文・写真=泉誠一

『日立』戦は「前チームの名残りがあって懐かしかった」

日立サンロッカーズ東京で2013-14シーズンまでの4年間プレーした鹿野洵生が、サンロッカーズ渋谷となった青山学院記念館のホームゲームに戻って来た。「選手も入れ替わり、監督も変わっていて、僕がいた頃とは全く別のチームではありますが、それでも在籍当時の選手が何名か残っており、彼らの成長を見るのが非常にうれしかったです。別のチームと思いながらも、前チームの名残りがあって懐かしかったです」

在籍当時、ともに黄色いユニフォームを着ていたのは、ルーキーだった満原優樹と伊藤駿、最後の年に移籍してきた広瀬健太の3人だけ。たった3年の間にSR渋谷が様変わりしたことが、鹿野を通して再確認させられた。

2014-15シーズンにつくばロボッツ(現・茨城ロボッツ)へ移籍。しかし経営難が露呈し、2014年の年を越せずにロスター15人中11人が自由契約となり、その中に鹿野の名前も入っていた。幸い、信州ブレイブウォリアーズが受け入れてくれたことで、その後は主力として活躍。しかしその信州は、Bリーグ発足に際してB2に振り分けられる。鹿野自身は「B1でやりたいと思っていた」ところ、三遠ネオフェニックスへの入団が決まった。

晴れてB1の舞台に立ったことで、袂を分かったSR渋谷ら旧NBL選手たちとコート上での再会を果たした。「また対戦できることはワクワクしますし、幸せだと感じながら毎試合プレーできています」と喜んでいる。

環境に恵まれている企業チームから、プロクラブであるつくばと信州に渡った。「かなりその差は大きくて、日立時代は恵まれていたんだなと思います。例えば、練習会場が固定ではなかったり、ウエイトルームが使えないなど、様々なハンディがありました」と振り返る厳しい経験を、今は糧にして戦っている。

元企業チームだったオーエスジーが母体となる三遠は、日立東京時代同様に「言い訳できない素晴らしい環境で練習ができていますし、毎日が充実しています」とのこと。バスケットが十分にできる環境こそ、中地区で首位争いができている要因だ。

選手、スタッフともに協力し合って戦う自慢のチーム

B1最年少ヘッドコーチの藤田弘輝とともに、その脇を固めるスタッフも充実しているのも三遠の特徴だ。「スカウティングやヘッドコーチが気づかないところも、周りのコーチたちが気づいてアドバイスをしてくれます。端から見ても、しっかり連携が取れている素晴らしいスタッフ陣だと本当に思います。みんなで助け合って良いアドバイスをしてくれるので、僕ら選手たちはそれに応えるべく頑張らないといけないと思うような雰囲気です」

11月20日は65-60で勝利しリベンジできたのも、敗戦をしっかり振り返って修正したスタッフ陣の力である。同一チームに対する連敗は、これまで一度もない。

選手同士の風通しも良い。SR渋谷に62-80で敗れた11月19日の試合後、ファンへの挨拶もそこそこに鹿野は大石慎之介の元へ近づき、助言を求めていた。「チームのみんながアドバイスし合える関係ができています。それぞれ戦ってきた環境が違う中で、意見を言い合える関係ができているので、僕がこれまで経験したことについては率先してアドバイスしていますし、逆に周りからも学ぶことができる非常に良いチームです」

その背景について「特に日本人選手は、他のチームに比べて突出したタレントが少ないと、みんな自覚しています」と話す。「その中で、協力し合って戦っているのが僕らの自慢です。そこは今後も続けていき、チーム一丸となって戦っていきます」

コミュニケーションが取れている三遠だからこそ、新たに加入する元NBA選手のジョシュ・チルドレスもすぐにフィットすることだろう。

鹿野は言う。「個人的に早くプレーが見たいです。昨日(11月18日)合流したばかりなので、まだ練習はしていません。皆さんが名前を知ってる選手でもあるので、僕自身も楽しみです。彼をすぐにチームに馴染ませることができるように頑張ります。そのために僕は一生懸命に一発ギャグをして、雰囲気を良くしていきます」と、鹿野は明るくビッグネームを迎え入れる。

次戦は勤労感謝の日となる11月23日に中地区前半戦最後のホームゲームを迎える。週末の横浜ビー・コルセアーズとのアウェーゲームを終え、12月になると地区を越えた新たなる戦いが始まる。三遠の真価が問われる、楽しみな戦いが待っている。