伊藤大司は5月5日に行われたシーホース三河戦を最後にユニホームを脱いだ。現在はアルバルク東京のアシスタントGMに就き、新たな環境での挑戦をスタートさせたところ。まだ34歳でコンディションは衰えておらず、天性のリーダーシップも評価されており11年のプロキャリアはまだまだ続けられそうに思えただけに、突然の引退表明には驚かされた。新たな挑戦を選んだ伊藤に引退するまでの経緯を聞いた。
「母親と兄貴にだけ、最後の試合になるかもしれないと伝えました」
──現役を引退されてから数カ月が経ちましたが、現在はどのような生活を送っていますか? そして、慣れましたか?
選手時代はオフの時間が結構あったので、家族と過ごしたり、自分の時間に充てたりしていました。ただ、今は選手時代にあったフリーの時間がそこまで多くなく、生活リズムがちょっと違って忙しくしています。
でもこれまでにお会いしたことがなかった人とお会いしたり、慣れないパソコン作業だったり、新しいことが自分にすごく刺激に感じているので、時間が経つのが早く感じますね。楽しいというか、ルーキー時代を思い出すというか。常に学び、常に刺激なので、順調に過ごせていると思っています。
──充実感が伝わってきます。それでも、引退に関しては正直驚きました。後悔などは一切ないですか?
難しいんですけど、選手としてやり残したことと言われれば、もっと優勝したかったとか、ジョーンズカップに1度呼ばれましたけど代表でプレーしたかったというのはあります。でもこの年齢で最後のシーズンを迎えた中でやり残したことはと言われたら、最後のシーズンとしては自分のやれる範囲でやれることはやれたと思っています。今練習を見ていても、シュート打ちたいとか、バスケをやりたいとかは全く思わないです。5月の最後の試合から2回くらいしかボールを触っていないですからね。やろうと思えばやれる環境なので、わざわざそれに時間を費やさなくていいって感覚なので、そういう意味ではやり切ったと思えます。
──なるほど。引退を考えた時期はそもそもいつなのですか?
昨シーズンが始まる前に一度、アルバルクの恋塚(唯)GMからお話をいただいて、その時は選手としてやりますと言ったのですが、「じゃあシーズンが終わってからはどうだ」という言葉をいただきました。アルバルクに戻れるというのは魅力的な話だったんですけど、95:5くらいの感覚で現役を続けたいと思っていました。それがシーズンが進むにつれて90:10、80:20、50:50と気持ちに変化が生まれ、オファーを引き受けたのがシーズン終了後なんですけど、5月5日の試合の前には、これが引退前最後の試合だって決断していました。
母親と兄貴にだけ、これが最後の試合になるかもしれないと伝えて試合に臨みました。少し寂しさはありましたけど、「これで最後でいいかな」、「次のステップに進もうかな」と感じたんです。
「最初のオファーが胸にガツンと来たので、今しかないと」
──セカンドキャリアを考えたら、早めの決断も大事だと思います。でも、伊藤さんのキャリアはかなり特殊で、伝えられることも多いと思います。メンターだったり、指導者としてだったり、様々な選択肢があったかと思いますが?
ありがたいことに、選手としてのオファーもありました。でもシーズン中にアルバルクのオファーを考えていて、自分の中で4月に入った頃からあと何日ウエイトをやって、あと何回試合をやってと、カウントダウンが始まっていたんです。寂しさもありましたけど、次のステップに行ける感覚を優先しました。
以前はバスケはもういいやと思っていたんですけど、30歳を過ぎた頃からセカンドキャリアを考え始めて、次第にバスケに携わっていきたいと思うようになりました。実際に最初はコーチとか指導者をイメージしていましたし、向いてるんじゃないかとも思いました。でもレバンガ(北海道)から滋賀(レイクスターズ)に行くタイミングでチームの編成だったり、チーム作りに興味が湧いてきて、だんだんと引退後の目標がコーチからGMに変わっていったんです。ショーン・デニス(現ダイヤモンドドルフィンズヘッドコーチ)さんとか西村大介社長(現茨城ロボッツ代表取締役社長)には引退後はGMに興味があることを話していました。すると、「こういうステップがあるよ」とか、「こういう勉強をしたほうがいいよ」とかアドバイスをくれました。
そして、恋塚さんからアシスタントGMどうだと話をいただいた時に、日本のトップチームで経験ができて学べるというのは、目標に向かう中で一番良い道のりだと思いました。最初のオファーが胸にガツンと来たので、今しかないと。そういうタイミングもあり、引退を考えて今の職に就きました。
──自分が興味を持っていた職種のオファーが来るって運命的ですね!
そうなんです。多くの人からコーチをすると思ってたと言われるんですけど、アルバルク側にそういう部分を認めてもらうというか、経験や人間性を評価してもらってGMになってほしいと言ってもらえたのはうれしかったです。なのでやる気がなくなったとか限界だからではなく、シンプルにやりたいほうに気持ちが向いて、オファーを引き受けました。