文=鈴木健一郎 写真=足立雅史、WJBL

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 髙田真希(たかだ・まき)
1989年8月23日生まれ、愛知県出身。ポジションはパワーフォワード。高さと強さだけでなく幅広いスキルを備え、Wリーグの2015-16シーズンでは得点(1試合平均19.25)とリバウンド(同10.30)の2冠。日本代表の主力選手としても期待される。

全国区の強豪高校に入った当初は何もできなかった

バスケを始めたきっかけは、単純に身長が高かったからです。小学校の時は何となくバスケをやっていただけでしたが、中学校のバスケ部に入ってから本格的に頑張るようになりました。

バスケを始める以前から、男勝りで活発な子供でした。私には2つ年上の兄がいて、子供の頃から兄やその友達と一緒に遊んでいたんです。だから、遊び相手はいつも年上の男の子たち。鬼ごっことかサッカーとか、とにかく一緒に付いていって、兄とその友達を相手にどうやったら勝てるのか、いつもそう考えながら遊んでいました。駆け引きで仕掛けていく今の自分のプレースタイルは、幼少期のそういう経験から生まれたんだと思います。

バスケット以外には空手をやっていました。小学校4年生から中学校3年生までですね。出る大会はほとんど優勝していたので、強かったんだと思います(笑)。空手で学んだ経験はバスケにもプラスになりました。このポジションは接触が多いのですが、女の子だと激しい接触を嫌がることが多いんです。でも私は空手でぶつかり合いに慣れていたので、気にせずプレーできました。

ただ、中学の頃はただ背が高いだけで、全然上手ではなかったです。学校も地元の公立中学校で、全国どころか県大会にも出ていません。そもそも、指導者もバスケの専門家ではなくて普通の先生ですし、やっている私たちにとっても遊び感覚の部活でした。そういう意味で、全国大会に出てるような子が集まる桜花学園高校はレベルが違いました。

桜花学園高校に進んだのは、井上(眞一)先生に声をかけていただいたからです。あの頃の私が評価されたとしたら、身長と……あとは多少は走れたところぐらいだと思います。でも、せっかく声を掛けていただいたんだし、「どうせやるなら一番強いところで」という気持ちで入学しました。

高校に入った当初は本当に何もできなかったですね。今に至るまで、あの時期が一番苦労しました。一番できなかったのは、基本のハンドリング。中学では身長を生かして上のパスをもらってシュートするプレーがほとんどで、ハンドリングの練習はしていなかったし、使うこともなかったので。

だから基礎的な練習をずっとやりました。片手はできても左手は全然使えなくて、ツーボール(2つのボールを両手でつく練習)になると、ボールがあっちこっちに行ってました(笑)。先輩はもちろん、同級生と比べても明らかに劣っていて、追い付くまでは地道な努力をすごく頑張って続けなければいけませんでした。自分でも、あの頃はかなり努力したと思います。

桜花学園高校時代、恩師の下で重ねた地道な基礎練習が、現在の髙田のプレーを作り上げた。

バスケット・グラフィティ/髙田真希
vol.1「男勝りだった幼少期、空手経験もプラスに」
vol.2「できてもできなくても、続けるしかない」
vol.3「結果を出すためにプレーを高めていく」