらって始めました。小栗原小学校という全国優勝したことがあるような伝統校でした。

僕は『SLAM DUNK』世代で、できないことができる感覚や喜びがどんどん湧いてきて、バスケにハマりました。小学校の時は県ベスト4で全国にギリギリ出場できないくらいのレベルでした。中学も伝統のある葛飾中に進み、県でベスト4くらいでした。身長が1年で12cm伸びて、中1で180cmくらいあったのでこのままバスケットで飯を食えるようになるかなと思っていました。現在は185cmなので高校で伸びなかったパターンです(笑)。

──市船に進んだ理由は何でしょうか?

小中学校と一緒で、1年先輩に本当に上手いガードがいたのですが、彼を追いかけてというのがあります。全国から遠ざかった時期があって、市船をまた強くしようという流れがありました。県選抜の仲間とどうせやるなら強いところで一緒にやろうぜという流れもあって入学しました。

僕が1年生の時に下級生主体のチームでしたが、久しぶりにインターハイに出場しました。田臥(勇太)君が1つ下なんですけど、2年生の時から徐々に力をつけて、田臥君の能代工業とインターハイで2年連続ベスト4を懸けて戦いました。

──全盛期のあの能代工業と対戦したのですね!

そうです。もう本当に強かったです。当時の最強能代と戦えたのはすごい経験でした。結局、全国ベスト8が最高成績でした。国体も1回戦の相手が秋田で全員が能代でしたから(笑)。

──その後、東京学芸大学に進みますが、関東大学1部リーグでバスケを続けようとは思わなかったのですか?

スキル的にも上位リーグでやれるとは思っておらず、それこそバスケで飯を食えるようなレベルではないと思ったので。バスケットにかかわっていたいという思いはあって、この時からぼんやりと指導者になりたいと思い始めました。市船は毎年、教育実習生としてOBの先輩たちがよく来るのですが、先輩たちの話を聞いて指導者も面白そうだと思いました。

斉藤智海

「近藤先生が築いてきた市船のバスケットを大事に」

──大学卒業後、すぐに指導者としてのキャリアをスタートさせたのですか?

そうですね、ただ、講師として船橋市内の中学校で2年間、その後に小学校の講師を1年間やって、中学校で採用になりました。ちなみに笑い話なのですが、小学校3年の担任をしている時に、5年生に千葉ジェッツの原修太がいたんですよ。なので、ちょっとだけ顔見知りです。その年に中学校の採用試験に合格して、船橋中に5年間いました。この5年間で4回、県大会で優勝しましたが、夏の大会だけ勝てずに関東大会には出れなかったです。その後、習志野台中学校に3年間いて、そこで初めて関東大会に進みました。

──中学生を指導されていた期間が長いのですね。この次に市船ですか?

いえ、ここでなんと教育委員会に入りました。希望していたわけではないので、青天の霹靂と言うのでしょうか。辞令で4年間いて、それから市船に行けました。市船に来て3年目になります。

──ようやく市船の監督になるわけですが、高校生を教えるにあたっての苦労などはありましたか?

近藤(義行)教頭が前任の監督なんですけど、近藤先生が10年間で作り上げてきた偉大なチームを一OBとして受け継ぐことが最大のテーマでして。やはりそこはプレッシャーというか、苦しんだけど苦しまないというか……。

──近藤先生の後を継ぐという意味では、プレッシャーは大きいでしょうね。

そうですね。近藤先生の後で完璧に僕が舵を取れるとは思っていないので、とにかく近藤先生が確立させた『 市船のバスケット 』を消さないようにというのは意識しています。決して僕の指導だけで現在のバスケットを作り上げたわけではないのですが、決勝戦後にいろいろな先生が「お前の色が出始めているよ」と言ってくださいました。僕自身はまだ、自分の色が分かっていないのですが、とにかく近藤先生が築いてきた市船のバスケットを大事にしようと考えています。

──斉藤先生が指導する中で譲れない哲学的なモノはありますか?

これも近藤先生からの引き継ぎではあるのですが、バスケットだけじゃなく、高校を卒業した後の人間性ですね。自立した人間になるということ、いろいろな分野で活躍できるような人間になること、バスケットを通じて人間形成するというのは忘れないようにしています。技術的な指導力では近藤先生に到底及ばないのですが、「高校生として」という部分を強調して、そういうところは絶対に忘れないように接しています。

伝統なのかもしれないですけど、ウチは朝練がないんです。その代わりに、遅刻予防のためという意味も含めて、毎朝全員が整列して僕とミーティングをするんです。今は体調管理や健康観察をしたりするわけですが、必ずそこでいろいろな話をするようにしています。高校生として知っておかないといけないこととか昔の格言だったり。どう思うかを投げかけて、彼らが発言したり。そういう場を毎日設けています。

斉藤智海

「市船らしい最高のゲームをお見せしたい」

──昨年のチームは伝統の速攻に加え、チームオフェンスも素晴らしく、周囲を驚かせました。今年のチームはどのようなチームに仕上がっていますか?

昨年は195cmの楊博という選手がいたんですけど、今年はとにかくサイズがないです。チーム作りは基本的には去年のような鋭いブレイクも出ますけど、今年はバランスアタックというか、エースはいますけどどこからでも点数が取れるようにしています。彼らの持っているものを引き出しながら、市船らしいハイスコアゲームをしたいです。

──そうしたチームを作る過程で、どのようなことを意識してきましたか? また期待する選手は誰ですか?

なんですかね? 勝手にそうなっていったんですよ(笑)。キャプテンの田中晴瑛は去年から使っていた選手です。彼は責任感が強く、外角のシュートも決められるようになってきたので彼の得点力に期待したいです。エースの市場脩斗は本当に天才肌というか、どこからでもどんなバリエーションからでも得点が取れる選手です。この2人を軸にしています。

僕の下に2人のアシスタントコーチがいるのですが、彼らが僕のやりたいバスケットを理解しながら違う観点から選手にアドバイスをしてくれています。アンテナを高くして、自立させながらいろんなものを吸収する選手になってきてくれています。

時に見守りながら、時に任せながら指導し、昨年の先輩たちが要所で見せてきたプレーを見てきた選手が集まり、現在のチームができ上がりました。

──では最後にどこを目標にしてウインターカップに臨みますか?

今年は最初で最後の全国大会です。去年を思い出してみるとサイズ、能力など自分たちよりも格上のチームと戦い、市船の最高のゲームを毎試合していました。市船の最高の試合というのはハイスコアゲームで何があっても走り切るチーム。何があっても高さに屈せずに、ここだというポイントを逃さないこと。高さを凌駕するには機動力が必要で、今はそこを見直しています。ルーズボールやここだというポイントを逃さない走りなど、最後は根性論です(笑)。とにかく毎試合、市船らしい最高のゲームをお見せしたいです。

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