佐古賢一

取材=鈴木栄一 構成=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

日本代表はワールドカップ予選を4連敗スタートから6連勝と盛り返し、最後のWindow6の2試合に勝てば自力で出場権をモノにできるところまで来た。21日のイラン戦、24日のカタール戦での健闘を願うしかないが、さかのぼると前回のワールドカップ出場は2006年の自国開催であり、その前に自力で出場権を勝ち取ったのは1998年となる。

1995年のユニバーシアードでファイナル進出を果たした世代が中心となったこのチームに、佐古賢一もいた。世界への扉をこじ開けたポイントガードは、アシスタントコーチとして選手たちを支える側に回っている。その佐古に、今の代表チームとワールドカップ出場について聞いた。

「やっぱり一番大事なのは日本代表のあり方です」

──バスケットボールの日本代表がアジアで勝って世界に挑戦するとなれば、約20年ぶりの快挙となります。ここまで来た心境は率直にどのようなものですか?

Bリーグができたことによって、国内でのバスケットの盛り上がり、取り上げ方、注目のされ方が変わっています。ここで久々に予選を勝ち抜いて世界に出て行くことは、当時よりもかなり価値が高い。それについて我々は結果を出していくスタンスを守らなきゃいけないし、挑戦者として攻め続けるスタンスじゃないといけない。何か結果が出たことによって成功だと終わらせてしまうのではなく、ここから何かが始まるんだということを発信していかなければならない、というのをすごく感じます。

──選手とコーチで立場は違いますが、日の丸をつける代表チームとして選手をどう導くか、普段からどんな意識を持っているかを教えてください。

ワールドカップとかこのWindowとかじゃなく、やっぱり一番大事なのは日本代表のあり方です。そういう意味では選手も弱くなったり、悩んだり、いろんなことがあります。すべてにおいて根本にあるものはブレさせることなく選手と接していきたいです。それは何かと言うと「勝たなきゃいけない」じゃなく「勝ちたい」であり、「楽しまなきゃいけない」じゃなくて「楽しむ」というスタンスです。そのニュアンスは周りにいる人間で変えてあげられます。そこのサポートは全力でやっていきたいです。

自分たちが1998年に予選を突破してワールドカップに出た時の心境だとか、大会がどういうものだったのか、今まで経験してきたことから「戦うってこういうことだよね」というのは選手の目線で当時のことを伝えられます。それができるのはこのチームのスタッフで自分だけなので、やれることはどんどんやっていくつもりです。

──当時からバスケットの最前線にいる佐古さんから見て、男子の日本代表がここまで来るのは長かったのか、一時期のことを考えると意外と早く立て直せたのか、どういう感覚ですか?

そこは10年サイクルだと思っています。自分たちの後は竹内兄弟(公輔と譲次)や田臥勇太の世代。今回は富樫(勇樹)、(渡邊)雄太、馬場(雄大)、(八村)塁という若い世代。自分らの代ではオリンピック出場はかなわなかった。我々の10個下の世代もそこは出せなかった。今回は何としてでも結果に繋げたいです。

今回は何が違うかと言えば、国内のバスケがBリーグに変わり、メディアの対応や反応や距離感が変わりました。それをすべて良い方向に持って行くための一つのカギが、今回の予選に勝ってワールドカップに出場することです。それは日本のバスケットボールのために代表チームができることだし、そこには惜しみなく全力を注ぎ込みます。

佐古賢一

「今回の予選を『結果を出し続ける』きっかけに」

──アンダーカテゴリーの代表も佐古さんが見るようになりました。ここでトップの代表がワールドカップやオリンピックに出れば、次の世代を担う10代の選手にも影響がありますか?

絶対にありますよ! 私なんかはオリンピックに出た人が何十歳も上だから、話を聞いてもピンと来なかった。分からないですよ。でも、ちょっと上の世代であこがれている先輩たちが出した結果に対して、自分たちがそこにチャレンジできる。この距離感は全然違います。この距離感が大事なんですよ。「オリンピックはそんなに高い壁じゃない」、「アジアで勝つことってそんなに高い壁じゃない」と思えるようになることが大事です。

2006年に広島で世界バスケをやりました。その前を考えたら20年前です。20年は短くない、むしろすごく長いですよね。ここからちゃんとしたスタンスを取って、結果を出し続ける。今回の予選をそのきっかけにしなきゃいけない。

20年前に選手で出た私が、ここでコーチとして出るとしたらすごくないですか? 今回は何としても、絶対にワールドカップに行きたいです。