長谷川誠、ペップ(ジョゼップ・クラロス・カナルス)の下でアシスタントコーチを務めた前田顕蔵がヘッドコーチに内部昇格したのは昨夏のこと。これまでのスタイルを継承し、新たな進化を求める上では最適な人選との期待に答え、昨シーズンは19勝22敗と勝ち越しが見えるところまでチームを引き上げた。だが、指揮官の目線はもっともっと上を向いている。「秋田でBリーグ優勝をして、日本代表監督もやりたい」と言い切る彼に、ヘッドコーチとしてのポリシーと目指すべきところを語ってもらった。
「数字じゃないところで人は魅了されて、涙を流す」
──『バスケット・カウント』でのインタビューは初めてとなります。異色のコーチキャリアですが、プロのコーチになった経緯を教えてください。
もともとコーチをやりたかったわけではなく、ありがちな感じなんですけどプレーするためにアメリカに行って、バスケに携わっていたくて仕事を探して、大阪エヴェッサの運営会社に営業で入ったんです。その前に通訳兼アシスタントコーチで別のチームから話をいただいたんですけど、通訳には興味がなくて断ったんですよ。でもエヴェッサのクリニックを手伝っていた時に、ただ英語がしゃべれるだけでバスケの知識がない人は、バスケの通訳はできないんだと知りました。「これは意外と自分にしかできない仕事なんだな」と通訳に対する考え方が変わったところで、先輩の繋がりで高松が通訳兼アシスタントコーチを探していると聞いて、話を聞きに行ったんです。
そこで練習を見ながら話を聞いていたんですけど、幼稚園の子がバスケットボールを抱えて練習を見学していたんですよ。僕はそれを見て「プロって良いなあ!」と思って、引き受けることを決めました。子供からあこがれられる存在ってプロしかないですよね。僕はもともと子供好きだし、アメリカの大学で試合に出ていた時は、背の低いアジア人の僕を子供が応援してくれていました。アメリカのスクールでバスケを教えていたこともあって、子供にはすごく恩があったんです。僕自身はプロを目指していたわけでもないので、「僕なんて」って気持ちは常にあります。でもこの世界に入って13年目ですから、よくやってますよ(笑)。
──続けることも一つの才能だし、成果ですよね。続けられた理由としてはどんなことが挙げられますか?
バスケットが好きなのはもちろんありますけど、奥さんの存在が大きいですね。僕の性格をよく知っていて、高松で苦しい思いをしていた時、結果が出なかった時に、背中を押してくれたりとか止めてくれたりとか、常に軌道修正をしてくれています。奥さんがいなかったら道を見失っていたと思うので、ありがたいし感謝しています。子供も含めて家族の存在は本当に大きいです。
あとは周りの人に恵まれました。助けてくれる人が常にいたので。高松時代もクラブの経営が成り立っていなかったので、スタッフも大変だったと思うんですけど、それを理解した上で応援してくれた人たちがいて、そういう繋がりがすごく支えになりました。そういう人たちのおかげでここまで頑張ることができたんだと思います。
正直に言えば、僕はプロの世界が嫌いなんですよ。なぜかと言うと結果でお金が決まり、結果で評価される世界だから。でもスポーツってそこだけじゃなく、数字じゃないところで人は魅了されて、感動して、涙を流すわけじゃないですか。僕はそれを経験してきたし、そこに価値があると思っています。数字ではないところは綺麗事じゃ済まないし、人間が汚くなれるところでもあります。そこでどうやって人は支え合うのかを経験したし、それを長谷川誠さんが見ていてくれたおかげで僕は今こうして秋田にいます。
僕は高松のヘッドコーチになった時に尽誠学園に挨拶に行きました。香川県で一番強いチームの高校生に見てほしいと思ったんですが、監督の色摩(拓也)さんに「あんなバスケを生徒たちに見せたくない」と言われたんです。でも、今でも付き合いがあるんですよね。今回もコロナの時期に電話をくれて、「負けてもヘッドコーチを続けたのを見て、一生この人とは付き合おうと思った」と言ってくれて、すごくうれしかったです。自分がちゃんとした信念を持ってブレずにやっていれば、応援してくれる人が増えていくんだと日々実感しています。僕はいろんな人に大事にしてもらってここまで来ました。だから人を大事にしたいです。
「結局、自分の描いていた以上のものにはならない」
──秋田のアシスタントコーチを4年務め、ペップの後任としてヘッドコーチに昇格して2度目の開幕を迎えます。もともと関西出身ですが、秋田での生活はいかがですか。
楽しいですよ。昨日はオフだったので学校に子供を迎えに行ったんですけど、そこで周りの子たちとバスケの話をしてきました。学校の見守り隊のおじいちゃん、おばあちゃんたちから「勝ったね」とか「良かったね」とか会話があるのも楽しいです。秋田のバスケ熱は実業団チームから始まって、天皇杯で優勝したこともありますし、そこに能代工業もあってバスケ文化が脈々と受け継がれてきた中にノーザンハピネッツが入って来て、すごく分かりやすい状況になったんだと思います。
秋田に来る前から会場にお客さんがたくさん来て盛り上がっているイメージがあったんですけど、実際は町の中にも浸透していて、生活の中にバスケがある、ノーザンハピネッツがある感じです。ホームの雰囲気も温かいですし、町の感じも人も温かいですね。子供からお年寄りまで試合の話ができますから、これはすごいことですよ(笑)。
秋田の人たちとしゃべっていると「秋田なんて田舎だし」みたいな会話が結構出てきます。確かに何もないんですけど、僕は「いや、面白いから!」っていつも言うんです。僕はここでの生活をめちゃくちゃ楽しんで満喫していますからね。そういう意味では秋田の良さ、好きなところはもっともっと発信していかなきゃいけないですね。
──秋田でヘッドコーチをやる大変さは感じますか? 期待が大きければ、それだけプレッシャーも大きいと思います。
そこは難しいところです。久しぶりにヘッドコーチをやって、自分の描いていたものに突き進む時に、やっぱり問題は起こります。その中で昨シーズンで言うと、やっぱり僕がルーキーだという感覚はありました。もっと引き出しがあれば、もっと伝え方を知っていればと思うことが何度もありました。
また、昨シーズンはディフェンスのチームを作っていたんですけど、オフェンスで難しいところがありました。オフェンスとディフェンスで考えると、ディフェンスはより明確に描けていたと思うんです。結局、自分の描いていた以上のものにはならないんだと感じました。
──bjリーグ時代の高松ファイブアローズでヘッドコーチの経験はありましたが、昨年夏にヘッドコーチになることに対してチャンスだと思ったのか、まだアシスタントとして勉強したい気持ちもあったのか、どちらですか?
自分のキャリアで言うと、もう1年ペップとやりたかったです。ペップはB1を知らない状態でチャレンジしていたので、B1を知っていればどんなチーム作りをしたのか、それを一緒に仕事をすることで知りたかったという思いは正直あります。
ペップと過ごした2年間は、大変でしたけどすごく良い勉強になりました。一番良かったのは自分の視点が上がったことです。国内リーグをスタンダードとしてきた僕が、ペップによって「世界はこんなものじゃないよ」、「俺が求めるのは違うよ」と視点が上がったんです。もちろん要求されるレベルが高いので大変なんですけど「こうあるべきなんだ」と感じられたのは良かったです。
理想像は追わない「僕が前田顕蔵であることが一番」
──じゃあその高い視点で教えてもらいたいのですが、コーチとして目標としているものは何ですか?
順番に言うと秋田でのBリーグ優勝です。降格してB1に戻って、そこから地方クラブとして生き抜くだけじゃなく勝ち上がっていくことには夢があるじゃないですか(笑)。能代工業が勝ち続けていた時に県を挙げて盛り上がったのは、そういうことです。秋田には「田舎だから」という劣等感のようなものを持っている人が多いと感じるんですけど、だから僕たちが勝っていけば意味があると思うので、そこはすごくモチベーションになります。
僕も香川では2勝50敗という結果を出してしまっています。だから僕自身も勝たないといけない。勝てないコーチを経験しているからこそ、そこから一番上を見てみたいです。個人的には日本代表のヘッドコーチをやってみたいし、そこで勝ちたいです。勝ちたいというのはワールドカップやオリンピックで1回勝ったらオッケーという次元ではなく、本当に勝負のできるレベルのチームを作りたいという気持ちがすごくあります。
──どういうコーチになりたいか、その理想像はありますか。
最近は、それを追いかけると良くないと思っています。だから僕が前田顕蔵であることが一番良くて(笑)、そこにずっといたいと最近よく思います。僕は結婚していて3人の子供の父親でもあって、そういう自分自身のアイデンティティを大事にしながら選手と接することも大事にしているし、そこで理想を追いかけすぎるとどこかに無理が出て、上手く行かない気がしています。なるべく僕の性格、自分を出しながらチームを作っていく、僕が僕らしく楽しくやっていくのが大事だと思っています。
──こうやって話していると温和で接しやすい人柄が半端なく出ているのですが、ヘッドコーチにはチームを引っ張るリーダーとしての厳しさも必要です。そのメリハリはどう出していますか?
その状況によりますが、例えばチームを見捨てるような行動、リスペクトを欠く行動は一切受け入れません。プレーで言うと、どんな視点を持っているか、課題に対してどうプレーできているか。秋田はボールプレッシャーを大事にしているんですけど、「秋田はただ激しくやるだけでしょ」と思っている人も結構いますよね。僕はそれが嫌で、ボールプレッシャーの距離を4つ作っているんですけど、「ただボールプレッシャーしろ」という指導はしていません。そこはスキルとして教えているし、秋田はどのチームよりもそこにこだわっています。「ただ激しくやる」とかそういう次元じゃないのは皆さん是非分かってください(笑)。
チームを動かす上では『ORAHO』というコンセプトがあって、去年打ち出してあまり浸透しなかったので言いたいんですが(笑)、『One』は一つにまとまる、『Respect』は尊敬、『Accountability』は責任、『Humility』は謙虚に、『Opportunity』はチャンスだからしっかりやろう、ということです。これをベースに、最低限ここは大事にするチームにしています。秋田であることも大事だと思って、『僕たち』を意味する秋田弁『ORAHO』(おらほ= 私たち、OURという意味)を使っています。