「(永久欠番は)うれしいですけど、過分な対応な気がして仕方ないです(笑)」

10月11日、三遠ネオフェニックスはホーム開幕戦において、昨シーズン限りで現役を終えた太田敦也の引退セレモニーを実施した。そして2007年の加入以来、JBLのオーエスジーフェニックス東三河、bjリーグの浜松・東三河フェニックスを含めチーム一筋18シーズンを過ごした地元豊川市出身のフランチャイズプレーヤーとしての功績を称え、彼の背番号「8」を永久欠番にすることを発表した。

引退セレモニーについて太田は「いろいろな人に『お疲れさま、ありがとう』と言われて込み上げてくるものがありました。こういう機会をくれた会社に感謝していますし、セレモニーを実施できてよかったと思います」と語る。これまでの功績から考えると妥当でしかない永久欠番も、謙虚な太田らしく「評価していただけるのはうれしいですけど、過分な対応な気がして仕方ないです(笑)」と答えた。

206cmのサイズとフィジカルの強さを備えた太田は、身体を張ったディフェンスやハッスルプレー、スクリーンなど味方を生かす献身さで、三遠だけでなく日本代表でも活躍した。この輝かしいキャリアに幕を下ろした一番の理由として、「他のチームでやるつもりがなかったのが決め手です」とチームへの愛着を挙げている。実際、太田は引退発表直後の今夏からすぐに三遠の球団職員としてセカンドキャリアをスタートさせており、引き続き『三遠の太田敦也』であることに変わりはない。

「すごくまわりの人たちに恵まれた幸せな選手生活でした」と現役生活を総括する太田だが、山あり谷ありの18シーズンにあってより印象に残っているのは、勝利の歓喜とは真逆の経験だった。

「一番、印象に残っているのは、思った通りにはいかないことです。良いことをイメージしますけど、なかなかうまくいかない、結果が出ないことも多かったですし、プレーがままならないと痛感してばかりでした。特にコロナ禍のシーズンで、5勝しかできなかった時は本当に苦しかったです。どうにもできなかった試合が多く、どれだけ周囲の方に厳しい言葉を向けられるよりも苦しかったです」

ただ、どん底を経験したからこそ得られた大きなモノがあったと太田は続ける。「そういう時期を経たからこそ昨シーズンは中地区優勝、22連勝ができたと思います。結果が出なかった時でも離れないで応援してくれていたブースターさんや、スポンサーさんがたくさんいました。これが地元で愛される、地元でやることの意味と思いました」

1984年生まれの太田の同級生には、日本バスケ界史上に残る双子ビッグマンの竹内公輔・譲次がいる。200cm台で動けるビッグマンは日本バスケ界において稀有な存在だったが、この世代は該当者が3人もいたことになる。『たら・れば』を言ったらキリがないとは言え、もし竹内ツインズと同じ世代でなかったら日本代表でもっとプレーをする機会があったかもしれない。彼らと同級生だったことをめぐり合わせが悪かったと思ったことはなかったのか、そう尋ねると太田は「同い年で良かったと思います」と即答した。

「ライバル、目標となる存在が近くにいたことは良かったです。彼らがいたおかげで変な慢心が起きなかった。先輩や後輩という立場で彼らがいたら、早くに『2人には敵わない』とあきらめがついていたかもしれないです。同級生だからこそ、負けていられないという気持ちを持てたところはありました」

「指導者以外の選択肢もあることを感じてもらいたい」

また、指導者として太田に最も大きな影響を与えた中村和雄についても言及した。太田がキャリア前半で師事した、日本バスケ史にその名を刻むレジェンドコーチは情熱あふれる選手への接し方で知られ、令和の感覚でいうとパワハラととらえれてもおかしくないような叱咤激励も珍しくなかった。

ただ、太田にとっては、中村の叱咤は愛の鞭であり、そこには確かな信頼関係があったという。「ちゃんと自分たちを見てくれていたのはよく分かっていました。カズさんに乗っかって外部からチームを批判する声が挙がると「お前たちが言うんじゃない。言えるのはチームを仕切っている俺だけだ」とシャットアウトしてくれていました。パワハラと思うことはなかったです」

「カズさんほど、自分のキャリアにインパクトを与えてくれた人はいないです。カズさんの下でプレーしていなかったら、ここまで現役を続けられていなかったと思います。自分はあまりバスケットボールが上手くなかったですが、鍛えてもらいましたし、苦しいところから這い上がる気持ちの強さはカズさんが作ってくれたものです」

このように感謝する太田は、引退の報告をしに中村の自宅を訪れたときのことを笑顔で振り返る。「『お疲れ様』と労ってもらいました。褒められることはなかなかなかったので鳥肌が立ちました」

太田は現在、スポンサーへの営業活動や地域貢献活動など精力的に活動中。「これまでスポンサーさんと話す機会はあまりなかったのですごく新鮮ですし、楽しいです。スポンサーさんの意見を聞いてそれを反映されていくことが、これまでお世話になった地域への恩返しにもなると思います」とやりがいを語る。また、今なお触れ合う機会が多いチームの後輩たちに「セカンドキャリアでこういう道もある。自分の姿も見て、指導者以外の選択肢もあることを感じてもらいたいです」と続ける。

選手から球団職員と立場は変わったが、太田にとって「ここが僕の生まれ育った場所で、ここで生活していく上で地域に貢献していくことが僕の務めだと思います」と、自身がやるべきことの本質は変わらない。引き続き三遠への一員として、チームがより地域に根付き愛されるための全力を尽くしていく。