公立校の強豪、広島皆実で『育てて勝つ』村井幸太郎コーチ(前編)「心技体の心と体で全国トップを追い越す」

公立校の強豪、広島皆実で『育てて勝つ』村井幸太郎コーチ(前編)「心技体の心と体で全国トップを追い越す」

2020/11/25 12:00
村井幸太郎

広島皆実は今年も男女のバスケ部が揃ってウインターカップに出場する。男子は16回目、女子は22回目の出場とすでに全国大会の常連だが、公立校であるため留学生はもちろん特待生もいない。「広島皆実でやりたい」と入試をクリアして入学してくる地元の選手を育て上げ、全国で戦える女子チームを作る村井幸太郎コーチに話を聞いた。

「勉強して成長し、ちゃんと教えればチームは強くなる」

──まずは村井コーチの自己紹介、指導者としてのキャリアの紹介からお願いします。

私は広島県の大竹市で生まれ、呉市で育ちました。姉の影響でバスケを始め、たまたま地元の中学校が呉で一番強いチームでした。中学でバスケだけでなく人間的にも魅力のある方に指導していただいたのが、自分も教員になりたいと思うきっかけになりました。当時の広島県で6連覇していた県立広島商業に進み、9連覇までは自分が選手として活動しました。そこでも素晴らしい指導者との出会いがあり、教員になってバスケを教えたいとの気持ちで大阪体育大へと進みました。大学ではもうプレーする気はなかったのですが、始めたら夢中になってしまいましたね(笑)。

大学を卒業した時が広島アジア大会の前で、大竹市がバスケの試合会場になるということで大会準備にかかわり、2年目から教員になりました。最初の赴任は三原という広島東部の進学校でしたが、県立広島商業と言えば名門なので「広商のOBが来た」ということで男女のバスケットボール部を指導することになりました。三原高校で8年、次に母校の広島商業で8年、そして今の皆実に来て14年目になります。今が53歳ですから、教員になってちょうど30年ですね。

広商の7年目に初めてインターハイに出場し、皆実では夏と冬で20回近く、国体チームも見させてもらっていたので、全国大会の経験は20回ぐらいはあります。2012年の広島ウインターカップでベスト8、2017年のウインターカップでベスト8が最高の成績です。

──ウインターカップで優勝候補と見なされるチームは私立校で、全国から選手を集めるのが当然ですし、留学生プレーヤーがいるチームも少なくありません。公立校の広島皆実で全国の壁を乗り越えるために、一番大事にしていることは何ですか?

県内の選手が中心なので、限られたメンバーの中で高さよりも平面で強みを作ることです。そうなるとスピード感や粘り強いディフェンスができるチームになります。『心技体』と言いますが、技術的なことで全国トップの選手に追い付くのは難しいですから、まずは心と、平面的な部分での身体であれば追い付けるし、追い越すことができると考えています。

──30年に渡り指導されていればベテランの域かと思いますが、時代によって指導を変えたポイントなどありますか?

上を見れば60代、70代でやられている先生がいますので、まだまだ若造だと思っています(笑)。指導については私自身、高校時代は本当に怒られてばかりで、指導者になった当初は正直なところ、自分が怒れば怒っただけチームは強くなる、ぐらいのことを考えていました。しかし教員になってすぐに山口県の指導者講習会で、長崎県の鶴鳴高校の山崎純男先生が講演をされるというので、知り合いに誘われて参加したんです。怒るのではなくちゃんと教えればチームは強くなる、そのためには指導者が勉強して成長しなければならない、という話がその時の私には目からウロコで、それが一つのターニングポイントになりました。

その頃から黙って見守って、それで教える、という指導を心掛けるようにしました。思うようにいかないことが溜まってくると怒ってしまい、「しまった、またやってしまった」と反省してまた見守る。そうこうしているうちに怒る時間が短くなっていったと思います。特に今の子供たちは怒られる環境で育っていないので委縮してしまいます。極端な言い方ですが、赤ちゃんに1から10まで教える気持ちがあれば、腹も立たないし寄り添うことができます。そうやって寄り添う指導が大切だと思っています。

村井幸太郎

実娘が3年生の選手「学校に入れば先生と生徒」

──村井コーチの息子さんがスキルコーチとして選手たちを教えていると聞きました。これはどういう経緯で始まったんですか?

息子が3人いるのですが、上の2人は最初は野球をやっていて、その後にミニバスを始めました。三男だけは上の2人と違って、生まれた時からバスケが上手になるにはどうしたらいいかを考えている感じでした。小学校2年の時に「バスケが上手くなるにはどこに行ったらいいのか」と聞くので「ミニバスの強い沖縄じゃない?」と答えたら、一人で飛行機に乗って沖縄の北谷第二小学校で5日間の合宿に参加してきました。5年生の時にもう一度行き、その時に津山尚大くんと仲良くなりました。今でも一緒に食事に行ったり、仲良くさせてもらっているようです。また津山くんの中学校の恩師が宮城司コーチで、彼は私の大学の2つ下の後輩だったという縁もあります。それで今でも親子で津山くんのことは応援させてもらっています。

その三男は洛南を出て同志社大学でプレーし、卒業後は指導者になりたい、学校の先生ではなくバスケの指導者になって強いチームを作りたいというので、語学留学とスキルの勉強を兼ねてアメリカに行きました。今も向こうに行きたいのですがコロナの影響があって行けず、それでウチの選手を指導してくれています。

──娘さんも同じチームですね。

娘が今3年生です。ただ学校に入れば先生と生徒ですし、2人だけになっても娘は敬語で話してきます。そこは上手く切り替えてやっています。最初は寮に入れと言ったんですけど、「それだとずっと先生と生徒になってしまう、学校では切り替える」と言って寮に入らなかったんですね。実際、娘は私以上にしっかり切り替えていますし、家に帰れば父と子供なんですが逆にバスケの話は一切しません。私も学校で特別に目をかけるようなことはないし、他の選手に気を使わせないように考えています。

──チームを指導する上で一番大事にしていることを教えてください。

コートの中で一番しんどい時にその人の人間性が出ると思っています。バスケットが上手いけどバスケがなかったら何の魅力もない子ではなく、バスケじゃなくても「この子は勉強を頑張れる」とか「この子は気を使える」とか、クラスや先生方に必要な存在だと思ってもらえるように。そうなればコートの中でも人間味豊かな感じでプレーでき、プラスになると思っています。私としてはバスケも教えますが、そういった当たり前のことをきっちり指導することも大切にしたいですね。

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