文=小永吉陽子 写真=小永吉陽子、FIBA.com

八村塁を絶対的な柱に、日替わりヒーローを生んだ日本

――今大会、八村塁選手は得点ランキング2位を始め、すべての個人スタッツで上位でしたが、八村選手のパフォーマンスをどう評価しますか?

毎試合、得点とリバウンドでダブル・ダブルをしてくれる選手で、この大会でトップ10に入る選手ですし、世界のトップ選手であることを証明しました。彼も自分の力で証明したかったのでしょう。3年前のU-17世界選手権でも満足していなかったですから。

彼は途中からこのチームに入ったのに、出来上がったシステムの中に入ってダブル・ダブルをやり、チームメートをよく見せるプレーができる。良い選手というのはそういうものだと思います。アメリカのビッグマンがカナダとの準決勝で「自分が、自分が」というプレーをして負けましたが、もし塁がそういうプレーをしたら日本はもっと下位の順位争いをしていたでしょう。

――試合をこなすごとに、八村選手と他のメンバーがだんだん合ってきました。その手応えは。

そうなんです。U-17世界選手権の時は彼しか得点を取れませんでしたが、このチームは他にも武器がありました。毎試合、日替わりでヒーローが出てきたのがこのチームの強みです。

大会の最初から八村と周りが合っていればスペインに勝っていたかもしれません。開幕戦でスペインと対戦したのはアンラッキーだった気がします。実際、マリ戦は八村がファウルトラブルになって苦労しましたが、ベンチメンバーの頑張りで勝ちました。シェーファー・アヴィ幸樹という存在が出てきたし、増田が終盤にビッグショットを決めてくれました。

その後のカナダ戦からチームプレーにリズムが出てきてチームとして成長できたし、イタリア戦は驚くくらいのゲームができました。イタリアとは2点差でしたが、そのチームが決勝に進出したわけですから。

――韓国戦では八村選手とシェーファー・アヴィ幸樹選手の『ツインタワー』が効きましたが、それまで2人を同時に出さなかった理由は? また今後、彼らを同時起用したときに望むことは何ですか?

今までもトライしていたのですが、以前に試した時はうまくいかなかったんです。沖縄でのチェコ戦やドイツ遠征ではヨーロッパが相手なので大きなラインナップを試したのですが、うまくいきませんでした。でも韓国戦では、インサイドのパワーとサイズでやられ、増田の上を超されてシュートを打たれていたのと、11点負けていたので、何かを変えないといけないという苦肉の策でした。2人同時起用が機能したのが韓国戦の勝因です。2人の同時期用は日本にとって可能性のある戦い方を見せられたと思っています。

「八村不在でアジアを勝ち抜いたことがベースに」

――昨年夏のU-18アジア選手権からここまで、選手たちの成長をどう感じていますか。

選手たちはこの1年半、本当に成長しました。増田と杉本はドイツのアルバート・シュバイツァー・トーナメント(2016年春に行ったドイツ遠征。世界各国の高校世代が参戦するドイツ伝統の大会)には行ってなくて、アジア選手権の直前に合流しました。その分、アジア選手権のグループラウンドではチームがまだできていなくて、大波小波がありました。韓国戦の20点差負けから始まり、イランに勝ったものの、レバノンに敗れ、カザフスタン戦で負けたら終わりという状況でした。

そこから盛り返して、準々決勝の台湾戦、準決勝のレバノン戦でベストゲームをすることができたのは、「負けても次の試合ではやるぞ」と盛り返せるだけのエネルギーある選手たちだったからです。選手たちは非常に真面目で、常に前向きに対処できる力があったんです。それがアジアの準優勝につながりました。

アジア選手権で特筆すべきは、突出したタレントがいなくても相手をロースコアに抑えれば勝てると示せたこと。八村塁のように神に授かった能力がある選手はいないけれど、それでもアジアで準優勝できたことは、チームケミストリーを高めてチャレンジすれば勝てるという、日本のバスケットボール界に対するメッセージになりました。

――U-19ワールドカップについては、選考段階から選手たちに競争させました。選考のポイントとなった点は。

昨年のU-18アジア選手権で準優勝になったメンバー全員をエジプトに連れていきたかったし、新しく試したメンバーもみんな世界で戦いたいと頑張ってくれた。その中で絶対的な条件はディフェンスでタフさがあることでしたが、残念だったのはケガ人がいたことです。

アジア選手権でディフェンスとボールコントロールでいいパフォーマンスをしたポイントガードの伊藤領(開志国際高3年)とセンターの三森啓右(筑波大1年)がケガをしてしまいました。最後まで彼らを待っていたけれど間に合わなかった。

それでも、毎回合宿で集まるたびに選手は驚くようなプレーを展開してくれて、とくに1、2番のガードのポジションは競争が熾烈で難しい選択でした。

重冨(周希)は小さいけれど、スピードと崩れないメンタルで選びました。三上と西田はクイックで打てる3ポイントシューターであり、チームの約束事を徹底して強いディフェンスができる選手。杉本とマーフィーはベンチから出て『狂った存在』として活躍できる。国際大会にはそういう存在が必要なので選びました。後から入ったマーフィーは、いつも笑顔でニコニコして、チームに与える影響も良い。そして八村は絶対に必要でした。このチームが世界で勝つためにも必要だけれど、彼にはこれからの日本を背負っていく存在としても、ワールドカップを経験してもらいたかった。

――U-18では三上、増田、西田、杉本選手のシュート力を生かすことが主体でしたが、八村選手の加入後は、どうチームをバージョンアップさせようとしましたか。

塁はこのチームに遅く参加したので、最初はスペーシングを使う攻撃に慣れませんでした。さらに、アウトサイドからの攻めが多すぎたので、一時はシューターが機能しなくなったんです。そうした課題については「まずはインサイドから入って、ディフェンスを見てポップアウトしてアタックすれば得点できる」と指示を出した。

八村はその指示をしっかり守ってくれて、インサイドでプレーしつつも、外のスペースを考えられる本来の賢さが出てきました。それでアウトサイドとインサイドのバランスが取れたと思います。彼はこの大会中でもいろんなポジションをやってくれた。インサイドもアウトサイドもモノにしようとやっていることは、今後にも生きるはずです。

「一丸となって強化を続ければ世界に通用する」

――チーム作りをする上で大切にしていることは何ですか?

選手にとって一番大切なのは取り組む意欲があること。私はそれを選手に強調しますし、それは日本人の良さでもある。日本とドイツを比較する人は多いけれど、しつけや勤勉さは日本もドイツも長所です。つらい時に取り組みをやめてしまうチームは多いけれど、僕らには常に一生懸命に戦う姿勢があった。U-19の合宿では一番長い時で朝6時に練習を始めて、休憩を何度か挟み、夕方の6時まで練習をしました。常に戦って、前向きに貪欲にやる。そこが一番重要。

次に重要なのは、選手が自分の武器を理解して、その武器を伸ばしていくこと。オールラウンドプレーヤーはなかなか出てこないのですが、自分の武器を育てて役割を果たす選手はたくさんいます。選手はチームのパズルの一部。そのパズルをピタピタピタッとはめていけば、非常にきれいな絵になる。アジアではそれができました。世界ではもっと個人の武器と役割が重要になる。日本の選手たちには自分の武器という個性をもっと磨いてもらいたいです。

――今回のワールドカップは、昨年10月からの月1回の合宿に加えて、チェコとドイツU-19代表との練習試合(計5試合)など入念な準備をした成果が出たのでは?

JBA(日本バスケットボール協会)には環境を整えてもらったことに感謝します。今年ではこれが一番大切な大会ということで、経済面でも環境面でもサポートしてもらいました。チェコ代表を呼ぶこともできたし、大会直前にドイツ遠征に行くこともできた。また、選手が所属する高校と大学も選手を派遣してくれて、サポートしてくれました。昨年の10月から毎月合宿やったのですが、それを所属チームが許可してくれたのも大きいと思います。

アメリカに滞在する選手も呼ぶことができました。鍵冨(太雅)は高校を卒業してからはアメリカに行っていましたし、シェーファー、マーフィー、塁はアメリカの学校に通う中で招集して、予算的には大変だったと思うが、JBAは認めてくれました。その結果、今までで最高の新時代の選手を揃えることができたのです。

日本は今まで自分の大学、自分の高校という母体チームを主体に考えるところがあったのですが、今はJBAの先導により一体感を持って、学校、コーチ、スタッフ、選手が一体となれました。そのことによりモチベーションも上がっていました。

私は日本に長くいて、日本の環境面で理解できないこともあったのですが、ワールドカップ出場を決めてからは、世界に出ることが特別なことだと分かってくれて、みんながサポートしてくれました。このことに関しては本当に感謝しています。国内で勝つことを目指すのではなく、国際大会で勝つという意識を持ち、皆で取り組んでくれたので、私たちもワールドカップで恩返しをしたいという気持ちがありました。

今大会はイタリア、スペインと競り、優勝したカナダとは前半の途中まで競ることができ、世界の強豪と戦えることを示せました。こうやってみんなで一丸となって強化を続けていけば、日本はパワーハウスになれるし、アジアの中だけでなくて、世界に通用するバスケットボールを作っていけると思います。