[卒業]大濠から筑波大へ、挑戦を続ける中田嵩基「試練が僕を大きくしてくれた」

2019/02/26
プレーヤー
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中田嵩基

取材・写真=古後登志夫 構成=鈴木健一郎

福岡大学附属大濠での中田嵩基は、2年次でインターハイを制し、ウインターカップでも準優勝と結果を残すも、自分たちの代である3年次はウインターカップの出場権を争った県の決勝で福岡第一に敗れた。高校バスケが予定より早く終わってしまったことに「なかなか切り替えられませんでした」と中田は振り返るが、その視線はすでに将来へと向けられている。春からの進路には筑波大を選択。数々の試練を乗り越えてきた世代No.1の司令塔に話を聞いた。

「一番はインターハイ優勝で田中先生を胴上げできたこと」

──福岡大学附属大濠での3年間が終わろうとしています。楽しかったこと、苦しかったこと。どちらもたくさんあったと思いますが、今振り返るといかがですか?

一言で表すと「試練」という言葉が一番です。中学から高校へと未知の世界に来たこともありますが、土家(大輝)と一緒に大濠に入って日本一を目指そうと決めた中で、最初に試合に出られない時期があったのが僕でした。まずそれに打ちのめされて、そこから壁を何回も何回も乗り越えてきました。もちろん楽しいことも多かったですけど、試練を乗り越えた3年間でした。

たくさんの試練の中でどれが一番厳しかったか、その優劣をつけるのはちょっと難しいです。でも、児玉修さんと永野(聖汰)さんと土家がいる中で、いかにしてプレータイムをもらうのか試行錯誤したことは、自分の中ですごく大きいです。もう一つは2年生の時にウインターカップで準優勝して、良い終わり方をさせてもらったんですけど、そこから新チームになった時のギャップ、噛み合わない中でチームを組み立てていくのがすごく難しかったです。その2つは優劣がつけられないですね。

──うれしかった思い出で一番を挙げるとしたら何ですか?

一番はインターハイ優勝で田中(國明)先生を胴上げできたことです。僕は小学校からずっと優勝に縁がなく、初めて優勝というものを味わいました。ウインターカップは負けたんですけど、1年の時には2回戦負けで、その時に味わいたいと思ったセンターコートに立ち、決勝の舞台でプレーできたというのは、高校生活の中で一番うれしいことです。

──ウインターカップの県予選決勝で負けて、予定よりかなり早くオフになりました。それからどのように過ごしましたか?

「チームとはどんなものなのか」を後輩に教える時期になったので、どういうことを伝えていこうかをまず話し合いました。僕たちに付いてくるのがメインだった後輩たちに、どう殻を破らせるか。でも、日頃の練習でも「自分たちは声を出さないようにしよう」と言っているのに、練習に入るとつい出ちゃうんです。それを我慢してやっています。一歩引いた分、今までとは違った視点で練習を見ることができますね。

後輩たちと食事をしながらいろいろ話すこともあります。プライベートな空間で1対1とか少数になれば本音も言いやすいと思います。僕が1年生の時はそういうのもあまりなかったのですが、一つ上の先輩方、永野さんや井上(宗一郎)さんは僕らの溜め込んでいる意見を聞き出して、チームにも反映してくれたので。それは自分も積極的にやっていきたいと思っていました。

中田嵩基

「ビーチに行ってストリートに乱入してきました」

──ウインターカップの福岡県決勝で負けてから、気持ちを切り替えるのは大変でしたか?

試合に負けて、気持ちの整理をつけるのに少し時間がかかりました。でも、他の選手はすごく前向きだったんです。伊達に苦しい時期を乗り越えてないな、って思いました。僕は結構メンタルに来てて、みんなも実際はそうだったと思うんですけど表に出さずにいて。だから自分も切り替えて、バスケットでプロになって活躍したいという思いもありますが、先のことを考えてやれることをやっておこうと。それで自動車免許を取りに行ったり、アメリカに行ったり。

──アメリカは卒業旅行なのか、ワークアウトだったりバスケのためなのか、どんな感じで?

今年は富永(啓生)や今野(紀花)さんがアメリカに行くというし、やっぱりNBAへのあこがれもあるし、高校の間に一度は行って見てみようと。本当はワークアウトもしたかったんですけど、アメリカという文化がどんな感じか見に行きました。それでもビーチに行ってストリートに乱入したりはしてきましたよ。ピックアップゲームに参加して。

──実際、アメリカのストリートでプレーしてみた感想はどうでしたか?

やっぱり上手いですね。やっているうちにヒートアップしてきて、結構ガチなやり合いにもなりました。そこで感じたのは、アメリカの選手たちはどんなことにもポジティブで、失敗よりも成功することを考えてプレーしているということです。声掛けもなくプレーが始まって、やっているうちに知らない者同士が言葉を交わしていて。それが都市全体を活性化させていると感じました。そのアメリカの文化に触れたことで、どこでもバスケットができて、それをきっかけに会話が生まれる場所が日本にもたくさんあればいいのにと感じました。将来大人になった時には、そういう場所を提供する側になりたいとも思いました。

──アメリカでは試合も見たと思います。そこで得られた刺激は?

大学バスケもNBAも見てきましたが、やっぱり『自由』を感じました。プレーのアイデアも自由で発達している感じです。日本だとコーチの目を気にしたり、自分じゃなく他人のことを意識しちゃう人が多いと思います。それがアメリカで試合を見ていると、自分のプレーに自分がハッスルする、そういう姿勢が見られました。

中田嵩基

筑波大へ進学「お客さんで行くわけじゃない、4連覇を」

──新たな刺激を得て日本に戻って来て、もうすぐ卒業です。筑波大に進学するそうですね。

僕が最初に見たのは笹山陸のお兄さんの代の試合で、チームとして盛り上がっていて、なおかつ堅実な部分もあって、そこから走るという自分の理想とするプレースタイルだったので、その時点から惹かれていました。盛り上がるけど、やるべきことはしっかりやる感じが僕はすごく好きなんです。実際、筑波大に遠征して馬場(雄大)さんとか卒業生の杉浦(佑成)さんに散々にやられたことがあるんですけど、あの試合は「この大学でバスケをしてみたい」と思うきっかけになりました。

それでも、一番大きいのは片峯先生の母校だということです。この3年間、片峯先生にはすごく成長させてもらいました。自分が弱りかけた時も信じて使ってくださいました。その先生のルートをたどるじゃないですけど、せっかく誘いがあるのなら行ってみたいと思いました。

──大学になると有望な選手の多くが関東に集まります。またレベルが上がり、まずはメンバーに選ばれること、試合に出ることからのチャレンジになります。目標はどこに置きますか?

高校の時も、大濠を選んだのは自分より優れたガードがたくさんいるからでした。一歩間違えば3年間ずっと試合に出られない状況で揉まれることで成長できたと思います。筑波大には菅原暉さんがいます。代表で一緒だった時にすごいと思った選手ですし、僕が尊敬している伊藤領(東海大)さんが「暉にはかなわない」と言ったことがあって、尊敬する人にそう言わせる選手のところに行って、挑戦して、プレータイムを取りたいと思いました。

僕はずっと試練に向き合って、挑戦して勝ち取ってきました。筑波大にもお客さんとして行くわけじゃないので、1年目からガツガツ行って、メンバー入りして試合に出て、スタートになりたいです。そうなれば一番ですけど、そこに行くまでの過程のほうが大きいとも思っています。挑戦すれば、「どこがダメなのか」、「じゃあこうしよう」というのが出て来ます。偉大な先輩がいる中でどうアジャストしていくか、今からすごく楽しみです。

──昨年の大学バスケは東海大の独壇場でした。筑波大はそこに挑む立場となります。

そうですね。高校では残念な結果に終わったので、大学では4連覇を目指します。東海大がちょっと抜けてる印象はありますが、筑波もかなりのメンバーが揃っています。4連覇は難しいことですが、最初の目標を低くしてしまうと低いところにしか行けないので、目標は高く。それに対してどう挑戦していくかだと思っています。

──もう意識としてはプロに通じる部分も大きいと思いますが、楽しんでプレーするバスケと、プロ志望で『仕事』として取り組むバスケ、意識としてはどう折り合いをつけますか?

両方ですね。バスケットボールを趣味と仕事の両方にできれば最高じゃないですか。

──では最後に、応援してくれるファンの方々へのメッセージをお願いします。

「ウインターカップで大濠を見たかった」という声をたくさんいただきました。そのおかげで、自分たちのやってきたことは間違っていなかったと確認できましたが、それでもあの舞台に立たないと何も語れないとも思います。大学ではリーグ戦やインカレの舞台にちゃんと立って、自分が出ていたから優勝できたと言われるぐらいのプレーを見せたいと思います。得点とアシストだけでなく、チームのためにどういう働きをしているのか見てもらえたらうれしいです。