公式戦無敗を誇った福岡第一の主力たちは、この春に卒業を迎えた。河村勇輝との2ガードで福岡第一の『走るバスケ』を引っ張った小川麻斗は、日本体育大に進学して全国制覇を目指す。河村がBリーグで脚光を浴びる一方で、小川は福岡に残りワークアウトに励み、バスケットボール選手としてさらなる飛躍に向けた準備を着々と進めている。プロ選手に、そして日本代表に──。18歳の夢は果てしなく広がっていく。
「最初は自信がなくて、福岡第一に行きたくなかった」
──勝ちに勝ち続けた高校バスケの3年間が終わります。これだけ結果を残せるという自信は、入学時にありましたか?
いや、不安ばかりでした。一番上の兄は第一出身なのですが(小川は3人兄弟の末っ子)、Bチームでも試合に出られませんでした。それを見ていたので、最初は自信がなかったです。本当を言えば兄と同じで僕もBチームだろうから、別の学校に行って試合に出たほうがいいんじゃないかとも思ったんです。でも、結局は自分の努力次第だし、もしBチームになっても努力すれば先生は見てくれるだろうから頑張ろうと思って入学しました。
──百道ミニバスから西福岡中学校と、エリート街道まっしぐらの印象だったので、自信がないとは意外です。
僕がプロバスケ選手になりたいと夢を持ったのは小学校1年の時です。やるからには強いチームでプレーしたかったし、上の兄が県大会の決勝で当たった百道ミニバスがものすごく強かったので入りたいと思うようになりました。小4の時には中学は西福岡に行って鶴我隆博先生に教えてもらうと決めていました。
西福岡の時に井手口先生から声を掛けてもらって練習見学に行ったんですが、自分の実力に自信が持てなくて行きたくなかったんです。でも、その年にインターハイとウインターカップの2冠を取ったことで「やっぱり福岡第一はすごい」と思い覚悟を決めました。
実際、福岡第一にして良かったです。もともとスピードはあって、中学の時も自分一人で攻めることとかもあったので、速いバスケットのスタイルに合いました。他のチームに行っていたらどうなってたかと考えたら、ダメになっていたかもしれません。例えば大濠に行っていたとしたら、あのスタイルを理解するまでは使えないガードだったと思います。
──ウインターカップが終わって高校バスケは卒業となりました。今はどう過ごしていますか?
第一の練習に週3ぐらいで行っているのと、QOOOPというバスケコートでワークアウトをさせてもらっています。主に1対1のスキルだったり自分の持っていない技を、元プロ選手の瀬崎理奈さんにも教えてもらっています。この期間に遊んでばかりいたら大学に行ってすぐ活躍できるはずがないので、この期間に自分に足りないものを磨こうと思いました。大学に行った時にすぐ試合に出れるかどうかは分からないですが、遊んでいるよりはずっとプラスだろうと思って。
「この数カ月で1対1は確実に強くなった」
──最終的にはプロ志望だと思いますが、まずは日本体育大に進学します。大学バスケでの目標は?
まずはスタートで出ることを目標にしたいんですけど、今はまだ日本体育大学のプレースタイルを知らないし、慣れるまでに時間がかかるかもしれません。福岡第一では河村との2ガードで、ポイントガードではなかったんですけど、大学では大事なところでシュートを決められるポイントガードになりたいと思います。最初は苦戦するにしても、1年生のうちにスタートになることを目標にして頑張っていきたいです。
──では今は、そのための課題となりそうなプレーの向上に取り組んでいるわけですね。
でも大学に行けばレベルが上がるので、課題はほぼ全部です。ディフェンスでは、河村は背中でみんなに見せるディフェンスをやっていて、そこは自分もやらなきゃいけないと思っていたので、そういう強いディフェンスができるように。自分より上手い選手がたくさんいるので、ポイントガードとしてどれだけ良いシュートを打たせることができるかも課題です。
この数カ月で1対1は確実に強くなったと思いますし、トレーニングもやっているのでウインターカップの時よりも鍛えられていると思います。フィジカルは大学生に比べたら全然足りないですが、成長できてはいると思います。
──井手口先生は日体大出身ですから、後輩になるわけですね。
そうなりますね(笑)。自分たちの考えが及ばないところまでいつも考えてくれていて、ここまで成長できたのも先生のおかげです。バスケの時は鬼なんですけど、オンとオフがしっかりしてて話しやすい先生です。
日体大は第一の先輩もたくさん行っているので、第一のスタイルに近い走るバスケットができるんじゃないかと思っています。大学になると基本はセットプレーが多くなると思うんですけど、日本代表にしてもこれから走るバスケットを磨いていくと思うので、そういう意味でも日体大が自分にとってやりやすいチームだと思います。
──高校バスケを振り返って、やっぱり一番大変だったのは3年生でキャプテンを任されたことですか?
そうですね。人数が多いのですが一人ひとりに意見があって、その全員をまとめるのは大変でした。何か注意したら僕に聞こえないように言い返したりだとか、そういうのも実際はありました。Aチームだと何となく素直に聞いてくれるんですけどBチームだとアピールに必死で、チームよりも「自分が自分が」の意識が強くなったりしたりだとか。
最初は松崎(裕樹)さんにキャプテンは何をすればいいのかを聞きに行ったし、最初は自分だけでやっていたのを河村と2人でやるようになって、少しずつまとまるようになりました。インターハイとウインターカップで優勝できたのは、自分たちだけの力だけではなく、まずは3年生がしっかりまとまるようになって、チームがまとまったからだと思います。
河村とのコンビは解散「互いに切磋琢磨して」
──河村選手とはコート上では最高のコンビでしたが、コート外での2人はどんな感じですか? 2人ともそんなにおしゃべりな感じではないように見えますが。
遠征でのホテルの部屋が毎回同じなので、ずっと一緒にいれば自然とコミュニケーションは取れるようになってきますね。お互いに何を考えていて、何がしたいのかは分かります。
──実際は2人のコンビですが、日本代表に選ばれたりと河村選手が目立つ傾向にありました。今回も河村選手はBリーグで活躍して大きな注目を集めています。正直なところ、嫉妬心のような感情が出たりすることはありませんか?
嫉妬というか悔しい気持ちはありました。僕にとって河村は良きライバルで、活躍すればするほど燃えるというか。あっちはどう思っているか分かりませんけど(笑)。でも河村に限らず、チームに自分より上の選手がいれば負けたくないと思うものだし、それがモチベーションになるなら良いことだと思います。
──では河村選手と自分を比較して、この点では負けている、この点では勝っているというのは?
河村のコミュニケーション能力はすごいです。僕は人見知りで、「何か言え」と言われても困ってしまうタイプなんですけど、河村は必要であれば先輩でも年上でも関係なく意見を言うことができます。プロで上手くやっているのは、そのコミュニケーション能力があるからだと思います。
僕は、朝に強い(笑)。2年の時は毎朝5時半起きで6時からシューティングして、3年では6時起きの6時半からでした。河村はウインターカップ前になると早くなったんですが、それまでは朝練ギリギリだったので。インターハイ予選の地区大会の大濠戦の日には、寝坊して朝練に遅刻して、謝りながら入ってきました(笑)。
──今後、河村選手とはチームメートではなく対戦相手として再会することになりそうですね。
そうですね。対戦したら絶対に勝ちたい気持ちもありますが、やっぱり河村と一緒だとやりやすいんですよね(笑)。小学校の時から見ていた選手だし、高校で一緒にプレーできて、自分らしいプレーが出しやすかったし成長させてもらえたと思います。でも大学では僕が河村に勝ちます(笑)、というか互いに切磋琢磨していきたいです。
──高校で応援してくれた人たちへのメッセージ、またプロを目指す意気込みをあらためて教えてください。
福岡第一でプレーする自分はいつもすごく熱い応援をもらっていました。いつもメッセージをもらったり、会場で自分を応援するうちわを作ってもらったり、そういう支えがすごく大きな力になっていました。日体大は今は1部の真ん中ぐらいですが、関東1部の1位になって、インカレでも優勝できるように頑張りますので、これからも会場で応援してください。
プロで活躍できるかどうかは自分の努力次第だと思っています。親は僕たちにバスケットをさせるために時間もお金も使って大変だったと思うので、プロになることで恩返ししたいという気持ちで、これからも頑張ります。