シルヴァーナ・ファン・ヘース「東京にいるのは夢のよう」
8月31日に行われた車いすバスケットボールの女子準々決勝、日本代表と対戦するオランダの4番には驚かされた。シルヴァーナ・ファン・ヘースには両足だけでなく、右腕の肘から先がない。それでもサポーターを巻いた腕での車いすさばきは鋭く、競技レベル1.5のローポインターとは思えない動きを見せる。ベンチスタートで繋ぎの役割、8分間の出場ではあったが、反撃を試みる日本に思うようなプレーをさせないことで勝利に貢献した。
オランダの『BN DeStem』がその競技人生を紹介している。ローゼンダール生まれの彼女は、2歳の時に髄膜炎にかかった。かかりつけの小児科医の診断ミスにより治療が遅れ、両足と右腕の切断を余儀なくされた。物心がついた時から車いす生活を送る彼女は16歳で車いすバスケットボールに出会い、28歳の現在まで競技を続けている。
身体を動かすことが好きだったが、自分に合ったスポーツに出会うとは思っていなかった。オランダはアメリカのように車いすスポーツが認知されているわけではない。両足だけでなく、片腕もない彼女にとってはなおさらだ。しかし、幸いにもこの競技と出会うことができた。肘の少し先までしかない右腕も使って車いすを動かし、左手でドリブルをする。苦労しながら自分なりのプレースタイルを見いだしていくうちに、その魅力に取りつかれた。
車いすバスケットボールへの情熱が彼女に力を与えた。以前は本人曰く「ものすごく」太っており、70kgの減量をしたという。それも競技を続けるためだ。ヘルシーな日本食がダイエットには良かったそうで、今は選手村のダイニングで『本場の日本食』を楽しんでいる。
「車いすバスケットボールは私を変えてくれました。私はオランダ代表としてプレーする今の立ち位置を得るために、ありとあらゆることをやってきました。それでもパラリンピックのメンバーに選ばれるとは期待していなかったので、今起きていることが現実には思えません。東京にいるのは夢のようで、毎日頬をつねっています」と彼女は言う。
新型コロナウイルスの影響で大会が1年延期となったことはショックだったが、「健康が最優先で、良い判断だと受け止めました。中止でなく延期で良かった。日付が変わっただけで、目標は変わらないと考えました」とファン・ヘースは振り返る。
彼女は大学でイベントマネジメントを学んでおり、将来はスポーツの大会や音楽のフェスを運営する仕事をしたいと考えているが、この1年はパラリンピックのために勉強を一時中断し、車いすバスケットボールに打ち込んできた。
「車いすでも、何かを成し遂げることは可能です。私が人々に感動を与えることもできます。他の人が両手でしていることを私が片手でできれば、他の人は『よし、自分にもできる』と思えることでしょう。何があっても、私は自分であることをやめません。私は自分の障害を制限ではなく、挑戦だと思っています」
ホスト国の日本を破ったオランダはベスト4に進出。あと1勝でメダルが確定する。