1994年10月13日生まれ、香川県出身。尽誠学園高の2年と3年でウインターカップ準優勝。U-18アジア選手権で準優勝。高さ、速さ、器用さを兼ね備えた次代の選手として注目を集め、高校2年で代表入り。2014年にジョージ・ワシントン大に入学。今、NBAに最も近いと言われる期待のオールラウンダーである。
「なるべくしてなった」バスケットボール選手
初めて日本代表候補メンバーに選出された2011年、合宿に参加するために香川から上京した高校2年生の渡邊は「東京は人も多いし、迷子になりそうでした」と笑った。「膝がギシギシ鳴るので、まだ伸びていると思います」という身長は2mに届いていなかったが、長いリーチを生かしたしなやかな動きが光り、フィジカルの強さではるかに勝る先輩たちに必死で食らい付いていた。まじめで謙虚、そして努力家。「この先大きく伸びていきそうだな」という予感がした。
生い立ちを振り返れば、バスケット選手に「なるべくしてなった」と言えるのかもしれない。父の英幸さんは熊谷組で、日本代表メンバーでもあった母の久美さん(旧姓久保田)はシャンソン化粧品でプレーした経歴を持ち、後に姉の夕貴さんもアイシン・エイ・ダブリュの選手となった。生まれた時から傍らにはバスケットがあり、居間のテレビではいつもNBAのゲームが映し出されていた。幼い渡邊が「自分もいつか有名なバスケット選手になりたい」と夢見たのもごく自然なことだ。
「でも、バスケットに関してはとても厳しい家庭でした。特に父はものすごく厳しかったです。普段は優しいのに、バスケットを始めたとたんに怖い人になる(笑)。中学時代は父と毎日1対1でシュート練習をしていたんですが、続けて外したりするとめちゃめちゃ怒られました。シュートの数は多い時で1000本ぐらい打ったと思います。リバウンドを取ってくれるのが父ですから、疲れたから休もう、今日はこれで終りにしよう、なんてことは絶対言えなかったです。心の中で『おい、厳しすぎやろ』と文句を言うのが精いっぱいでした(笑)」
その厳しい父と離れて寮生活が始まったのは尽誠学園高校に進学してから。「初めて親元を離れて気付くことはいっぱいありました」。栄養バランスを考えて用意された毎日の食事、洗濯して畳まれていた練習着、掃除し、きれいに整頓された部屋。それは自分が知らないところですべて母がやってくれていたことだ。
「バスケットでも同じです。たとえば二人一組でシュート練習したら、リバウンドが面倒くさいと思う時もあるじゃないですか。でも、考えたら父は自分のために毎日それをやってきてくれたわけです。多い時は1000本も。大変なことだったんだなあと思うと、自然に感謝の気持ちが湧いてきました」
両親の支えがあって自分はバスケットができていたのだ──。15歳の少年はそれを深く心に刻む。それは心が折れそうになった時、添え木のように必ず彼を支え、前に一歩踏み出す励みになった。
高校を卒業しアメリカの大学に進む決心をした渡邊に父が贈った言葉は「向こうでは厳しいことがいっぱい待っているぞ。でも、そういう時こそ自分が試される。いいか、おまえがこれから向こうで通用する選手になるかどうかは、その時に決まるんだぞ」
海を渡った18歳の渡邊は事あるごとに父の言葉を思い出したという。「うまくいかないことが続くとつい弱気になったりしますが、父の言葉を思い出すと『ここでくじけていてはアメリカに来た意味がないだろ!』と気持ちを切り替えることができました」
アメリカで負けないために必要なのは精神的なタフさ
あせらず一歩づつ前へ、前へ。ジョージ・ワシントン大のルーキーとして開幕戦からローテーション入りした渡邊はシーズン終盤10試合でスターターとして起用され、2年目となった昨シーズンはほぼ全試合に先発出場。確実に『主力』としての足場を固めていった。
渡邊のこの2年の努力を知るためにも、在籍するジョージ・ワシントン大について少し触れておこう。アメリカの大学351校が所属するNCAAディビジョン1は、日本で言うところの1部リーグ。ジョージ・ワシントン大はその中では中堅チームとされる。レギュラーシーズンを終えた時点で上位68校はNCAAトーナメントの出場権を得るが、3月に開催されるこのNCAAトーナメントは通称『マーチ・マッドネス』(3月の熱狂)と呼ばれ、全米のバスケットボールファンを熱狂させる大学界最高の舞台だ。
そこは同時に未来のNBAスターが輩出される場所でもある。昨シーズンのジョージ・ワシントン大は良いスタートを切りながら、この舞台に届かなかった。34試合出場した渡邊の成績は平均8.7得点、3.7リバウンド、アシスト1.4、ブロック1.0。スターターとして出場時間を伸ばし、相手のエース級のマッチアップも増えていることから、ヘッドコーチを務めるマイク・ロナガンの信頼を勝ち得ている様子は伝わってくる。だが、それでも殺気さえ漂わせぶつかってくる屈強なアメリカ選手と競り合うためには、さらなるフィジカルの強化など課題は少なくない。
しかし、ここで想像してほしい。尽誠学園高時代のあのヒョロリとした渡邊の体躯を思い出してほしい。アメリカに渡った当初、渡邊は何度も何度もゴール下で弾き飛ばされる屈辱を味わった。そこからのスタートだったのだ。
アメリカでは学業成績にも言い訳は通じない。落第点を取れば練習にも参加させてもらえない現実と向き合いながら、慣れない英語と格闘する日々。それがスタート地点だった。コートの中では全力でステップアップを目指し、空いている時間はすべて勉強に費やし、無我夢中で過ごした2年間。そこに『努力しない時間』はひとかけらもなかった。
2年を経た今、渡邊の体重はプラス10kgとなり、その分確実にたくましさが増した。思い切りの良いペネトレイトや得意の3ポイントシュートにも磨きがかかり、シーズン最終となるデビッドソン大との試合では、キャリアハイの22得点をマークしている。さらに忘れてならないのは、精神面での成長だ。
「アメリカの選手は試合はもちろん練習においても徹底的に勝ちにこだわる。勝つためにはいつも死にもの狂いで激しいプレーをします。そこで負けないために必要なのは精神的なタフさ。やられてもやられても委縮しないでぶつかっていく強さ。この2年を通してそういうタフさは身に着いてきました。その自信はあります」
1年ぶりの日本代表。たとえチーム最年少であろうと、世界で戦う舞台で渡邊のこのメンタリティーは必ず力になるはずだ。
あくまで勝ちにこだわって自分の仕事をやり切るつもりです
長谷川健志ヘッドコーチは、本番のOQT(オリンピック世界最終予選)で渡邊を「3番で起用したい」と語る。「あのサイズにしてはボールハンドリングがいいし、3ポイントの確率も悪くない。フィジカルの部分、身に着けなければならないスキルなど課題はありますが、ここ数年での成長には目を見張るものがあります。期待のオールラウンダーと言っていいでしょう」
高校2年で初代表入りした年にはウィリアム・ジョーンズカップ、2013年には東アジア選手権、アジア選手権にも参加したが、もちろんこれほど大きな大会に出場するのは初めてのことだ。しかも、今回はスターターに起用され、プレータイムもこれまでより大幅に増える可能性が高い。
「出場するすべての国がオリンピックを目指してやって来る大会ですから、モチベーションの高さもすごいと思います。でも、まず気持ちでは絶対に負けない。今までアジアのチームが一度も勝ったことのない大会と言われていますが、そんなこと関係ないです。戦う以上、あくまで勝ちにこだわって自分の仕事をやり切るつもりです」
「もともとDNAがすごい」、「生まれ持った才能が違う」──。渡邊の活躍の陰にはいつもそんな声が聞こえた。そんな時、思い出したのは渡邊を育てた尽誠学園高の恩師、色摩拓也監督の言葉だ。「あの子はね、努力の上に才能が乗っかっているんですよ」
いよいよ始まるOQT、躍動する渡邊の姿に『日本の希望』を見たいと思う。