マット・ベイヤー

中国の遼寧フライングレパーズが優勝、ランス・スティーブンソンがMVPとなって幕を閉じた『テリフィック12』。中国、韓国、フィリピン、そして日本の強豪チームを集めた大会を企画、運営するのはどんな組織で、前年から放送プラットフォームの数と視聴者を劇的に伸ばした『テリフィック12』は今後どう発展し、何を目指すのか。35歳の若き仕掛け人、アジアリーグCEOを務めるマット・ベイヤーに聞いた。

中国代表選手との出会いでバスケビジネスの世界に

──東アジア4カ国の強豪チームを集めて大会を行う、このアイデアがどこから生まれて、どうやって大会として成立するに至ったのかに興味があります。まずはベイヤーCEOのキャリアと、アジアリーグを立ち上げるきっかけについて教えてください。

私はミルウォーキー出身のアメリカ人です。ドイツ移民2世で、建設会社を営む父の下で育ちました。私の祖父はとても厳格な人でしたが、父はその反動で子供たちに「自分のやりたいことをやりなさい」と言う人でした。ただし、「家族が仲良くしているかどうか」、「人のために良いことをしているか」、「一生懸命にハードワークしているか」ということには関心を持っていました。その考え方が私のベースになっています。

私が10歳の時に家族は中国からの養子を2人受け入れました。それで中国人と兄弟になり、彼らのバックボーンを調べることで中国に興味を持ちました。高校卒業後に中国に渡り、北京、西安、上海で語学留学をして、アメリカに戻ってウィスコンシン大を卒業しました。

──それで中国語が堪能なんですね。バスケはプレーしていたのですか?

小さな頃から始めて、10歳で地元のチームに入りました。一生懸命プレーして大会に出たりしましたが、あくまで楽しむためにプレーしていました。思い返してみると、NBAの試合観戦には何度も連れていってもらいましたね。今もプレーしたいのですが、ケガでもして仕事に支障をきたすと嫌なので自重しています。ビンス・カーターが22年目の契約にサインしたと聞いて、彼より若いんだからプレーしなくちゃと思いますが(笑)。

バスケ界とのかかわりはミルウォーキー・バックスがイー・ジャンリャンと契約した2007年にできました。中国語を買われてバックスに雇われたんです。イー・ジャンリャンのマネージャーをやり、中国語のWebサイトを運営して、中国から来たVIPの対応をしました。その前は大学で東アジアの研究みたいな地味な仕事をしていたから、急にNBAで働くことになって楽しかったです。ただ、彼が1年でニュージャージー・ネッツにトレードされたので、NBAでの仕事は1シーズンで終わりました。

それからは北京で暮らしてPRなどの仕事をやっていたのですが、中国のスポーツ省がエージェントの資格を作るというので資格を取り、中国でスポーツエージェントを始めました。中国CBAにアメリカからコーチと選手を連れてくる仕事です。今でもCBAの外国人選手マーケットの35%から40%は私が手掛けています。それでも、エージェント業は順調に伸びて利益も出ますが、それはプレーヤーと自分の利益でしかありません。そこで社会的にインパクトのある、みんなに喜ばれることが何かできないかと考えた時に、このアジアリーグのコンセプトが生まれました。

マット・ベイヤー

「今回の大会も非常に上手く行ったと思っています」

──中国語を生かして中国のバスケ界に強くなったのは分かりました。ですが、日本、韓国、フィリピンについてはどうですか?

ゼロスタートでした(笑)。誰も私のことを知らないし、私も誰にコンタクトを取ったらいいのか分からない。それでも仲間のエージェントの力を借りて、いろんな人を紹介してもらい、挨拶に回るところからこのプロジェクトはスタートしました。

信頼を得るには、実際に大会を運営できる能力があることを見せるのが一番です。だから今回の『テリフィック12』にも、各国のリーグ首脳やクラブの経営者、出資を検討している人たちをたくさん招待しています。私たちが実現したいコンセプトを説明するとともに、大会を見てもらうことで実現可能だと感じてもらう。今回の大会も非常に上手く行ったと思っています。

お金の面では私が出資者を集めていますし、マカオ政府からの支援もあります。マカオ政府としては65年の歴史を持つ自動車レースのマカオグランプリに次ぐ大きな投資をしているのが『テリフィック12』になります。

──日本との関係性もゼロから作ったそうですが、同じ東アジアでも文化や商習慣は異なりますよね。日本と対話する上で難しかった点はありますか?

日本人は基本的にリスクを取ることを嫌いますよね。だから最初に来た時は「ここで新しい物事を起こすのは大変だぞ」と正直思いました。しかし、全員がそうではありません。琉球ゴールデンキングスの木村達郎社長や安永淳一さん(取締役)、千葉ジェッツの島田慎二会長のような人たちは、ビジョンを共有した時点で応援するよと言ってくれて、私たちがまだ何も示せていなかった時にリスクを取ってこの大会に参加してくれました。

韓国やフィリピンも同じです。簡単ではありませんでしたが、自分と一緒にやっていける人を見つければ、新しいことが起きます。「人のために良いことをしているか」と「一生懸命やっているか」、この父の教えを実践すれば、何だって成功させられると私は思っています。ちなみに「家族が仲良くしているかどうか」の教えも守っています。私の妻は中国人ですが、妻の両親ともとても仲が良いですよ。

マット・ベイヤー

「東アジア全体のレベルを上げ、盛り上げたい」

──『テリフィック12』についてはどう発展させたいですか。将来的にはプレシーズンの大会ではなくシーズン中に行うオフィシャルな大会にすることが最も重要なステップに思えます。

もちろんです。現状では年に一回、夏のイベントでしかありませんが、シーズン中の公式戦にすることで皆さんの関心を常に引き付けたいです。一番の問題は各国のスケジュールをどうすり合わせるかで、今は各国とその交渉をしています。あとはコンテンツのクオリティをもっと高めることも必要です。

私の想定では4カ国から2チームが出場し、4チームのグループを2つ作ってホーム&アウェーで戦う。そして4チームが決勝トーナメントに進む。これで大会を軌道に乗せて、参加チームを16に拡大したいです。ただ、世界規模だったりアジア全域にリーグを広げていくことは今は考えていません。東アジアにフォーカスするつもりです。飛行機で4、5時間の距離でないと移動が大変ですし、地域が近いからこそ文化交流の意味も大きいと考えています。

これはスポンサーを集める意味でも重要で、私たちが作る『テリフィック12』というプラットフォームを通じて、人種的にも近い東アジアでスポーツが好きな若者にリーチできます。アメリカのマーケットも同じですが、バスケットボールは野球やアメリカンフットボールよりも若い世代に支持されています。スマホで見やすいこと、ソーシャルでバズることも大事です。

日本、韓国、中国、フィリピンで人口が20億人います。中国のワールドカップは終わりましたが、来年は東京オリンピックがあり、次のワールドカップもアジア開催です。そこに絡めて我々が国際大会をやることで、東アジア全体のバスケットボールのレベルを上げ、盛り上げていきたいです。

──ゼロからイチを作り上げるのは大変な作業です。失敗は怖くないですか?

失敗してもスタバの店員からやり直せばいいと思っています(笑)。ですが、絶対に上手く行くと自信を持っていす。これは間違いなく「人のために良いことをしている」プロジェクトですからね!