きっかけはスポーツジャーナリストだった母
キャバリアーズとの東カンファレンス・ファイナル第1戦から連勝を記録し、リードを奪ったセルティックス。カイリー・アービング、ゴードン・ヘイワードを欠くチームを支えているのが、ベテランのアル・ホーフォードだ。
ホーフォードは今プレーオフで平均17.1得点、8.4リバウンド、3.6アシスト、1.4ブロック、1.1スティールを記録。自らプレーで引っ張る試合もあるが、状況に応じて臨機応変にプレーし、若い選手が多いチームに落ち着きを与えている。
そのホーフォードと、元MLB選手のデビッド・オルティズが、5月15日にTDガーデンで行なわれたキャブズとの第2戦で交流していた姿を目撃したファンも多いかもしれない。両者の間にある不思議な縁を、『Boston Globe』が伝えている。
Al Horford records 20 PTS, 4 REB, 6 AST to propel the @celtics in the series-opener at TD Garden! #CUsRise #NBAPlayoffs pic.twitter.com/i6AdBlDSay
— NBA (@NBA) May 13, 2018
ホーフォードもオルティズも互いにドミニカ共和国の出身で、年齢はオルティズの方が11歳上。その彼らが交流するきっかけを作ったのは、ホーフォードの母親だった。
ホーフォードの母アレリス・レイノソは、ドミニカ共和国に住んでいた頃からスポーツジャーナリストとして活動していた。当時オルティズはドミニカのウィンターリーグでプレーしていた時期で、レイノソが取材をしていたというのだ。
その後、ホーフォード一家がドミニカからミシガンに引っ越した後、レイノソはフィラデルフィアでスポーツジャーナリストとして活動。時を同じくしてMLBでプレーするようになったオルティズがツインズに移籍し、インターリーグ期間中にフィリーズと対戦した際、レイノソは彼の取材を続けた。母の取材についていった少年時代のホーフォードは、そこでオルティズと対面。それからオルティズはホーフォードを気にかけるようになり、会うたびに優しい言葉をかけていたという。
元NBA選手ティト・ホーフォードの血を受け継いだアルが夢中になったスポーツは、野球ではなくバスケットボールだったが、順調にキャリアをステップアップさせ、2007年のNBAドラフト全体3位でホークスから指名されて父と同じNBA選手になった。NBAでも1年目から先発に定着したホーフォードは、2008年のプレーオフでオルティズと再会を果たす。
ホーフォードが1年目の2007-08シーズンは、ポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンの『ビッグ3』旋風が起こった時代で、セルティックスが優勝候補筆頭に挙げられていた。66勝16敗で東の首位に立ったセルティックスは、ファーストラウンドでホークスと対戦。第8シードを相手に完勝すると予想されたものの、古豪ホークスが第7戦まで持ち込む大熱戦になったシリーズとして記憶に新しい。その時にボストンで試合をしたホーフォードと、当時までにレッドソックス不動の4番打者という立場を確立していたMLBスターのオルティズが、TDガーデンで再会したのだ。
レイノソは『Boston Globe』に「あの時はデビッドから電話があって、『あなたの息子と今一緒だ!』と言っていたわ」と話した。それから2人はプロのアスリート同士として交流を続ける関係になった。オルティズは2016年に引退したが、ボストンでの人気は変わっていない。そしてホーフォードもまた、セルティックスに欠かせない『潤滑油』としての地位を築いた。
キャブズとのシリーズは第3戦から敵地に移るが、ホームコート・アドバンテージを持っているのはセルティックスの方。もし第7戦にまでもつれれば、またオルティズがTDガーデンに駆け付け、コートサイドから同胞ホーフォードに大きな声援を送るに違いない。