大﨑佑圭

文=小永吉陽子 写真=古後登志夫、野口岳彦、小永吉陽子

5月31日に今シーズンのWリーグ登録を見送ったことを発表した大﨑佑圭。同時に、新しい命を授かったことも公表された。日本代表としてオリンピック出場とアジア3連覇を果たし、Wリーグでは10連覇を達成。次々に夢をかなえていく中で、次なる目標を考えた時、大﨑は家庭を持つ女性アスリートとして、どう生きるかとの悩みにぶつかった。そして「今は新しい家族を作りたい」との決断を下した。「自分の言葉で女性アスリートとしての生き方を伝えられれば」とインタビューに応じてくれた大﨑佑圭の等身大の思いをここに届けたい。無事に元気な子供を出産することを願って――。

母になる大﨑佑圭インタビュー(前編)「新しい命に導かれる生き方を選んだ」

連覇は1年1年の積み重ねだけど、10連覇にはこだわりました

――Wリーグの10連覇について、達成した手応えは?

10連覇は1年1年の積み重ねで、先輩方の頑張りが受け継がれているからこそ達成できたものだと思います。とはいえ、10連覇は大きな目標としてこだわっていました。デンソーとのファイナルの1Qに鼻を強打して、その後は試合には出られなかったのですが、担架で運び出されるときにタク(渡嘉敷来夢)が「大丈夫だから!」と強く言ってくれたので、そこは信じていました。まさか自分がファイナルのコートから離れることは想像していなかったのですが、唯一、救いだったのは、前半の流れが重たいときに得点ができたことですね。だから優勝に貢献できた思いはあります。自分が関わったのは9連覇ですが、10連覇を形にできた達成感がありますね。

――10連覇できた要因、その強さはどこにありますか?

チーム力ですね。このチームはみんなが勝つための役割を理解しているし、一人一人の経験値が大きい。何年も前からスタメンを固定しているので、それぞれが勝ち方を知っているし、試合の運び方もわかっていました。

NBAの話になりますが、ファイナルはウォリアーズとキャブズが対戦したじゃないですか。またウォリアーズが勝つのかな、波乱はないのかな、と思いながら見ている自分がいたんですけど、「客観的に見たら、勝ち続けるチームに対して周囲はこう見るのか」というのもわかりました(笑)。でも連覇の重みというのは、やり遂げた当事者にしかわからないプレッシャーや責任があるものなので、連覇していく中で精神的にはかなり鍛えられました。だから勝ち続けられたのだと思います。
大﨑佑圭

悔しいオリンピック予選を重ねて日本はたくましくなった

――一区切りとして、日本代表のことを振り返っていただきたいのですが、印象に残っている代表戦は何ですか?

私の中で忘れられない大会は、ロンドンオリンピックをかけたOQT(オリンピック世界最終予選)です。それこそ、壮絶な戦いの末にあと一つ勝てばオリンピックに手が届くところまで行ったので、『生半可な気持ちで日の丸をつけてはいけない』『日の丸ってこんなに重いのか』と代表選手としての責任をずっしりと感じました。あと一歩のところでカナダに負けてオリンピックに行けないとなったときには、これはどうやって立ち直ればいいのか……と思うほど、とても重い気持ちになった大会でした。

――2012年のロンドン予選のOQTは、大﨑選手と髙田真希選手が日本のセンターとして確立した大会でした。大﨑選手にとって、ターニングポイントの大会だったのでは?

あの時は必死だったのでそんなことはわからなかったですが、こうして振り返ってみると、選手としてターニングポイントの大会だったと言えますね。内海さん(知秀、ヘッドコーチ)に「20点取って来い」と言われて、そのときにようやく「日本代表の一員になれた」と思い、自分の役割が明確になり、期待されている充実感の中で戦えました。悔しい大会でしたけれど、思い入れがある大会です。

――過去に日本が出た2回のOQTは誰もが思い出したくないほど苦しい大会でした。OQTで負けるということは、オリンピックに出るレベルの国に打ちのめされ、アジア予選とともにオリンピック予選に二度敗れたことになる過酷さがあります。ただ、この辛い経験が選手たちをタフにしたとも感じています。

この大会のあとから日本がどんどん強くなっていく手応えがありましたね。OQTに関しては本当に苦しい大会で、リオがかかった中国でのアジア選手権(2015年)のとき、「オリンピックに出たい」という思いと「OQTには出たくない」という気持ちで戦っていましたから。「OQTで苦しい思いをするんだったら、絶対にアジア予選で勝つんだー!」とリュウさん(吉田亜沙美)やリツさん(髙田)と若い選手たちには言っていましたね(笑)。

私はオリンピックに出ることをバスケ人生の最大の目標にしていたので、もしリオを落としてしまったら、次のチャンスは東京になってしまいます。いつか結婚をして子供を産みたいと思ったときに、東京まで続けられる自信もその時はありませんでした。リオに出てオリンピアンになろうという目標があったので、OQTに行かずにアジア予選で勝てて本当に良かったと、今振り返っても思います。

――その中で昨年はアジア3連覇を果たしました。アジアの戦いでも達成感は得られましたか?

もう、お腹いっぱいになるほどの達成感を得られました。2013年のアジア選手権は43年ぶりの優勝ができて、個人的にはベスト5をいただきました。2015年はオリンピック出場を決め、そして昨年はオセアニア勢が加わった中で苦しみながらも3連覇を達成して、どの大会も忘れられない素晴らしい経験ができて財産になりました。

だからこそ、次に進みたい思いが強くなりましたね。ここで日本代表からは一度線を引かないと、このまま走り続けるのは無理だと感じました。自分のバスケ人生をトータルすると、どの環境でも、チームメイトや指導者、支えてくれる方に恵まれました。本当に充実していたという言葉に尽きます。今は本当にお腹がいっぱいなので、何の未練もなく、すっきりした気持ちです。
大﨑佑圭

女性アスリートとして新しい生き方を踏み出したい

――出産後は復帰を視野に入れているとのことですが、そうなれば、女子バスケ界でも女性アスリートの新しい生き方を示すことになります。ミセスとして、母となっての選手生活についてどのような考えがありますか?

もし、私が復帰することになれば、今後、日本のバスケ界の強みになる一歩を踏み出せるのでは、と思っています。子供を産んで復帰できたら女性アスリートの強みとなるし、産後でも、会社やチームのサポート体制があればプレーできることも伝えられます。「こういう道もあるんだ」と、女性アスリートの夢も広がりますよね。そうしたら女性アスリートの選択肢が増えて、バスケット界も面白くなると思います。海外だと子供を産んで復帰するケースは多いですよね。試合会場に子供連れで来ている選手を見ているので、海外は環境が違うなあと感じていました。今後、日本でもそういう環境が増えてもいいと思うんです。

――何よりも、無事に出産を迎えてほしいと心から願っています。そして、体調と相談しながらになりますが、今後のチーム活動はどのようになるのでしょうか?

チームの活動では、センターの(梅沢カディシャ)樹奈を育てたい。樹奈には私が持っているいろんなことを伝えたいです。クリニックでは子供たちにバスケットの楽しさを教えてあげたいですね。あまりチームと距離を置くことはせず、私にできることでチームに貢献したいと思っています。ファンの皆さんの応援はいつも心強くて本当に感謝しています。無事に出産するまで温かく見守っていただければと思います。