藤枝明誠の赤間賢人は類まれな得点力で母校を2年連続でウインターカップベスト4に導き、今春に大学バスケの名門、東海大へと進学する。世代屈指のスコアラーとして知られている赤間だが、彼のポテンシャルが開花し始めたのは、『WATCH&C ACADEMY』に参加した中学校時代に遡る。『WATCH&C ACADEMY』の代表、青木康平と赤間が対談し、当時を回顧した。
青木「おとなしい感じなんですけど、バスケットでは主張してくる」
――赤間選手、自己紹介をお願いします。
赤間 福岡県の古賀市立古賀東小学校、植木中学校出身で高校は藤枝明成(静岡県)に行きました。ウインターカップは2年連続ベスト4で、大学は東海大に行きます。
――中学時代は部活と並行してクラブチームにも参加していたと聞きました。『WATCH&C ACADEMY』に通い始めたきっかけはなんでしょう?
赤間 中学校は僕が30点くらい取るようなワンマンチームで、県大会一回戦負けくらいの普通の公立中学校でした。もっと上のところでバスケットをやりたいと思い、姉がWATCH&Cに入っていた先輩に連絡を取ってくれて、練習に参加することになりました。中2の10月から、U15のトップチームとアドバンスクラスに通い始めましたが、部活しか知らなかったですしチームも弱かったので、レベルの高さに驚きました。今までにできていたプレーが簡単にできず、サイズも全然違くて、部活との差を感じました。
――青木さんは赤間選手と最初に会った時のことを覚えていますか?
青木 覚えていますよ。最初に賢人に会ったのは、賢人の1個上の代の公式戦の時です。勝てば全国クラブ選手権に出れるという決勝戦で、賢人はそれを見にきました。僕らはそのシーズンで1番良い試合をして、逆転勝ちで全国クラブ選手権を決めたんですけど、その後に賢人とお父さんが来たんです。「どうでしたか」と聞いたら、賢人は「あぁー」とあまりしゃべらなかったんですが、お父さんが「俺やったらもっと活躍するって、お前言っとったやないか」と言って。最初は「そんなこと言うんだこの子!?」みたいな感じでしたね。
赤間 覚えてないです(笑)。
青木 めちゃくちゃおとなしい感じなんですけど、バスケットでは主張してくるというか。活発な感じではないですけど、昔からシュートは上手かったですね。人と違うなと思ったところは、僕が練習中に新しいことを教えたりすると、賢人はずっと練習の前後や合間に黙々と1人で練習をしていた印象があります。
赤間 コロナの時期にプライベートレッスンをしてもらいましたが、当時はレベルが高くて、感覚をつかむことも難しかったです。1対1をしてもらうこともあったんですけど、自分の方が身長が高いのに強かったです。
青木 あの頃の賢人だったら余裕で勝てましたけど、今はちょっとしんどいでしょうね(笑)。
――あらためて、赤間選手が世代トップクラスの選手になるという予感はしていましたか?
青木 中学3年の段階でこの子がどのくらいになるかっていうのはほぼ分かりますし、賢人に関してはもちろんありましたね。上のレベルでプレーするだろうなと思っていて、日の丸をつける逸材なのでと、全日本にもプッシュしていました。ただ、当時はフィジカルが課題で、もっと上を目指すんだったら、さらに過酷な環境に行かないと伸びていかないんじゃないかと心配にはなりました。
高校1年のウインターカップの予選で、30得点くらい取ったと聞いた時はうれしかったです。彼はシュートセンスが良くて、高得点を取っている試合でも確率が良いんです。乱射して3、40点取る選手もいますが、高得点を取っている時に確率が良いのはなかなかですよ。それが1回、2回じゃないのも他の人との違いですね。
赤間 WATCH&Cで習うことは本当にレベルが高くて、今までやってこなかったような動きを教わりました。部活を引退した後はできるだけ体育館を親にとってもらい、そこで一人で練習したり、シュート力を上げていました。ステップ一つにしても本当に細かく教えてもらい、特にスキルの大切さをWATCH&Cで気付けました。
「康平さんの気持ちも背負って、上の舞台で活躍できるように」
――WATCH&Cの活動により、高校トップクラスの選手まで成長したということですね。
青木 いえ、賢人はすでに上手かったですし、僕が育てたというのはおこがましいですよ。ミニバスや中学の先生が賢人を育てて、僕に出会って溜めた努力で花が咲いた。それで高校でステップアップしていったと思うので、 僕らが特別にすごいことをしたわけではないかと。
赤間 でも技術的に一番上手くなったのは、WATCH&Cに入っている時期だと思います。
――ちなみにWATCH&Cはコミュニケーション力の育成にも力を入れていますが、赤間選手はそういったことを苦手にしていたとよく聞きます。
青木 自分の考えを伝える能力は絶対に必要なので、何を考えているかをちゃんと主張し、相手の話を聞くことは大事にしています。それは賢人のずっと課題になっているところでしたね。ウチにいる間も本当にしゃべらなかったんですよ。最後の方は「これはどうですか」とか、僕に聞いてくるようになりましたが、それはめちゃくちゃうれしかったですね。
赤間 自分の性格的に人前でしゃべったり、声で引っ張っていくことは苦手だったんですけど、上手くなるには必要だと思って変えようとしました。それまでは部活だけで、上を目指すバスケットをやってこなかったので、コミュニケーションもあまり取っていなかったです。でもレベルが高い場所でやると、分からないことがたくさん出てくるし、そこで自ら聞く必要がありました。自分の意見を伝えることもそうですけど、人に聞くことも大事だと学びました。
――赤間選手はWATCH&Cの一番の出世株と言えると思いますが、今後どのような選手になってほしいですか?
青木 自分は『誰々みたいな選手』って言われたくなくて、そのモデルの方になりたかったんです。今のウチの子たちは「賢人みたいになりたい」ってすでに言っていますが、賢人もモデルになる側の選手になってほしいです。プロにもなれるだろうし、日の丸も背負えるポテンシャルを持っていると思うので、「日本代表の赤間賢人みたいな選手になりたい」と言う子どもたちが増えていくと、自分はうれしいです。また、(ジェームズ)ハーデンのステップバックスリーみたいに、賢人を象徴する技やプレーを作ってほしいですね。
赤間 こういう風に言ってくださったり、地元に帰ってきた時に練習を組んでくれたりしてありがとうございます。東海大では、試合に出て活躍することが目標ですが、そういう康平さんの気持ちもしっかり背負って、上の舞台で活躍できるような選手になります。
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