楠元龍水

2018年、延岡学園バスケットボール部の名は悪い意味で全国に伝わった。試合中に選手が審判を殴打し、口を10針縫うケガを負わせる事件を起こしたからだ。全国から批判される中、チームは新体制で出直しを図った。この時からチームを率いるのが楠元龍水だ。尽誠学園ではのちにNBAプレーヤーになる渡邊雄太と切磋琢磨した仲。キャリアを通じて指導者にも恵まれ、刺激に事欠かずに成長してきた26歳の若き指導者は、責任感と野心を持って日々の練習に取り組んでいる。

尽誠学園で学んだ『人よりも努力するマインド』

──まずは自己紹介と、指導者を志したきっかけを教えてください。

鹿児島出身、今年で26歳の楠元龍水です。地元の鹿児島で行われた全中が中学校3年の時で、清水中というチームで全国2位になっています。控えの選手でしたが、どうしても高いレベルでバスケットがやりたいので県外への進学を希望して、いろいろな縁があって尽誠学園に進学しました。尽誠学園では2年連続でウインターカップ準優勝なのですが、2年の時はベンチには入っていたんですけど戦力ではなくて、3年では試合に出て準優勝です。その決勝の相手が延岡学園でした。

もともと教員志望で、中学生の頃からミニバスに顔を出しては小学生にバスケを教えて、子供たちにバスケットを教えるのが好きでした。京都教育大学を出たら鹿児島に帰ろうと思っていました。母子家庭で母に迷惑をかけたし、地元のバスケを盛り上げたいという気持ちもずっとあったので。ただ、そこで中学の恩師が延岡学園に行っていて、お誘いをいただきました。迷ったんですけど、宮崎から鹿児島であれば何かあったら帰ることのできる範囲だからと決めました。

──尽誠学園ですから、色摩拓也先生の教え子ですね。尽誠学園を選んだ理由は何ですか?

尽誠学園とまた違う県外の2校を紹介していただいて、練習見学に行ったんです。初日が尽誠学園で、その翌日に別の高校というスケジュールだったんですけど、尽誠学園の練習の雰囲気を見て、色摩先生と話をして、「もう尽誠に決めた!」と(笑)。親は翌日の段取りをしてくれているんですけど「俺は行かない、ここに決めた」と言うぐらい強烈な印象だったんです。

私が変わるきっかけになったのは高校1年の最初の大会です。私はメンバー外でしたが、相部屋の先輩がメインで出ている選手で、一緒に行動していたので早めに寮に帰ってくつろいでいたんです。そしたら教官室に呼ばれて、「お前は何をしにここに来たんだ、体育館を見てみろ」と。同級生だけじゃなく試合に出ている選手もシューティングしていたんですよ。それで「俺は何をやってるんだ」と思って、人よりも努力するマインドに切り替えました。それからは誰よりも早く朝練に行く、自主練の時間になったら最初にシュートを打つ。そういう姿を見てくれるのが色摩先生という指導者でもありました。

──渡邊雄太選手とは同期でチームメートです。かなり仲が良いと聞いていますが、どんな関係ですか?

高校からの出会いですが、3年間ずっとシューティングパートナーでした。在学中からすごい努力するやつなんですよ。日本代表クラスが朝6時からシューティングするんですから、私は朝6時じゃダメなんです。そういう意味で常に彼より先に体育館に行くようにしていたんですけど、そういう意味では彼より努力しなきゃいけない、彼に認められたい、という気持ちはすごく強かったです。お互いに切磋琢磨する関係でした。

卒業後も彼がアメリカに行って、一時帰国して香川に帰る時は、一度京都に来て私の狭いアパートに泊まって、教育大の体育館で夜中にワークアウトすることもありました。彼がアメリカでどれだけ頑張っているのか、それをずっと見て肌レベルで一番感じているのは私だと思います。おかげで高校時代より今の方が良い関係ですし、ともに過ごした期間はたった3年間でしたが、それ以降の関係性もあり、彼のブレない信念だとかメディアでの受け答えだとか、本当にしっかりしていると素直に思います。私は舌足らずなので、あいつからしょっちゅう日本語を訂正されるんですよ。なんでアメリカにいるお前に日本語を直されるんだ、って(笑)。でも、そういうきっちりしているところも本当に尊敬しています。

楠元龍水

「渡邊雄太に刺激を与えられる存在にならないといけない」

──今に至るまで強い結び付きがあって、お互いに尊敬し合える仲間がいるのは素晴らしいことですね。

これは高校時代から思っているのですが、与えてもらうだけでは良い関係になれなくて、私が渡邊に刺激を与えられる存在にならないといけないというのがすごくありました。彼がアメリカに行って、私は関西リーグでしたけど、頑張って結果を出せば「俺も頑張ろう」ってあいつは思うだろうと。そんな話で同級生を鼓舞したこともあるし、今でもその意識は持っています。

そういう意味では私は周りの縁に恵まれて、その方々のおかげさまだと最近つくづく感じています。渡邊とは毎日連絡を取って、アホな話もするんですけど、バスケットの話で「こういうところで悩んでいる」と言えば選手目線で答えをくれます。色摩先生とも頻繁に連絡を取っているのですが、指導のことで答えを教えてくれたり、答えは言わなくても気づきを与えてくれるような一言をくれたりします。だから今でも私は色摩先生の教え子という意識ですね。そうやって周りに支えられているので、バスケットに対する情熱が下がることは絶対にないですね。

──もともと楠元コーチは延岡学園の中学校で教えていました。ところが2018年に留学生が審判を殴打する事件が起きて、当時の川添裕司コーチが責任を取る形で退任したことで、楠元コーチが高校のバスケ部を指導することになりました。不祥事をきっかけにチームを率いる難しさがあったと思います。

もともと高校バスケに魅力を感じていて、だからこそ延岡学園に来たのですが、自分の中学校の恩師である川添先生が高校の場で頑張っておられました。自分としては10年後ぐらいに代替わりで、という感覚だったんです。あんな事件があったので、「バスケットボールだけやっていても君たちは評価されない、良いチーム、良い青年でないと延岡学園が応援されることは二度とない」と選手たちには言いました。

4年前の3月31日、就職するために延岡に行く電車の中で、「今から自分は選手ではなく指導者だ、一指導者の楠元龍水として何が教えられるのだろうか」と考えていたのを今も覚えています。その中で出た答えは、楠元龍水自身がバスケットボールを通じて人間形成されたということでした。バスケットボールを通じて良い人財を育てたい、それが私のコーチングフィロソフィです。事件の後、選手たちが求められたのは技術云々ではなくその部分でした。

今振り返ったら、当事者の留学生は帰国していますし、事件を機に転校した子もいます。あの時の3年生たちとは昨日ちょうど会う機会がありました。私はプレッシャーを感じることなく毎日必死でしたが、彼らは私よりずっとしんどい思いをしていたと思います。事件をきっかけに私がコーチをやるようになり、応援されるチーム、魅力的な高校生を育てたいと2年間やってきて、今もまだ目指すレベルには足りないですが、地元での評価もちょっとずつ変わってきましたし、全国的に取り上げられる機会もあって、延岡学園としての頑張りが少しずつ広がっています。そんな今だからこそ、あの時の3年生たちを今もう一度指導してみたいという気持ちになりました。

楠元龍水

暴行事件の延岡学園を「頑張れと言ってもらえるチーム」に

──選手が審判を殴るという前代未聞の事件があって、そこからの再評価はどのような場面で感じますか?

ありがたいことに生徒募集への申し込みが圧倒的に増えています。増えすぎて私だけでは見れないので「これ以上は管理できません」とお断りしなければならないぐらい。事件から2年しかたっていないのに、生徒や中学校の反応は変わっています。一番感じるのは宮崎県での大会ですね。いろんな先生方と話して勉強させていただくのですが、延岡の留学生が立ち止まって挨拶してくれたとか、会場の片付けをしてくれたとか、トイレのスリッパを並べていたとか、そんなことを先生方が「今までの延岡じゃそんな行動を頻繁に見たことはなかったよ」と教えてくれます。

そんな話を聞くと、私もうれしくてすぐ選手に伝えます。褒められるためにやっているわけではないのですが、ウチは応援されにくい体質のチームでしたし、やっぱり評価されたいし応援されたいものです。宮崎県大会での先生方の意見、中学生のリアクションというのは、この2年間進んできた方向性が間違っていなかったんだと感じさせてくれます。

──留学生プレーヤーに対しての向き合いはどのようなことを意識していますか?

あの事件があったからこそ選手たちの意識が大事になります。県外生もいっぱいいますが、方言はあっても言葉は通じるし米は食べられるし、全く違うんだと選手たちには言います。私も毎年アメリカに行きますが、文化の違いもあるし食事一つ注文するのも大変です。それを留学生の彼らは頑張ってやっているんだと伝えた上で、どの選手にも留学生とのコミュニケーションを取るように言い続けています。

また私が留学生の選手たちから信頼される指導者である必要もあります。月曜はミーティングと掃除、ボール磨きの日なんですけど、そこで留学生を連れてスタバに行ったり買い物に行ったり、3人でしゃべる時間を作っています。そこでは挨拶だとか態度だとか、どういう行動を求められているかの話もします。彼らは制服にスリッパで学校に来ていたんですけど、最近はローファーを履くようになりました。スリッパよりローファーの方がちゃんとして見えるという感覚は彼らには浸透していなかったんですよ。でも、話せば素直に分かってくれて、「スリッパよりローファーの方がカッコいい!」とおちゃらけながらも履いてくれます。

私は正しい方向に導こうとするし、彼らも素直に賛同してくれる。練習もすごく頑張ってくれますが、それはチーム全体が前よりも頑張る雰囲気が出てきて、それに影響されているからです。頑張ることが当たり前になってきた、そういう良い効果がこの2年間で出ています。

──最終的に延岡学園バスケットボール部の目指すところはどこですか?

私が見るようになって再出発した時から2つのゴールがあって、あんなことがあったからこそ「延岡学園、頑張れ」と全国の方から言ってもらえるチーム作りと、もちろん夏4回、冬2回の優勝というOBの方々が作った日本一の成績というのと、両方こだわりたいです。2年前はあと1勝すればメインコートだったベスト16、去年はウインターカップのメインコートに立てたけど大濠さんに負けてそこで1勝することができずと、代ごとにストーリーがあるんですね。今年も目標は日本一ですが、その前に3勝してメインコートに行き、そこで1勝するのがここ2年間の先輩たちへの恩返しだとずっと言っています。まずは何とかメインコートまでたどり着く、そこで這いつくばってでも1勝する。それが直近のゴールになります。