[引退インタビューvol.2]中川和之、波乱のキャリアを語る「アメリカでの失敗から学び、再スタート」

2018/02/12
NBA&海外
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取材=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=TSO

誰よりも個性的な男がコートを去った。1982年、山口県生まれの中川和之は専修大4年次にアメリカへと渡り、ABAでプロバスケ選手となった。強烈な個性で見る者を魅了し続けてきたが、アースフレンズ東京Zでの2年目のシーズン途中で引退を発表。セカンドキャリアの一歩を踏み出した彼に、しばし後ろを振り返ってもらい、濃密だった現役生活と今の心境を語ってもらった。

[中川和之 引退インタビュー]
vol.1 現役引退の決断を語る「全力でやってきたからこそ、シーズン途中で燃え尽きた」
vol.2 波乱のキャリアを語る「アメリカでの失敗から学び、再スタート」
vol.3 引退後のプランを語る「痛い目に遭ったからこそ、奉仕の精神で恩返しを」
vol.4 支えてくれた人たちに伝える「後悔は一切ない、あるのは感謝の気持ちだけです」

体験したすべてをメモしたナイキキャンプ

──この数年でポイントガードとしての感覚が研ぎ澄まされてきたという話がありました。ポイントガードとして長くプレーして感じ取った『極意』のようなものは何ですか?

プレーヤーが安心して見ていられる選手です。安心できて「こいつとはプレーしやすい」と思わせられれば、チームをうまくフローさせられます。そうなるとプレッシャーを受けてオタオタしているようなガードでは難しい。若い選手はガンガンプレッシャーをかけてきますが、俺もそれに対して「こうやればファウルがもらえる」という知識をつけ、感覚としても対処できるようになると、若い頃にやっていたようなつまらないターンオーバーが一切なくなりました。少ないドリブルで状況をクリエイトできるし、これは面白いと。それだけに、体力のある時にできなかったのが悔やまれます。

──中川兄弟と言えばハンドリング、シュートで、クリエイトする部分での評価がすごく高かったです。学生時代に何か特別な転機はありましたか?

高校2年の時のナイキキャンプです。それまではドリブルが下手でコンプレックスの塊でした。毎日残って練習して、どうやったらうまくなるのか試行錯誤する数年間があって、そこでたまたま東京のナイキキャンプに呼ばれて、ジェイソン・ウィリアムズに直接指導してもらいました。ポール・ピアース、アブドゥル・ラヒームとか他にも有名な選手もたくさんいて、それは人生において衝撃でした。

他の選手はみんな「すごかったね」で終わりだったと思うけど、俺は山口の家に帰った瞬間に、言われた言葉や見たこと感じたこと、記憶にあるものすべてをメモしました。全く同じドリルを一生やっていくつもりだったんです。ドリブルがつけるようになったのは、そこからです。もともと感覚的に描いていたものがうまくつながって、そこから面白い選手になれました。

──専修大の黄金世代への思い入れはどんなものですか?

専修大がなければ今の自分は200%ないですね(笑)。高校までは上下関係がない学校にいて、先輩から「あの2人に言葉遣いを教えろ」と怒られるところから始まりました。意外に人見知りだったから、そういったところも典型的な大学デビューです。当然バスケットもすごく高いレベルでやる中で、試合なんか出れるわけないと思っていたのですが、毎日の練習をヒイヒイ言いながら死ぬほど頑張って、自主練の鬼にもなって。それで人としてもプレーヤーとしても成長させてもらいました。

アメリカンドリームと『痛い代償』

──その後はアメリカに渡ります。海外に飛び出した時の心境はどんなものでしたか?

三菱電機からオファーが来て、今のままのプレーをしてくれ、新人王も取ってくれと。ただ、大学1年の頃からアメリカ通の中原雄さんが「お前はアメリカ」、「NCAAでこいつらとやることを考えて毎日練習しろ」と口を酸っぱくして言っていて、正直「何を言うてんねん」という感じだったのですが、4年になって大宮(宏正)を見たいという話がABAのロングビーチ・ジャムというチームから来たんです。当時は田臥(勇太)さんがいて、「次はデカい日本人だ」という話だったそうです。そこで中原さんが「面白いヤツがいるので連れていきたい」と言ってくれて、俺もトライアウトに参加できることになりました。

卒業旅行の感覚だから緊張も何もなくて、3日間ずっと昼からビールとステーキです。でも午前中は死ぬほど頑張って、キャリアハイぐらい調子も良くて、自分の良い部分をすべて出せたんです。そしたら大宮ではなく俺がトライアウトに受かりました。全く読めませんでしたが、NBA殿堂入りのネイトアーチボルドにその場で直接英語の契約書を手渡されたんです。そうなれば、バスケ好きなら100人が100人、同じ選択をしますよね。一言で言えば夢を見ちゃったという話です。そこに簡単に手を出した代償を、後から痛いほど味わうことになりましたけど(笑)。

──痛い思い、代償というのは具体的にどういうことですか?

『バスケ界のキングKAZ』を目指して本気で勝負にいきましたが、あっという間の玉砕でした。トライアウトとはレベルが違うんです。アメリカ人ばかりのチームでお客さん状態になってしまい、試合でも走ってシュートを打つだけ。当然試合に出れなくなるし、そのタイミングで田臥さんがNBAから解雇された翌日にもういて、弾かれるように自分がクビになりました。当時の俺のプロ意識のなさは、田臥さんから見たらあきれてモノが言えないようなものだったと思います。

──それでもチームを変えてABAでのプレーは続きました。

そこからいろんなものを学ばせてもらい、再スタートしたからです。特にUSBLのブルックリン・キングスの時は本当に頑張りました。毎日のように練習場に新しい選手が来るんです。確実に俺よりうまいんだろうなと、速攻で解雇された過去を思い出していつもビクビクして。そんな環境の中で死に物狂いでやって1シーズン生き残りました。

最初はトライアウトで落ちて、練習場所さえ教えてもらえないただの一般人です。無理矢理に練習参加させてもらい、練習生、契約選手、控え、スタメンと登り詰めて最後は決勝まで行きました。みんなUSBLって聞いたことがないと思うけど、ABAが比にならないぐらいレベルが高かったです。実際、ハーレム・ストロングドッグスのチームメートは全員トライアウトで落ちています。決勝の相手選手を調べたら全員NBAかNBADLの経験があったぐらいです。

バスケ界の坂本龍馬として、人をつなぎ世界を目指す

──大学卒業を待たずアメリカへと飛び出して、そこで『本物のバスケ』に触れました。そこで得たものが中川選手のプロ意識のベースになったということですね。

間違いないです。今回、自分から東京Zを辞めた理由もそれで、自分に費用対効果がないと思ったんです。向こうだったら試合に出てないヤツなんか速攻でクビです。あの田臥さんだってサンズを数試合で解雇され、俺もABAでさえすぐクビです。

日本のリーグに来て不思議だったのは、試合にも出てないのにずっと契約をもらっている選手が普通にいることです。外国籍選手やヘッドコーチばかりクビになりますが、一番必要ないのはベンチにいる日本人選手だろうと。問題さえ起こさなければシーズンの終わりまではクビにならずにお金をもらい続けることができます。俺はマジで思うのですが、そんな甘ったれた環境が日本バスケのレベルが上がらない理由です。誰もケツに火がつかない。

──プロ意識は危機意識、ですね。今はまだ総じて危機意識が足りないということですね。

チームの方針もあるし、選手の気持ちを考えたらキツすぎるかもしれないけど、この記事を見たBリーグクラブのGMは必要ない日本人選手をクビにしたらいいですよ。試合に出てる有名選手でもサラリーに見合った活躍をしてないなら解雇。そしたら全員、明日は我が身で死に物狂いになって、モチベーションを高める工夫なんて何もしなくても勝手に激しい競争をします。厳しいけどそれがプロだし、結果として日本のバスケのレベルは絶対に上がります。

解雇された選手も必ず努力して成長しますから。俺もロングビーチで解雇されたからこそ、悔しさと惨めさが原動力となって必死に頑張ることができたんです。その結果、ほとんど試合に出れなかった前のシーズンが嘘のように、ハーレム時代にはスタメンで試合に出てオールスターにも選ばれるまで成長することができました。いろんなコーチに「NBAや世界の選手はもっと練習から頑張っている」と言われましたが、そりゃそうですよ。日本のリーグは必死に頑張らなくても競争に勝たなくてもクビにならないんだから。

──引退後に何をするのか、現在の考えを聞かせてください。

指導者となって日本のバスケ界だけでなく社会に貢献したいです。こう言うと先輩や仲間に「またカズが馬鹿なことを言いだした」と笑われそうですが、イメージは完全にバスケ界の坂本龍馬ですね。これもまた「歴史の偉人を軽々しく名乗るな」と怒られそうですが(笑)。

彼のように立場の違う人の言うこともしっかり聞き、良いところを吸収する柔軟な考えを持っていたいです。龍馬は新しい時代の明確なビジョンを持ってとにかく行動することで、多くの人が実現不可能だと思うことを成功させてきました。そして何よりも最も重要なのは、優れた人脈を幅広く持っていたことです。さらに龍馬は「世界に出たい」という自分の夢に向かって動いた人でもありました。

僕個人では何もできないことは重々承知していますが、バスケ界のカテゴリーや男女関係なく、人と人でつながり、結んで、いろんな方から知識や経験を吸収して「オリンピックでメダルを取る!」という最終目標実現に向けて指導者として一から頑張ります。