文=水本明子 写真=水本明子、B.LEAGUE

三遠ネオフェニックスの大石慎之介が大きな決断を下した。2012年より6シーズン在籍したチームを離れ、今春発足した社会人クラブチーム『静岡エスアカデミア・スポーツクラブ』でプレーすることを決意。同クラブを資金面、医療面からサポートする『医療法人社団 アール・アンド・オー』に所属し、ケガからの復帰とBリーグ参入を目標に活動する。

昨日、静岡市内で記者会見を開いた大石は冒頭で「静岡にBリーグを、最短でB1へ。この思いは誰よりも強く持っていますし、この目標を達成するために私は覚悟を持って静岡に帰ってきました」と挨拶。期待に胸弾ませる表情でそう宣言した大石に、この決断に至った経緯と胸中を語ってもらった。

「Bリーグに参入する時に完全な形で復帰できていたら」

──今回の退団と移籍の発表に三遠のファンは驚いたと思います。そもそものきっかけはどういったことでしたか?

浜松大(現常葉大浜松)時代の恩師、木宮敬信先生(常葉大浜松監督)からの話がきっかけです。木宮先生がこのエスアカデミアのアドバイザリーコーチもされているのですが、ずいぶん前から「静岡にプロバスケチームを作りたいんだ」とよくおっしゃっていたんですね。僕も冗談めかして「作ってよー!」と返したりして。そうしたらこの春に実際にクラブが発足して、オファーを受けました。「Bリーグを目指すチームを一緒に作らないか」って。悩みに悩んで、すごく悩んで、シーズン終了後にフェニックスに話したという流れです。

──何が一番、大石選手の心を動かしたのでしょう? 2月末に右膝前十字靭帯断裂という大きなケガをして、以降の試合はすべて欠場。大きな心境の変化があったのでしょうか?

Bリーグにいる、いないに関係なく、ケガからは復帰しないといけないじゃないですか。完全復帰するのに早くて11月。まあ今年中には、という感じでした。実際、フェニックスからは契約更新のオファーをもらっていたのですが、正直、復帰してもこれまでのような動きができるか分かりません。また、開幕に間に合わないから、オフからのチームのプランに僕は入っていないわけです。そうすると、のちのちポジション争いなどが生じた時には僕がベンチから外れるんだろうなって。

フェニックスの環境は本当に最高です。リハビリもできるし、トレーニングジムもあります。たとえ遠征に帯同できなくても、練習やトレーニングは自由にできます。でも、何のために復帰するんだろうって考えた時に、それでいいのかなって。また、このケガって時間を早めれば早めるだけ再発する確率が高いと言われているので、だったら焦らず、再発しないようにしっかり治そうと思ったんです。

所属するアール・アンド・オーでリハビリ支援をしてもらえますし、正直、社会人リーグってスケジュールも試合内容もBリーグほどハードじゃないから、試合に出ることもリハビリの期間になるなあと。で、次にBリーグに参入する時に完全な形で復帰できていたら最高だなというプランが思い描けたんですよね。

──確かに競争が激しいB1にいたら、復帰を焦って、出場も焦って……となっていたかもしれませんね。

焦って、開幕に間に合わせようと必死になっていたと思います。リハビリって本当にツラいので、誰もやりたいなんて思わないですよ。でも今は、先に思い描く高い目標があるから頑張れます。長い目で見てベストな選択をしたと思っています。新しいことへのチャレンジは不安もありますが、今は楽しみのほうが上回っていますね。復帰して新しいチームでプレーすることが今一番の楽しみです。フェニックスには申し訳ない気持ちもありますけど……。

「心のどこかに『静岡県で』という思いがあった」

──リハビリに専念できる環境の他に、魅力を感じたところはありますか?

やはり「チームを一緒に作りあげていこう」というところですね。僕はいろんなチームを経験してきました。良い悪いといった意見を選手の立場から言えることはとても重要で、それは必ず良い方向に向かうと思いますし、クラブ創設年に選手としていられるのがとても魅力的でした。あとは、フェニックスのホームタウンが向こう(愛知県)に行っちゃったので……。

──なるほど。やはり地元である静岡県への思い、地元愛が決意を強めましたか?

そうですね。「地元のために」という思いは強いです。高校も大学も静岡県だし、フェニックスに加入したのも浜松のあこがれのチームだったからです。先ほど話したように木宮先生の考えもうかがっていたので、心のどこかに「静岡県で」という思いがあったのかもしれません。

それと、3月に手術をして磐田市の病院に入院していたのですが、ちょうどその時に偶然、エスアカデミア発足の記者会見をテレビで見たんです。Bリーグでもないのにメディアがたくさん取り上げてくれていたんですよ。ちょっとビックリしました。だから、僕が入ることで話題ができて、もっとバスケットが地元メディアに取り上げられるようになったらいいなって。静岡のバスケットシーンがより活発になるんじゃないかって。バスケットで静岡が盛り上がることが願いなので、期待が膨らみましたね。

──徐々にチームにも顔を出すということですが、ご自身の役割はどうとらえていますか?

経験値の浅い若い選手が多いので、リーダーシップを発揮していろんなことを教えてほしいと言われていますね。まだ選手が8人しかいないので、木宮先生からは「早く合流してくれ」って言われていますけど(笑)。1人いるのといないのとでは全く違いますし、ガードも若い選手が多いので、復帰して直ぐのあたりは2、3分でも交替して休ませてあげられればいいかなというイメージでいます。チームの理想は「激しいディフェンスからアグレッシブに」ということなので、自分の強みを発揮して自信を持ってやっていけると思っています。

「東部のバスケファンの方にも応援してもらいたい」

──「静岡市にBリーグを」という目標に向けて、ついにスタートを切りました。最後に静岡県のバスケファンに向けてメッセージをお願いします。

静岡市に拠点があるので中部での活動になりますが、僕は東部の沼津市出身ですし、東部のバスケファンの方にも応援してもらいたいです。イベントや講演、クリニックで出向きますし、一緒にバスケットを盛り上げましょう。西部の遠州地域はフェニックスの管轄なのでやりづらいかもしれませんが(笑)、ここはフェニックスとコラボレーションして何かできればと思います。

浜松学院大には大口さん(大口真洋)もいますし、一緒に何かしたいですね。ゼロからのスタートなので何でもありです。正式なチーム名もロゴマークもキャラクターもまだまだこれから。市民、県民の皆さんでバスケットの大きな波を起こしましょう!