PJ・タッカー

「悩んで出した決断は間違っていなかった。だからハッピーだよ」

バックスとネッツがGAME7まで、それもオーバータイムまでもつれる激闘を繰り広げる中で、大きな見どころとなったのがケビン・デュラントとPJ・タッカーのマッチアップだ。ネッツの『ビッグ3』のうち、カイリー・アービングは足首を痛めて戦線離脱し、ジェームズ・ハーデンはハムストリング痛を再発させて100%にはほど遠い状況でプレーしていたが、デュラントは絶好調。誰がマークに付いても止められないほどのパフォーマンスを見せていた。

そのデュラントのマークを一手に引き受けたのがPJ・タッカーだ。36歳のベテランで、ロケッツで4年目のシーズンを迎えていたが、ハーデンがトレードを直訴したことでチームは解体に向かい、シーズン途中にバックスに加入していた。派手なプレーのできる選手ではないが、泥臭くボールに食らい付き、フィジカルなディフェンスのできる選手だ。

その彼はデュラントがコートのどこに行こうがベタリと張り付き、ボールを持っていなくてもコンタクトし続けて体力と集中力を削った。それでもデュラントは毎試合ハイスコアを続け、このシリーズでは35.4得点と異次元のパフォーマンスを見せた。しかし、勝ったのはバックスであり、タッカーだった。両者のバスケットボール選手としての才能の差は歴然としているが、それでもタッカーはデュラントに食らい付き、少しでもシュートの確率を下げようと自分にできることを徹底した。

そのタッカーはGAME7を終えて、デュラントとのマッチアップをどう思うかと問われると「苦しいよ、本当に苦しい。フィジカルでもメンタルでも、あれだけ毎試合でキツかったことはない。1試合がこんなに長く感じたことはないよ。そんな試合がGAME7までずっと続いた。KD(デュラント)のような選手は休みなくアタックし続けるから、1秒たりとも気が抜けない」と答えた。

「でも──」とタッカーは続ける。「このシリーズを通じて、プレーしていて本当に楽しかった。最終的にKDという壁を乗り越えることができて良かった」

危うく敗退するリスクもあった。第7戦の第4クォーター残り1.6秒でデュラントに決められたシュートだ。タッカーはこう振り返る。「3ポイントシュートは打たせなくなかった。ドライブに来た時に、すぐに打つかステップバックすると思ったから、ターンされて混乱してしまったよ。あのシュートは信じられないほど難しいもので、決められた瞬間は思わず笑ってしまった。このゲームが大好きな一人として、彼に感謝すら感じてしまったんだ」

それでも、デュラントが「僕の足が大きすぎた」と振り返るシュートは、彼のつま先が数cmだけ3ポイントラインにかかっており、3点ではなく2点だったことでバックスは逆転負けを免れた。あれが3ポイントシュートだったら勝っていたのはネッツだっただろうし、タッカーは戦犯扱いをされたかもしれない。しかし試合はオーバータイムにもつれ、ネッツとデュラントにはもうエネルギーが残されていなかった。タッカーは延長残り2分を切ったところでファウルアウトになったが、デュラントはオーバータイムで無得点に終わり、バックスが勝利した。

タッカーとデュラントは同じテキサス大の出身で、当時はタッカーもデュラントを勧誘したそうだ。3年でNBAドラフトにエントリーしたタッカーと3歳年下のデュラントは入れ替わりで、大学で一緒にプレーすることはなかったが、常に良い関係を保っている。今シリーズ中の会見でもタッカーはデュラントについて「KDは僕が今まで見た中でも最高のスコアラーであり、弟のような存在でもある。毎年のようにマッチアップしているけど、すごく楽しんでいるよ」と語っている。今回の7試合を通じてタフに戦いながらも時おり笑顔で言葉をかわしていた2人は、勝負に決着がつくと固い抱擁で互いの健闘を称え合った。

そしてタッカーはカンファレンスファイナル進出を大いに喜び、そして誇りを感じている。昨夏の時点で彼は「ヒューストンはブルーカラー(肉体労働者の街)で、自分のように泥臭くハードワークをこなす選手を愛してくれる」と語り、ロケッツでキャリアを終えたいと宣言していた。しかし、ハーデンの移籍で状況は一変し、悩んだ末にバックスへと移籍した。

「シーズンが始まってすぐ、自分がどこに行って何がしたいのか、どのような状況でどんな役割をすれば上手くいくのかをすごく考えた。それで今の状況がベストだと考えたんだけど、実はプレーオフで勝った相手(ヒートとネッツ)は移籍を検討していた2チームだ。悩んで出した決断は間違っていなかった。だからハッピーだよ」