ヌニ・オモット

「国旗を掲げてこんな華やかな舞台に立てるなんて信じられない」

南スーダン代表のヌニ・オモットは予期せぬ形で有名になった。ワールドカップ3試合目のセルビア戦、終盤にローポストでボールを持った彼はシュートを狙いに行き、ブロックをかわすためにターンした際に突き出した肘が相手選手の脇腹に当たった。荒っぽいが悪質ではなく、審判はファウルを取らなかった。それでも相手のボリサ・シマニッチは動けなくなり、最終的には腎臓の片方を摘出する大きな事故へと発展した。

オモットの肘打ちはきっかけでしかなく、本当の要因は合併症だ。それでも彼には批判が集中し、その中には人種差別的なものも多数あった。彼にできたのは「深く悲しんでいる。一日も早い復帰を祈る」というコメントを出すことだけだった。

バスケファンが本当に目を向けるべきは、この不幸なアクシデントではなく、セルビアと南スーダンがワールドカップで見せた素晴らしい戦いだろう。セルビアは銀メダルを勝ち取った。期待されていなかった新興国の南スーダンは、1次リーグを突破できなかったものの3勝を挙げ、順位決定戦に回ったチームの中では最高の17位に食い込んだ。オモットはチーム2位の14.4得点を記録して、チームの躍進に貢献している。

オモットの半生は波乱万丈だ。スーダン人とエチオピア人の血を引き、ケニアで生まれた彼は、2歳の時に難民として母と兄弟とともにミネソタへやって来た。この時、一緒にアメリカに渡ることができなかった父親とは20年間離れ離れで暮らすことを余儀なくされた。オモットは母と兄に生活の面倒を見てもらいながら、最初はアメフトで、身長が伸びたことでバスケで大学へと進む。2018年のNBAドラフトにエントリーするも指名されず、ウォリアーズの一員としてサマーリーグに出場するも契約は勝ち取れなかった。その後はGリーグを経て、様々な国を渡り歩いてプロ選手としてのキャリアを築いている。

南スーダンは2011年に国連加盟が認められた、世界で一番新しい国家だ。南スーダンとアメリカのパスポートを持つオモットは、昨年2月に南スーダン代表の招集に応じ、ワールドカップ予選でデビューを果たしている。国家として認められはしたが、政情不安が続いて経済成長もストップしている南スーダンで、代表の活躍は人々の大きな希望となった。国ができた時にはすでにアメリカでバスケをしていたオモットも、それがどんな意味を持つかは理解している。

これまでオモットは、生活のための手段としてバスケをプレーしてきたが、南スーダン代表としてのプレーはまた違った意味を持つ。大会最終日に彼は「国旗を掲げてこんな華やかな舞台に立てるなんて信じられない。すべてが夢のようだ」と話す。「2次リーグには進めなかったけど、僕たちは南スーダンのバスケの未来を人々に見せたいと思っていたし、それは果たせたと思う」

「僕らの国は貧しい。屋内のバスケットコートが一つもないような国で、みんなまともなシューズなんか履かずにプレーしている。だから僕たちは恵まれている。僕がバスケをしたいという夢をかなえられたのは家族のおかげだ。かつての僕と同じような子供たちが国にはいっぱいいて、その子たちに夢を与えたかった」

ワールドカップの17位はアフリカ勢の1位であり、南スーダンはパリオリンピックの出場権を獲得した。これは南スーダンにとって、あらゆる競技で初めてのオリンピックの出場権となる。来年も南スーダンの子供たちは、代表チームの活躍に胸を躍らせるだろう。オモットは、それが限定的ではあっても南スーダンの未来に繋がると信じている。

彼はこう言って大会を去った。「南スーダンは才能の宝庫だ。これからたくさんの若者が出てくるから見ていてほしい」