2025-26シーズンをもって輝かしいキャリアに幕を閉じる決断をした千葉ジェッツの西村文男。その経緯について語った前編に続き、中編では千葉Jが強豪へと変貌する重要なポイントとなった、キャリア全盛期でバックアップガードの役割を受け入れた理由について語ってもらった。
ジェッツの運命を変えた起用法と基礎の重要性
──千葉Jにとって大きな転換期となったのが、大野篤史ヘッドコーチ(現・三遠ネオフェニックスヘッドコーチ)体制になった2016-17シーズンでした。西村選手は年齢的にもキャリア的にも脂が乗っている時期でしたが、前年よりチームに加入した富樫勇樹選手のバックアップとしての役割を受け入れられました。この経験も「プレータイムを気にしない」というマインドに繋がっていますか?
あのシーズンはケガもあって自分のパフォーマンスが悪かったのと併せて、人間的にわがままな部分もありました。大野さんもよく他のメディアで「最初に文男をすごく怒った」と話しています(笑)。だから、自分のパフォーマンスをちゃんと戻してコーチ陣にアピールすることと、コーチ陣との信頼を築くことをやらなければないけない1年間でした。序盤は試合にも出られませんでしたが、自分が招いたものなので仕方ないと思っていましたね。パフォーマンスが上がったシーズンの終盤にはプレータイムも増えたので、少しは信頼を勝ち得ていると感じていました。
──移籍は考えませんでしたか?
一瞬考えましたが、大野さんからシーズン終了後に「最後の文男のパフォーマンスや、みんなへの自分の見せ方はすごく良かった。それを来シーズンも続けてほしいし、必要だからチームにいてくれ」という言葉をもらった時に、やってきたことは間違っていないんだなと思えましたね。 次のシーズンで「第2クォーターと第4クォーターのスタートは流れを変えてほしいから文男で行く」という起用法になり、そこで自分のチームでの立ち位置を確立できました。日本を代表するプレーヤーとして35分出場しても疲れ知らずの勇樹が第4クォーターに出場せず、僕で終わる試合も結構あって、ある意味それが自分の中でのステータスになったというか。「勇樹を出さずとも僕で勝てるんだよ」「なんなら僕のほうが良い日があるんだよ」という流れが作れて、逆に楽しみができました。そのおかげで「スタートにこだわらなくて良いんだ」と、自然に気持ちの切り替えができました。
コーチが求めることを誰よりも早く理解すること
──その後、いろいろなポイントガードが補強されましたが、ポジションを守り抜けたのはなぜだったと思いますか?
どんなコーチが来たとしても、誰よりもそのコーチがやりたいことを早く理解して実行したということが大きいのかな。「他の選手とは違う」と個性を出すことも重要ですが、それはコーチの信頼を得た後にすることだと思っています。大野さんの時は1年間苦労しましたが、ジョン・パトリックの時もトレヴァー・グリーソンの時も同じ姿勢で信頼を勝ち得てきました。まずはコーチのやりたいことをやった上で「自分はその中でこういう個性が出せるんだよ」「こういう働きをしてチームを勝たせられるんだよ」というものを出すのは誰よりも得意だと思っています。
──西村選手はアニメなどのサブカルチャーやファッションが好きで、「バスケオタク」という印象がありませんが、バスケットのIQが高いですよね。どのようにアップデートしているのでしょうか?
練習中は誰よりも頭を使っている自信があります。プライベートにバスケは持ち込まないようにメリハリをつけているので、ギュッと質を高めて詰め込むようにしています。あとは、基礎がしっかりとできていることも影響していると思います。コーチによって求められるものが変わりますが、これまでに作り上げた基礎があるからこそ、どんな要望に対しても早い理解力を発揮できたと思います。
──その基礎はどのように作り上げられたのですか?
やっぱり一番重要なのはディフェンスですかね。小学生の時からいろいろなコーチからディフェンスのスタンスや、ヘルプの位置といった基礎を教わった経験があったので、コーチが守り方を変えてもすぐに対応できました。中学2年生の時には、今でもずっと大事にしていることに気づかされる出来事がありました。
──ぜひくわしく聞かせてください。
新しく来たコーチが、オフェンスに関しては一つも口を出さないけど、リバウンド、特にディフェンスに対して厳しい人だったんです。僕は当時リバウンドにまったく行かず、ディフェンスもサボって得点ばかり取っていたんですが、そのコーチに初めて「なんでお前はリバウンドもディフェンスもやらないんだ。オフェンスは自由にやらせているんだから、ディフェンスは全員でやらなきゃダメだ」と言われて。ディフェンスを全員でやらないとチームに歪みが生まれる、ということを教えられたんですね。そういった教えを若い頃から様々な方に教わってきて今の自分があるので、これまで関わってきていただいたコーチの方々には本当に感謝してます。
──千葉Jでのキャリアの中で特に印象に残っていることはありますか?
思い返せば、大野さんから教わることは多かったです。他の選手への自分の見せ方とか、簡単に言うと人としてどう成長するのかということとか。僕は割とわがままなタイプだったので、バスケに限らずいろいろなことに対して気付きを与えてもらいました。バスケでは特にディフェンスに対して細部までこだわっていたので、その数年間を大事に過ごして得た財産が、その後のジョン体制でも今でもすごく生きているなと思っています。