「どうやったらチームに貢献できるか」
『福岡決戦』となったウインターカップは福岡第一の勝利に終わった。敗れた福岡大学附属大濠で、誰よりもエナジーを出していたのが田邉太一だ。横地聖真は愛知、公陽と陽成の西田兄弟は徳島、木林優は東京と大濠には全国からエリートが集まってくる。平松克樹と岩下准平は中学の名門、西福岡の出身だ。そんな中、今年の大濠の主力の中では田邉だけが『普通の選手』として入学してきた。
大濠高校から歩いてすぐ、まさに『地元中の地元』という数少ない存在が田邉だった。全国から選手が集まるチームでプレータイムを得るのは簡単ではない。オールラウンドな能力を持つが、裏を返せば突き抜けたものがなく、ベンチには入るがプレータイムの伸びない時期が続いた。3年生で迎えたウインターカップも当初は控え。開志国際(新潟)との2回戦では出場機会がなく、チームが自信を得た一戦を田邉はベンチから見守るだけだった。
しかし、タフな試合が連日続くウインターカップが進むにつれて、そのオールラウンドな能力が重宝されるようになっていく。洛南(京都)、延岡学園(宮崎)と限られたプレータイムで攻守に存在感を見せ、準決勝の北陸(福井)戦で初スタメン。横地と西田兄にオフェンスの負担が偏る中、アグレッシブにプレーすることで12得点を挙げて勝利に貢献した。
「相手チームが聖真や公陽を抑えに来るのは分かっているから、そこで自分がどうチームに貢献するか。ノーマークの3ポイントシュートの精度を磨いたり、リバウンドに行くタイミングを自分で研究したり、ヘルプに行った後の合わせとかを自分なりに考えて、どうやったらチームに貢献できるかを突き詰めてきました。それが試合中にできたし、先生も認めてくれたから、試合に多く出れるようになったと思います」と田邉は言う。
高校最後の大会が進むにつれてチーム内での存在感とプレータイムが増えていったことは、彼自身にとって大きな勝利だったに違いない。
「この大会期間で自分はまた成長できた」
こうして迎えた決勝、片峯聡太コーチのゲームプランは『河村勇輝封じ』を徹底することだった。試合後、(クベマジョセフ)スティーブには30点取られてもいいから河村の得点を1桁に抑え、他の選手にアタックさせるゲーム展開を狙い、それは概ね上手く行ったと語っている。
その河村のマークを担ったのが田邉だった。他の選手はケアせず、フェイスガードでとにかく河村にベッタリと張り付く。「僕としては、自分のディフェンスは全然下手だと思っています」と田邉は言うが、それが自分に課された役割であれば、コートに立っている間はやり続けるだけだ。「先生からは、ディフェンスについては『自分の間合いで守れ』とだけこの1年間言われてきました。それを期待してくれたのであれば、それを自信にしてやるだけでした」
190cmのサイズがあり、腕も長い田邉のフェイスガードについて、河村は「何回も対戦してきたので、想定内ではありました」と振り返るが、結果として得点は10と伸びず、フィールドゴール13本中4本に抑えられたのだから、大濠が粘りに粘る展開に田邉の河村封じは効果があった。ただ守るだけでなく、相手ディフェンスの間隙を縫ってアタックに行き、リバウンドにも飛び込んで、チームトップの18得点、リバウンドでは横地に次ぐ7を記録。長くベンチを温めてきた選手が、高校バスケ最後の試合でほぼフル出場の37分のプレータイムを与えられ、1秒も無駄にすることなく攻守にフル回転した。
「1年生から能代カップとかウインターカップのベンチメンバーに入れてもらって、いろんな経験をさせてもらいました。今日も最初は縮こまってしまい、自分のプレーができなかったけど、最後はオフェンスリバウンドだったりルーズボールでしっかり自分のプレーをすることができたので、そこはこの大会期間で自分としてはまた成長できたと思います」
「一緒に戦ってくれたメンバーに感謝」
『地元中の地元』出身である田邉は、「地元のみんなが僕をずっと応援してくれていました。その期待に応えたい一心で頑張ってきました」と語るとともに、同じチームで苦楽をともにした『エリート』たちへの感謝も忘れなかった。「一番感謝しているのは、一緒に戦ってくれたメンバーです。こんなちっぽけな僕を、この大舞台に連れてきてくれました」
勝てばオール、負ければナッシングのオールorナッシングでは、スポーツはあまりにも寂しい。決勝でライバルに敗れた大濠だが、その戦いぶりは称賛に値するし、彼ら一人ひとりが得たものもまた大きい。
田邉は大濠での3年間の集大成として大会を象徴するスター選手とマッチアップして、すべてを出し切った。この経験と自信は次のステージで大きくモノを言うに違いない。