実業団で輝かしい実績を残し、新たな挑戦へ「『行くべきじゃないか』と感じました」

実業団チームの日本無線で全国制覇やMVPを経験し、2023年1月まで立川ダイスに所属した福田大佑が、アメリカ独立リーグABAに加盟する静岡ジムラッツのツアーに参戦した。ストリートボールチームのUNDERDOG(アンダードッグ)で活躍を続ける38歳のベテランは、初めて本場のバスケットに触れたことでさらなる向上心をかき立てられている。

——自己紹介をお願いします。

UNDERDOGの福田大佑です。今年で39歳になります。東京都出身で小学5年生でバスケットを始めました。中学時代は関東大会に出場し、外部コーチの三木力雄さん(現金沢武士団ヘッドコーチ)の紹介もあり、京都の東山高校に進みました。洛南高校に勝てず全国大会の経験はありませんが、3年時に国体のメンバーに入って全国3位になりました。大学は法政大学に進学し、3年までなかなか試合にからめませんでしたが、4年時にはプレータイムも増えて、インカレは準優勝でした。

当時のスーパーリーグやbjリーグのチームには縁がなく就職先を探していたところ、日本無線のマネージャーさんが誘ってくださって11年間プレーしました。全国大会で優勝し、最優秀選手賞もいただきました。

ストリートボールとの出会いは2014年です。1オン1のトーナメント『Red Bull King of the Rock』に参加してUNDERDOGの三井秀機さんや眞庭城聖(滋賀レイクス)、落合知也(ALPHAS 3×3 BASKETBALL、東京五輪3人制日本代表)の戦いぶりを見て、UNDERDOG入りを決意し、今に至ります。眞庭や落合からは本当に良い刺激を受けています。

――38歳にしてトップアマチュアとしてバスケットボールに向き合うメンタル、バイタリティーの源は何だと思いますか?

自然体な感じです。ただ、UNDERDOGの名のもとにバスケをしている時のギアの入り方は全然違います。UNDERDOGとしてSOMECITYやALLDAYなどに出場して、年に数回、自分がどのレベルで頑張れているのか、何を積み上げてきたのか、答え合わせができる。それがモチベーションになっているのかもしれません。特に春のALLDAYはBリーグのシーズンを終えたプロ選手たちも参加してくれるので、その意味合いは強いと思います。

――今回、静岡ジムラッツで海外に挑戦しようと思ったきっかけは?

実業団でプレーしながら会社員として働いてきました。40歳を前に将来を考えて「退職しよう」というタイミングがあり、ALLDAYを運営していた秋葉直之さんと、ジムラッツの代表であるTさん(岡田卓也)にABAツアーの話をいただきました。「行くべきじゃないか」と感じたし、秋葉さんも背中を押してくださり、決断しました。人との繋がりに恵まれていると思いました。東山への進学は三木さんの縁でしたし、ストリートボールに出会ったきっかけは秋葉さんでした。長くバスケットをしていると面白い縁が続くんですね。

静岡ジムラッツ

8時間超の車移動、化け物たちとの対戦…「最後は『もう終わっちゃうんだ』という感覚になりました」

――ABAはアマチュアリーグではありますが、大学までプレーしていた選手がいるなどレベルが高いリーグです。1年に10~15試合を3~4週間の期間で行うツアーに参戦してみて、いかがでしたか?

通用すると思っていたら通用しなかったこともありましたし、逆に「まさかこういう部分が通用するとは』という、うれしい発見もありました。行かないと分からないことが多かったですね。

——具体的にはどのようなプレーが通用し、どのようなプレーが通用しませんでしたか?

僕は身体能力が高くないので、シュート力とフェイントのリアリティーなどで勝負しました。日本では主戦場が4番ポジションだったのでペイントエリア周辺の1オン1を得意としていましたが、アメリカでは通用すると思っていなかった。ところがそのエリアのほうが勝負できました。うれしかったし、自信に繋がりました。また、ポンプフェイクや、ステップワークからポンプフェイクに繋げるプレーへのリアクションは日本よりも良かったです。ファウルを誘ってフリースローをもらったり、かわして得点もできたので驚きました。逆に3ポイントシュートに固執すると、相手が手を打ってくるのが早くて確率が落ちてしまいました。

——ABAツアーの名物とも言える、車での長距離移動、睡眠生活も経験したそうですね。

2日目、3日目は本当に来なければよかったと思いました(笑)。ダラスの空港に着いたら車に乗せられて、クリーブランドの近くまで24時間ぐらい運ばれました。試合をしたらまた車に乗って、次の会場があるアトランタ州に7〜8時間ぐらいかけて移動。時差ボケか何なのかよく分からないコンディションでした。

――様々な地域を回って、いろんなチームと対戦する中で、日本のバスケの違いをどのように感じましたか?

僕がプレーしたのは10試合程度で、正直対戦チームにレベルの差はありましたが、個々のレベルはとにかく高かったです。どのチームにも化け物みたいな選手が必ずいました。きれいとは言えない小さな体育館で行われたゲームにも、サイズが大きいのに、ボールをハンドルしながら3ポイントシュートを立て続けに入れてくる選手がいました。スキルや身体能力による派手なオフェンスは目立ちますが、それ以上に段違いだったのは、ディフェンスやルーズボールなど1ポゼッション、一つのボールに対する執着心です。今回、最も感動した部分です。

――日本のプレーヤーは海外のプレーヤーと比べてハングリーさが足りないと、よく言われます。

僕は高いレベルでプレーしていないので何とも言えませんが、プロ選手はみなハングリー精神があると思います。それでも、日本人がバスケに取り組む文化として「ハングリー精神が足りない」と言われてもしょうがないと納得してしまうほどの差がありました。

――今回のツアーで得たものはどのようなものでしたか。

人間力の成長に繋がりました。ちょっとのことでは動じなくなったと思います。車の中という限られたスペースの中で、長時間一緒に過ごすチームメートたちと気持ちを高め合う方法を考え、行動することは、チームスポーツの何たるかというところにも繋がっている気もします。不機嫌に振る舞うほうが簡単なのは、バスケットだけでなく職場も一緒。辛い経験こそが人間力に繋がると思えました。ツアー中は考えられないことが立て続けに起きたんですけど、それも含めて結構楽しかったんですよ。最後は「もう終わっちゃうんだ」という感覚になりました。

――どの年代になっても挑戦し続けるべきだ、という人生観になりましたか?

年を取ると新しいことに参加できる時間を作るのが難しくなります。チャンスがあるなら挑戦したほうがいいと言えますし、とにかく若いうちに経験したほうがいいと思いました。文化の違いに触れるのも良いと思います。飲食店で注文するにしても、英語ができなくても慣れてくるんです。僕もこの年になっても新しいモノを怖がらずに受け入れられるようになりました。現地を見て、感じていろんな価値観がアップデートされたので、今後はこれをどう還元するか。自身のキャリアに繋げていきたいという思いもありますし、「もう年だ」というのもつまらないので、チャレンジと還元を両立できたらいいですね。