古橋正義

文=鈴木健一郎 写真=鈴木栄一、古後登志夫、日本バスケットボール協会

「日本一になって一番の感想は『気持ちいい』です」

ウインターカップ決勝をダブルスコアで圧勝しての全国制覇。圧倒的な強さを見せた福岡第一のメンバーは優勝会見でもあまり笑顔を見せず、淡々と大会を振り返っていた。会見場の外で古橋正義に「みんな大人しいけど、本音はやったぜ、って叫びたいでしょう?」と声を掛ける。

やはり会見ではプレーするのとは違う緊張があったのだろう。古橋は「はい、最高ですね!」と相好を崩す。「僕らの代は1年生で日本一を経験して、その時の3年生が『もう最高!』って顔で引退していくのを見て、気持ち良さそうだな、自分たちも絶対に日本一になってあの表情で引退したいな、と思いました。インターハイは悔しい結果に終わってしまって、このウインターカップに懸けていたので。日本一になって一番の感想は『気持ちいい』です」

大会を通じた個人の出来は「ディフェンスでは80点ぐらい。オフェンスではシュートが全然入りませんでしたが、桜丘と中部第一との試合では良い場面で決めることができて良かったです」と振り返る。井手口孝コーチもディフェンスマンとして信頼を寄せる古橋だけに、堅守を支えるのがメインの役割。さらには準決勝と決勝でシュートが入ったのだから文句ナシの出来だろう。

インターハイではまさかの初戦敗退を喫した。最大の敗因は、スコアラーの松崎裕樹とポイントガードの河村勇輝がU18アジア選手権に参加して不在だったこと。「松崎と河村の2人がいなかったから仕方ない、と思われるのが僕は嫌でした。それを言い訳にすることは絶対にしたくなくて。『あの2人がいなければ何もできないチームと思われて恥ずかしくないのか』とか、かなりキツい言葉で檄を飛ばすこともありました」

「キャプテンの松崎がいない中で僕がチームをまとめようと頑張ってきたのですが、ああいう結果になってしまいました。負けた瞬間は何も考えられない状態だったんですけど、自分が落ち込んでいたら次の練習がダメになってしまいます。そこで変に声を掛けられたらみんなも嫌だと思うので、まずは自分が切り替えて、その姿を見せて『もう切り替えよう』とだけ伝えました」

古橋正義

「筋肉がちぎれるか、足が折れるか」の過酷なラン

そこから3年生にとっては高校バスケ最後の挑戦が始まった。今年の福岡第一は松崎、小川麻斗、クベマジョセフ・スティーブが2年生でスタートを任され、30人いる3年生でメインで試合に出るのは松崎と古橋の2人だけ。残りはサポートに回ったが、ウインターカップで勝って高校バスケを終えるためにチーム一丸で準備を進めた。

強度を保ちながらファウルをしないディフェンス、プレッシャーを掛けられても落ちないシュート、戦術的な引き出しを一つでも多く増やすこと。難しい課題を一つずつクリアしたチームは、ライバル福岡大学附属大濠との『福岡決戦』を制してウインターカップ出場を決めてから、全国では『圧倒的に勝つこと』を目標に超ハードな追い込みを行った。それがどの選手も「キツかった」と口を揃えるランメニュー『33秒』だ。

「オールコートのランメニューなんですけど、33秒で3往復、これを20本。普通にやれば33秒って『走れるけどちょっとキツいぐらい』なんですが、4種類あるんです。まずは普通に走ります。2種類目はバックランからスタートして折り返しはダッシュ、3種類目はダッシュしてハーフでバックランに変えて、折り返しはダッシュしてハーフでバックランに変えます。最後はバックランしてハーフからダッシュ。1種類5本で計20本をほぼ毎日やりました。何がキツいって、バックランを入れるとふくらはぎに来るんですよね。筋肉がちぎれるか、足が折れるんじゃないか、と思うぐらいキツいです。体育館を出たところのベランダに氷を入れたバケツが用意しておいて、終わった瞬間にアイシングです」

当然、通常の練習メニューをこなした上での『33秒』である。練習試合の日にやったこともあるそうだ。ハードで有名な福岡第一の練習を3年間こなしてディフェンスマンに必要な走力を身に着けた古橋にとっても「マジでヤベー」と言わしめる地獄の特訓だった。「結果として優勝できたので、思い返すと楽しかったです……とは言えないぐらいキツくて。勝てて良かった……。これで勝てなかったら嫌な思い出しか残らない1年になったかもしれません(笑)」

古橋正義

最後のボールを投げ上げ「目立っちゃいましたね」

決勝戦の終盤、点差が30点を超えたところで井手口コーチは控えメンバーをコートに送り出す。プレータイムに偏りはあっても、全員が同じ練習を積んできた。15人全員がファイナルのコートしたラスト1分、スタートの5人がコートに戻る。古橋と松崎にとっては福岡第一での最後の1分間、この時点で85-40と勝敗は決していたが「あの場面で僕たちがたるんでいたら、日本一のチームが最後はあんなのかよ、って思われます。だから最後まで自分たちのプレーをやるぞと、5人で声を掛けました」

本当の意味で最後までプレーの強度を落とさなかった福岡第一だが、2年生の河村と小川は古橋にプレゼントを用意していた。苦しかったインターハイの時期を含めてチームを引っ張った古橋に、ラストプレーを託したのだ。「本当だったら松崎だと思うんですけど、僕があまりシュートを決めてなかったからか、最後のボールぐらいは投げさせてやろうと2人で考えたみたいです。時間がなかったので、河村から呼ばれて僕がボールを迎えに行って、上に放り投げました」

河村と小川からしたら「あまりシュートを決めてなかったから」ではなく、苦しい時期も含めて1年間チームを支えた古橋の働きに対する感謝だろう。古橋がボールを頭上高くに放り投げるとともに、試合終了のブザーが鳴り響く。「目立っちゃいましたね」と照れ笑いする屈託のない表情は、コートでの険しい表情とは全く違うものだった。

どのチームより多くの練習をする。それが福岡第一の強さのシンプルな理由だ。最後に勝って引退できる権利を手にした古橋は、2年前の上級生がそうだったように『もう最高!』の表情で高校バスケを終える。将来の夢は「プロバスケット選手じゃなく、バスケを教える側になりたい」とのこと。「大学で教員免許を取って、学校の先生としてバスケを教えたいです。井手口先生にはずっと第一の先生のままでいて、僕たちがOBとして帰って来た時に出迎えてほしいです。いずれ自分のチームを率いて先生と対戦して、倒すのが夢です」