2011年のクリス・ポールと同様『幻のトレード』に
ペイサーズからサンダーにトレードされたポール・ジョージが望んだものは、優勝の可能性が感じられるチームへの移籍だった。
ジョージがペイサーズに来オフ移籍の意思を伝えたと報じられた瞬間、NBA29チームの相当数がトレードを持ちかけようと考えただろう。だが、ジョージの希望を叶えつつ、ペイサーズにとっても好条件になる見返りを提示できるチームは決して多くなかった。巷ではキャバリアーズの名前が挙がったが、公にされなかった超強豪チームとの交渉が水面下で進んでいたことについて、『ESPN』の名物記者、エイドリアン・ウォジナロウスキーがジョージに直接質問した。
ジョージとのインタビューでウォジナロウスキーが問いただしたトレード案とは、ペイサーズとウォリアーズが、ジョージとクレイ・トンプソンを交換しようとしていた、というもの。
これはウォリアーズが受け入れなかったため破断になったようだが、もし成立していたら、ステフィン・カリー、ケビン・デュラント、ドレイモンド・グリーン中心のチームにジョージが加わり、昨シーズン話題になった『スーパーチーム』のマイナーチェンジが行なわれていたことになる。
もっとも、ウォリアーズが優勝に貢献したコアメンバーのトンプソンを簡単に手放すわけがない。しかも、来シーズン終了後にフリーエージェントになるジョージとの交換はリスクでしかなかった。デュラントが優勝メンバーを残すために大幅な減額を受け入れて再契約を結んだという事情もあり、選手の気持ちを考えない補強を断行すれば、チーム内に不協和音が生まれるのは必至だった。そのため、たとえ魅力的なオファーであってもウォリアーズが受け入れることはなかった、ということだ。
ウォジナロウスキーからこのトレード案について聞かれたジョージは、次のように述べている。
「そのトレードの話は知っていたよ。実現していたら喜んだと思う。優勝を狙えるチャンスだっただろうしね。でも実現しなかった。それでも僕はサンダーで特別な才能を持つ選手ラッセル・ウェストブルックと一緒に、ウォリアーズと優勝を争う機会を手にできたわけだから」
万が一チーム間の話し合いが進んでいたとしても、2011年に起こったクリス・ポールを含む大型トレードのケースのように、NBAから承認されなかった可能性もある。同年、ホーネッツ(現ペリカンズ)はレイカーズ、ロケッツとの3チーム間トレードに合意し、ポールをレイカーズに移籍させることで一度は合意した。しかし、当時のNBAコミッショナーだったデイビッド・スターンが、合意の直後にホーネッツに連絡を入れ、このトレードを承認しない意向を伝えた。
6年前のトレードが不成立に終わった詳しい理由は明かされていない。NBAからは「バスケットボール上の理由でトレード案に同意しなかった」という声明が出されただけだった。この背景には、NBAと当時のホーネッツの関係性が影響していたと言われている。
2010-11シーズン途中から経営悪化に陥ったホーネッツに対し、NBAは新オーナーが決まるまでリーグ直轄下に置くという異例の処置を講じた。当時『ESPN』は、スターンがホーネッツのGM、フロントに対し、バスケットボール上の決断を下す権利を与えていたと伝えたが、最終的に前コミッショナーの強権発動で同3チーム間トレードは破断となった。
もしコービー・ブライアントとポールが同じチームでプレーしていたら、という話は、今もファンの間で話題になることが多い。実現しなかったジョージのウォリアーズ移籍プランも、『幻のトレード』として語り継がれていくのではないだろうか。