誰よりも個性的な男がコートを去った。1982年、山口県生まれの中川和之は専修大4年次にアメリカへと渡り、ABAでプロバスケ選手となった。強烈な個性で見る者を魅了し続けてきたが、アースフレンズ東京Zでの2年目のシーズン途中で引退を発表。セカンドキャリアの一歩を踏み出した彼に、しばし後ろを振り返ってもらい、濃密だった現役生活と今の心境を語ってもらった。
[中川和之 引退インタビュー]
vol.1 現役引退の決断を語る「全力でやってきたからこそ、シーズン途中で燃え尽きた」
vol.2 波乱のキャリアを語る「アメリカでの失敗から学び、再スタート」
vol.3 引退後のプランを語る「痛い目に遭ったからこそ、奉仕の精神で恩返しを」
vol.4 支えてくれた人たちに伝える「後悔は一切ない、あるのは感謝の気持ちだけです」
「かなり前から、葛藤を抱えながらプレーしていた」
──まずは現役引退の決断について教えてください。以前から引退は頭にあったのですか?
実はかなり前からです。もともと体力が人並み以下で、30歳を過ぎてつくばロボッツに移籍したぐらいからケガと加齢による衰えを痛感していました。ただ皮肉なことに、その頃からポイントガードの感覚が研ぎ澄まされてきたんです。ポイントガードとしての力が高められているのに、身体がついてこないジレンマに苛まれました。今の若いヤツらは誰も信じないと思うけど、ダンクやクロスオーバーがバリバリできた頃にその感覚を見つけていれば、と本当に思います。そしたらNBAもあったかな……。いや、ないな(笑)。それが自分の実力ということですね。
そんな葛藤を抱えながらプレーしていたつくば時代、チームとしてはずっと負け続けでした。俺は昔から負けるのが嫌いで、決して負け癖がついていたわけではないのですが、当時のNBLはJBL上がりのチームにはほぼ勝てない時代で、善戦もあったけどとにかく負けまくりです。
結果がすべてのプロの世界で、俺はいつまでこんなことをやっているんだろう、と思いました。バスケでお金をもらえているし、「妻を養うために頑張ろう」と自分に言い聞かせたけど、楽しかったバスケが仕事になっちゃったんだなと。それが引退を考えた最初のきっかけです。
──それでもキャリアはロボッツからアースフレンズ東京Zへと続きます。
ロボッツの3シーズン目に小学校時代からあこがれていた平岡富士貴さんが来たんです。努力、気合、ボンバーみたいな人で、練習もハードだったけど楽しくて、久々に若い時みたいな身体のキレが戻りました。でも、良くなった結果、それまで封印していたドライブとかをやり始めたら、案の定シーズン中盤の広島戦でレイアップの着地に失敗して、8年ぶりくらいに膝の半月板を痛めました。ショックだったし、これで完全にピークは終わったんだと感じました。
そんな時、高校時代に山口で直接指導を受けた、人生で初めて見た日本代表選手の小野秀二さんから電話があったんです。「若い時に比べて本当に成長した。最近はカズのようにパスでゲームをしっかりコントロールできるポイントガードがいない。是非ウチでその力を発揮してくれ」と。絶対にリップサービスなんですけど、ポイントガードとして死ぬほどうれしい言葉をかけていただきました。嘘でも小野さんにそう言われたら行くしかないでしょ! という感じで東京Zに移籍しました。
「自らチームに退団を申し出ました」
──東京Zでの1年半は、結局ケガと戦い続ける1年半になってしまいました。
開幕前に痛めたひざがまずい状況になっていることが発覚して、そのまま手術、入院で、132日間も病院にいることになりました。自分も予測できませんでしたが、とにかく小野さんやチーム、ファンの皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいで。待ちに待ったBリーグの開幕を病院のベッドから見ることになり、精神的には相当キツかったです。
その後、後半戦から復帰しましたが、シーズン終了後に小野さんが辞められました。正直に言うと俺もそのタイミングで辞めようと思ったんです。ただ、これだけ迷惑をかけたのに次のシーズンも自分を必要としてくれたチームと、応援してくれたファンの皆さんのために、まだ何も返せてないのに辞めるわけにはいかないなと。むしろ頑張るしかないでしょ、という思いで現役を続けました。
だけど、開幕前の天皇杯予選でまたひざをケガして、ケガの功名で手術した箇所も逆に調子が良くなって早期完治できたのですが、試合には勝てないし、そんなチームを黙って見ていることしかできない。そこで「プロは結果がすべて」という葛藤がまた自分の中で起こったんです。
12月に入ったぐらいで限界が来ました。チャリンコで練習に通っていたのですが、10分の距離を1時間に感じ始めたんです。この時に「あ、俺もうダメかも」と。身勝手なのは分かっていますが、昔から嘘は下手なので、このままいたら余計チームに迷惑をかけてしまうし、誰よりもファンに合わせる顔がないと思って、それで自らチームに退団を申し出ました。そんな姿でファンの皆さんの前に立つことを、自分としてはどうしても許せなかったんです。
「信じられないぐらいの反響、感謝しかありません」
──チームからは慰留されたそうですが、どうしてもシーズン終了までは続けられなかった?
チームからは慰留してもらいましたが、気持ちが入ってない中途半端な状態でやるほうがもっと迷惑をかけるから、そこを理解してくださいと。あとは自分のサラリーキャップを空けて、そのお金を外国籍選手に回すとかチーム強化に使ったほうが良いです、とも言いました。正直、(山野勝行)代表にも、「このまま給料泥棒になって最後までやる手もありますよ。でも俺のことを一番面倒見てくれた代表に、それだけは絶対にしたくない」と言いました。
──給料泥棒は少々キツすぎる表現です。選手としてベンチ入りして、ベテランの存在感を示して勝利に貢献するのもプロのあり方の一つです。それも感覚としては違ったのですか?
実際、それは相当やっていたつもりです。試合に出てなくてもルーキーと毎回自主練をしたり、練習後に指導したり。アシスタントコーチみたいなこともずっとやってきました。だけど、電池が切れちゃったらどうしようもなかったです。代表にも言ったのですが、選手は本当に本気でやっていますが、いつ終わりが来るか分からない。みんながみんな、シーズンが終わって6月30日に気持ちが切れるわけじゃないんですよ、と。全力でやってきたからこそ、シーズン途中でも燃え尽きることがあるんです。言い訳に聞こえるかもしれないけど、そう伝えました。全力でやったからこその今なんです、ということは理解してもらっています。
2部のチームで今シーズンはたった2分くらいしか試合に出ていなかったので、実質的にはすでに終わっていたわけですから、静かに去るものだと思っていました。それでも東京Zを退団した時、そして引退を発表した時に信じられないぐらいたくさんの反響をいただいた。これは本当に驚きました。自分程度の選手に温かい言葉をかけてくれた方々や選手、ファンの皆さんには感謝しかありません。
キャリアを通じて人からは間違いに見えるような行動や選択もたくさんありましたが、そういった一見遠回りなプロセスを経てからこそ得られるものも確実にあるんだなと。やってきたことは間違っていなかったのだと確信しました。
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