
2021年夏の『4年5500万ドル』から市場価値を高める
ジェイレン・ブランソンは、1973年以来となるNBA優勝まであと2勝までニックスを牽引している。キャリア8年目の29歳。彼はビラノバ大で3シーズンを過ごし、2巡目33位指名でNBAに入り、最初の3年間は控えだった『遅咲きの選手』だ。
彼にとっての転機は、キャリア4年目の2021-22シーズンだった。この年のマーベリックスは、リック・カーライルからジェイソン・キッドへとヘッドコーチを代えた。カーライルはブランソンを、ルカ・ドンチッチの単なる2番手としか見ていなかったが、キッドは『ドンチッチのベストパートナー』と位置付けた。
2021年秋、キッドの高評価に感激したブランソンは、マブスが提示した4年5500万ドル(約83億円)の新契約に飛び付こうとした。『替えが効く2番手』でも3シーズンの実績がある彼には、もっと良い契約を得られる可能性があったが、ブランソンは「シーズン中に契約のことを考えたくなかった。もっと良い条件を得るよりもリスクを避けたかった」と後に『Bleacher Report』に語っている。
だが、父のリック・ブランソンが強硬に反対した。息子にはプレーに集中させ、彼が当時のオーナーであるマーク・キューバンとニコ・ハリソンGMに対して4年5500万ドルではサインしないと通達した。
この2021-22シーズン、ブランソンはドンチッチと並んで先発し、マブスをカンファレンスファイナルへと導く。特にドンチッチがふくらはぎの肉離れで欠場したプレーオフ序盤に、ブランソンはエースとしてチームを引っ張り、ドンチッチ復帰以降はリーグ最強のバックコート・デュオとしての姿を見せた。
カンファレンスファイナルでウォリアーズに敗れたものの、ブランソンの評価は4年5500万ドルどころではなくなっていた。マブスもそれを理解して大型契約を用意していたというが、ブランソン父子はもう揺れ動くマブスに愛想を尽かし、フリーエージェント解禁とともに4年1億400万ドル(約160億円)でニックスと合意。マブス側はフリーエージェント解禁前に交渉が行われていたと告発し、翌年にニックスは2巡目指名権を剥奪されている。

「僕も自分自身のポテンシャルに半信半疑だった」
ニックスは長年、フリーエージェント市場でのビッグネームを追い求めてきた。ニューヨークという大きな市場と『エンタテインメントの聖地』マディソン・スクエア・ガーデンにスター選手が魅了されると無邪気に信じては、『勝てないチーム』と見なされそっぽを向かれることを繰り返してきた。2022年の夏、ブランソンの獲得には成功したが、ニックスの計画はドノバン・ミッチェルの獲得をもって完了するはずだった。
ジャズはチームの解体を決め、ミッチェルのトレード先を探していた。ニューヨーク出身のミッチェル本人も「ニックスに行くだろう」と予想していたが、1巡目指名権3つと多くの若手を要求するジャズとの調整が難航するうちにキャバリアーズへのトレードが決まった。
2022年夏の時点でのミッチェルとブランソンでは格が違う。そのためファンは「2番手のブランソンは確保できたが、本命のミッチェルは取り逃がした」と受け止めたし、まだ実績の少なかったブランソンに1億400万ドルの4年契約を提示したのは馬鹿げた大盤振る舞いだと見る向きも少なくなかった。
長年勝てないビッグクラブに対する「また失敗した」という嘲笑──。ブランソンのニックスでの挑戦はそこから始まっている。
当時のブランソンは、そんな低評価に反論しようとはしなかった。彼自身、それが仕方ないと受け入れている部分があったからだ。「当時の僕は今のような選手じゃなかった。マブスと同じように、僕も自分自身のポテンシャルに半信半疑だった。マブスでの最後の時期になって、ようやく今のような自分への一歩を踏み出した感じだった」と彼は振り返る。
その後、ブランソンとニックスは自分たちが正しかったことをコート上で証明していく。結果論ではあるが、ミッチェルを取り逃してトレードに使える資産が残ったことが、OG・アヌノビー、ミケル・ブリッジズ、カール・アンソニー・タウンズと今の強力なロスターを構築することへと繋がった。

強固な関係で結び付いたローズ親子とブランソン親子
ブランソンがニックス加入を選び、エースとしての評価を確立する上で、父リック、レオン・ローズとサム・ローズ親子、トム・シボドーの存在は欠かせない。
リック・ブランソンは息子の加入が決まる前の時点でシボドーのアシスタントコーチとしてニックスに加わることが決まっていたが、これはブランソン獲得のための『報酬』ではない。リックが高校生の頃にシボドーの指導を受けたところから両者の関係は始まり、ニックス以前にブルズやティンバーウルブズでもシボドーのアシスタントを務めていた。
ニックスの球団社長を務めるレオン・ローズは、まだ代理人として無名だった1990年代に、リックの代理人を務め、ドラフト外からの叩き上げとして10年のキャリアを築いたリックに伴走した。その縁でジェイレンの名付け親になってもいる。レオンにとってジェイレンは、生まれた時から成長を見守ってきた身内なのだ。
レオンがニックスの球団社長に就任した2020年、ルールで選手の代理人が務められなくなると、彼は息子のサムにジェイレンの代理人を引き継がせた。2人は子供の頃から仲の良い従兄弟みたいなもの。ローズ親子とブランソン親子は、2世代に渡り強固な関係で結び付いている。
だからこそ、ブランソン親子はニックスを選んだし、レオン・ローズは4年1億400万ドルの契約が「高すぎる」と批判されても全く動じなかった。かつてドンチッチとの併用を打ち出したキッドの方針に大喜びしたブランソンは、ミッチェル獲得に失敗してもブランソンをエースとすれば十分だとするシボドーの下で、落ち着いて自分のスキルを高めることに集中でき、それが今の絶対的なエースへの成長に繋がった。

「ルカが彼らしくプレーする前提で自分がどう動くか」
今のブランソンはニックスの『絶対的なエース』だが、マブスでドンチッチの脇を固めていた頃のマインドは失っていない。ニックスはブランソンのクラッチ力に大きく頼りながらも、全員がハードワークし、試合ごとに異なるヒーローが生まれるチームとして快進撃を続けている。
彼は『ドンチッチの相棒』としてNBAで台頭した。キッドがブランソンを評価したのは、ボールを独占してリズムを作ることで『ルカ・マジック』を発動させるドンチッチの隣で、ボールを持つ機会が少なくても黙々と任務を遂行できる点だ。
ブランソンはキッドの構想を理解し、自分なりに築いたスタイルをこう説明する。「ルカのスキルは常識外れで、彼は彼らしくプレーするのが一番で、その意味で僕は与えられた役割を受け入れるべきだと考えた。『もっとボールを持てば』とか『自分が中心になれば』ではなく、ルカが彼らしくプレーする前提で自分がどう動くのがチームにとってベストかを探る。そのマインドセットを持つようになって、物事は上手く回るようになった」
いくらフィジカルが強く、リム周りのフィニッシュ力が高くても、自分一人ですべてを担ってプレーオフを勝ち続けるのは無理がある。ニックスでの最初の数年でそれを悟った彼は、プレースタイルを柔軟に変化させて、チームメートをより多く巻き込むようになった。ブランソンとの最初の数年でそれを理解したフロントも、シボドーとの別れを選択した。そのすべてがあって『今』がある。
NBAファイナル第2戦に勝利した後の会見で、ブランソンは「毎日、自分たちのベストを目指して少しずつ積み上げていく。満足したり、浮かれ気分にはならない。この調子で前に進み続けたい」と言った。
いつも通りの模範解答だが、スター選手らしいリップサービスは彼には似合わない。父リックは「あれは私のスタイルじゃなく、ビラノバ大の流儀だ。ジェイ・ライトが『余計なことは言うな、いつも同じ回答でいい』と教え込んだんだ」と冗談めかして語っている。