エバン・フォーニエ

「オリンピアコスが僕にとっての第一優先だった」

エバン・フォーニエはオリンピアコスと2年400万ドル(約6億円)の契約を結んだ。現地9月4日に彼が新たなホームタウンとなるピレウスに到着すると、そこには熱狂的なファンが待ち構えていた。彼の名前がコールされ、チームの応援チャントが連呼される中、フォーニエは満足そうな笑みを浮かべる。NBAでの挑戦は12シーズンで終わることとなったが、これこそが彼の求めていた環境だ。

発煙筒が炊かれ、ファンは自分たちの歌に合わせて飛び跳ね、そしてフォーニエもチームのマフラーを振り回しながら飛び跳ねて歌った。NBAでは過去の存在となりつつあった彼だが、オリンピアコスのファンにとっては特別な存在だ。NBAやフランス代表でのキャリアが理由ではない。

2年前の時点で彼はオリンピアコスのファンの一人としてアリーナに足を運び、「いつかヨーロッパに戻る時が来て、プレーする場所を自分で選ぶことができるとしたら、オリンピアコスに行きたい」と語っている。

そして今回、彼はSNSに自身の思いをこう投稿した。「こんなに早く移籍が決まるとは予想していなかったが、気持ちは固まっていた。そもそもの発端は2022年よりもずっと前、2010年のパリでバルセロナとオリンピアコスの試合を見た時から始まっている。ミロシュ・テオドシッチやパトリック・ベバリー、ジョシュ・チルドレス、そして僕がヨーロッパで最も敬愛する選手、セオドロス・パパルーカスがいたオリンピアコスだ。ファンの熱狂ぶりも僕の心に強烈な印象を残した」

そしてフォーニエは、フランス大手メディアの『L’Equipe』の取材の中で、ウィザーズから2年契約をオファーされたが断ったことを明かしている。「負けるチームでプレーすることにも、若手の指南役にも興味はない」とフォーニエは本音を明かす。昨シーズンのピストンズでは、負けるチームで若手の指南役を任されたが、彼はあくまでプレーヤーとして勝負の場に身を置きたがっている。

「正直に言えばNBAでもっと多くのことを経験したかった。特にプレーオフを4回しか経験していないのは残念だよ。でも、自分の運命をすべてコントロールできるわけじゃない。オリンピックが終わって、僕はエージェントに『ヨーロッパに戻る』と伝えた。オリンピアコスが僕にとっての第一優先だった」

ヨーロッパとNBAでは同じバスケでも大きな違いがある。巨額の金を生み出すのはNBAだが、少なくともフォーニエにとってバスケを楽しめる環境はヨーロッパにあるようだ。「バスケをする喜びを取り戻したい」。フォーニエはそう語った。