5月23日、越谷アルファーズの畠山俊樹が現役引退を表明した。2014年よりプロバスケットボール選手としてのキャリアをスタートし、数々のチームに貢献してきた畠山。2022年からはバスケスクールのコーチとして、育成や海外挑戦を目指している子どもたちへの指導にも力を注いできた。
そんな畠山が選んだ次のステージは自身の母校でもあり、八村塁(レイカーズ)や安藤誓哉(島根スサノオマジック)など多数の名選手を輩出した仙台大学附属明成高校男子バスケットボール部の指導だ。在籍時には1年時よりメンバー入りし、3年時のウインターカップでは優勝、ベスト5受賞という輝かしい功績を残した。故・佐藤久夫コーチが築き上げてきた伝統に『畠山スタイル』が加わる今後の明成に注目したい。
同期とよく「僕らの代が一番怒られたよね」って話をします。
——明成の監督に就任が決まるまでの経緯を教えてください。
プレーオフで負けたその日、(佐藤)久夫先生に電話をしようと思っていた時に、関係者の方から「久夫先生の体調が良くないのでコーチになってほしい」と連絡がありました。その時はトレーナーの方がチームを見ていて、1人で複数の業務をやるのがめちゃくちゃ大変だというので、すぐに仙台に帰りました。久夫先生にはなかなか会えなかったんですけど、越谷に帰る日に先生から連絡があって自宅に行き、話をしました。先生はすぐに来てほしいということだったんですが、越谷との契約があと1シーズン残っていたので「行きたい気持ちはあるけど少し待ってください」とお伝えしました。その後クラブに事情を話し、「久夫先生のためにも明成高校の生徒のためにも仙台に戻りたい」と伝えたところ、その気持ちを尊重してくれました。久夫先生と話をしてから1週間で引退が決まったと言いますか、腹をくくりました。
——高校時代にはどのような思い出がありますか?
同期とよく「僕らの代が一番怒られたよね」って話をします。4時間ぐらい体育館にいて、練習はトータル30分ぐらいしかやってないんじゃないかってぐらい怒られていましたね。メンタル的なキツさはあったけど、久夫先生は人間性をすごく大事にしてくれるコーチだったので、ある時にガラッとチームが変わって勝てるようになりました。僕らの代はウインターカップで優勝して良い終わり方をしたと思われていると思うんですけど、東京入りした後も全然ダメで「これで本当に試合になるのか?」ってぐらいの感じだったんですよね。それでも蓋を開けてみたらトントン拍子に勝っていって、1試合1試合成長していきました。決勝の福岡第一戦もいろんなアクシデントがあったけど優勝まで持っていけたので、やっぱり先生はすごいなって思います。高校時代はとにかく怒られていたので「先生にバスケットを教えてもらったのかな?」みたいな感じでしたけどね(笑)。 でも、僕が一番うまくなったのは間違いなく高校時代です。
——そんなに怒られたにも関わらず、畠山氏にコーチ就任の白羽の矢が立ったのは何故だったのでしょうか?
久夫先生的には仙台出身の明成OBでという思いがあったと思います。それに当てはまるのは僕か伊藤さん(伊藤駿、現富山グラウジーズ)なんですけど、伊藤さんは指導者っていうタイプではないと思うので、僕なのかなと。久夫先生は小さい時から僕のことを見てくれていて、親とも知り合いだったので、早くから「俺が絶対育てるから、俺のところに来い」と言ってくださっていました。実は僕、高校2年生の時に1年ぐらいバスケットができない時期があって、その時に先生からコーチングを学んで「コーチングって面白いな」、「先生のバスケットは面白いな」って思ったんです。先生からも「高校を卒業したら仙台大学に行きながらコーチングの勉強をしてほしい」って言われたんですけど、プレーヤーとして復帰できる目処が立ったので青山学院大に進学したという経緯があります。もしかしたら、その時から先生はいつかは僕に、と決めていたのかもしれません。僕自身も、先生がそういう気持ちでいてくださるんだったら、引退した後は先生の下で勉強をさせてもらって、いつかは任せてもらおうと考えていました。
——結果を残さないといけないなど、プレッシャーはありますか?
めちゃくちゃありますよ。1年後に越谷の契約が切れて、先生の下で1〜2年コーチングを学んで、リクルートや進学のアドバイスをもらいつつやっていきたいと思っていたので、めちゃくちゃ不安です。久夫先生のバスケをしたくて明成に来る子たちが「先生じゃないなら行きません」となるのも申し訳ないと思うんですが、それはもうしょうがないことかなと割り切っています。僕は先生と同じようには絶対にできないですし、まったく同じ考え方でやることも絶対に無理なので、先生の築き上げてきた明成の伝統を踏まえつ つ、僕自身が今まで大学とプロで経験したモノをプラスアルファで積み上げていけたらと思います。
「選手たちの人間性の部分を成長させなければいけない」
——スクールでの指導経験はお持ちですが、高校を指導するのは初めてですよね。
そうなんです。今の子ってめちゃくちゃスキルが高いので、タイミングやスペーシングなど必要なところを教えていかないといけないと思うんですけど、やっぱり一番は人間性の部分で成長させなきゃいけないですよね。15歳から18歳って本当に大事な時期だし、高校生活はバスケだけじゃないので。そこの部分で子どもたちに響く言葉を伝えるためにも、いろいろと勉強していかないといけないと思います。
——スクールで子どもたちに指導する中で、学びになった部分はありましたか?
子どもたち一人ひとりで感覚や身体の使い方、技術が違うので、その子に合わせた指導をしなければいけないなと。もっともっとバスケットを知らないといけない、学ばないといけないと気づけたので、めちゃくちゃ勉強になりました。子どもたちから「試合に出られるようになりました」、「試合で勝てるようになりました」、「活躍できるようになりました」っていう声をもらって、コーチングのありがたみや楽しさ、大事さにも気づけました。
——明成の指導者として、実現したいコンセプトはありますか?
今の1年生から3年生は久夫先生のバスケをしたくて明成に来ている子たちなので、先生のスタイルを壊さずにいきたいです。先生のバスケをしつつ、気づいたことがあれば言うスタイルがいいかなと思っています。僕自身のスタイルを築き上げていくのはその後かなという感じですね。今の明成の子たちはみんなすごく能力が高いですし、技術もあるので、考え方を埋め込んでいければ勝てるんじゃないかと思っています。
——目指しているところは?
やっぱり卒業生の八村塁(レイカーズ)や山﨑一渉(ラドフォード大学)、菅野ブルース(エルスワース・コミュニティカレッジ)にあこがれて入ってくる子がめちゃくちゃ多いんです。なので、世界基準を考えて高校3年間で必要なことを教えていかなければいけないと考えています。アメリカはもちろんヨーロッパ、今だとオーストラリアもレベルが上がってきているので、選択肢はいろいろあります。僕はプロとして活動した9年間でいろんなエージェントと仕事をして繋がりを持っているので、そこは自信を持って提供できると思います。 もちろん全国優勝するためのチーム作りもしなければいけないと思っているし、それはそれでめちゃくちゃ楽しみなので。全国制覇を目指してくる子たちのためにいろいろとやってあげたいと思いますね。
——負けたくないチーム、戦ってみたいチームはありますか?
いや、下っ端のコーチが言うのもって感じなので。今はいろんな高校に胸を貸していただき、もっといろいろなコーチングを勉強するために、様々な方のお話ややり方を学ばせていただきたいです。
——この記事を読んでいるみなさんにメッセージをお願いします。
高校バスケの指導者になるということで、僕の姿を見てもらえる機会は少なくなると思いますが、大会やカップ戦でいろんな都道府県で試合をする機会があるので、近くで試合がある時は会場に足を運んでいただき「明成高校ってこういう子がいるんだ」って思っていただけたらうれしいです。コツコツ頑張るので、変わらず応援をお願いします。