吉田亜沙美が語るバスケ部時代vol.4「負けることで学んだ『キャプテンの覚悟』」

2016/12/25
Bリーグ&国内
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文=三上太 写真=三上太、野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 吉田亜沙美(よしだ・あさみ)
1987年10月9日、東京都出身。学生時代から常に世代のトップを走り続けるポイントガード。日本代表とJX-ENEOSサンフラワーズの頼れるキャプテンとして、スピードあるゲームメイクとアグレッシブなディフェンスでチームを引っ張る。リオ五輪ではチームを20年ぶりのベスト8に導き、自身はアシストランキング1位に。コートネームは「流」(リュウ)。

キャプテンだからすべての責任を背負って、攻めよう

高校生活で一番印象に残っているのは3年生の時の千葉インターハイで優勝したことです。1年、2年次はあと一歩のところで負けていたから、今度こそ自分たちの代で勝ちたいと思っていました。伊沢との約束もあったし。その年のインターハイは途中で福岡の中村学園女子や愛知の桜花学園が負けていって、次は東京成徳大が負けるんじゃないかっていう空気さえ流れ始めていました。

そんな時に下坂先生が「私たちは挑戦者なんだから、何も失うものはない」と言ってくださって、それでみんなの肩の荷が下りたというか、「そうだ、私たちは挑戦者だったんだよね。これまで優勝したことがなかったんだよね」と言い合って、まとまることができました。優勝した時は本当にうれしくて、泣けてきました。

でも、その年の東京成徳大学高校って決して強くはなかったと思うんです。今思えば、このメンバーでよくインターハイと国体を優勝できたなって思えるメンバーだったんです。奇跡じゃないかって。

だからウインターカップで中村学園女子に負けたのは、やはり自分の責任だと思っています。ポイントガードだったし、高校ではキャプテンだったのに、自分が背負わなければいけないところで背負いきれませんでした。自分が崩れて、チームも一緒に崩れてしまったんです。

私は基本的にテレビでバスケットを見ないんですよ。自分たちのゲームをビデオで見ることも、ほとんどありません。ただ中学3年の関東大会や、高校3年のウインターカップで負けたことを思い出すたびに、「なんで自分が背負わなかったんだろう?」と常に思います。中学の時はゲームキャプテンだったし、高校でもキャプテンだったのに、なんで背負わなかったのかって。

だからリオデジャネイロ五輪の出場権をかけた2015年のアジア選手権、予選ラウンドで中国と対戦して、1点差で負けている最後のオフェンスでキャプテンの自分が攻めたのも、そこにつながるんです。中学、高校で自分が背負わなければいけない時にパスを回してしまった思いが、あの場面で「自分がこのチームのキャプテンなんだから、すべての責任を自分が背負って、攻めよう」って思えたんです。

自分は良い思いをして学生生活を終えちゃダメなんだな

キャプテンって、他の選手と一緒じゃ絶対にダメだと思うんです。意識や責任感、競った展開の時に自分がどう攻めるか、最後まで強い気持ちを持って相手に立ち向かっていけるか。チームをまとめることは当たり前で、それ以上の責任感を人一倍持っていなければいけないポジションだと思うんです。一つの目標に向かって、チームメートがついていきたいって思える人がキャプテンじゃなきゃいけない。

私はずっとそう思ってきたから、日本代表でも、JX-ENEOSサンフラワーズでも、どうしたらみんなが「リュウについていきたい」と思ってもらえるかを常に考えました。私は言葉で引っ張ることが得意じゃないから、プレーで示すしかない。ディフェンスやリバウンド、ルーズボールもそうだけど、オフェンスに向かっていく姿勢でも、それらを見てみんながついてきてくれるのであれば、私は試合後にぶっ倒れてでもコートに立ち続けます。

実際にチームメートがどう感じるかは分からないけど、私はその思いで、やれるだけのことをやりたい。そんな強い覚悟を持って日本代表のキャプテンを引き受けました。むしろそれくらいの覚悟がなければ、日本代表のキャプテンなんて絶対にやってはいけないと思います。

やっぱり、負けた時に学べることってたくさんあると思うんです。もちろん勝ち続けることも大変なんですけど、負けた時に次をどうするべきかが大切です。私は中学3年と高校3年の負けで、キャプテンとしての覚悟を学びました。

ウインターカップでの負けに話を戻せば、高校3冠を達成するのって難しいんだなって知ることができたし、一方で自分は良い思いをして学生生活を終えちゃダメなんだなって感じました。だからこの借りは実業団に入って優勝し続けること、それで自分が成長していくことで返していこうって思ったんです。

それでも当時はウインターカップの話すら誰にもできせんでした。負けた後に取材があると言われたんですけど「嫌です」と断ってもらったくらい。高校生なりのプライドがあったんだと思います。

そんな悔しさを忘れられたのは友人のおかげです。部活を引退してから、それまでできなかったことをたくさんしました。学校生活の中でバスケット部とは違う友達と毎日会って、たくさん話して、たくさん笑いました。中学の時はあまり学校に行きたいって思わなかったんですよ。だけど高校では、部活動の楽しみもあったけど、それ以前に早く学校に行って、友だちと会いたいという気持ちが強かったですね。

バスケット・グラフィティ/吉田亜沙美
vol.1「姉の背中を追いかけて始めたバスケット」
vol.2「上級生に揉まれて学んだ気遣いの大切さ」
vol.3「初めて味わった『負ける悔しさ』の感情」
vol.4「負けることで学んだ『キャプテンの覚悟』」
vol.5「オリンピックには『人を頑張らせる力』がある」