伊集貴也

取材=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=古後登志夫、B.LEAGUE

島根スサノオマジックはB1に挑んだ昨シーズン、レギュラーシーズン11勝49と全18チーム中最下位に沈み、残留プレーオフに敗れて1年でのB2降格が決まった。鈴木裕紀ヘッドコーチの続投とキャプテンの佐藤公威の残留は早々に決まったものの、チームは再び刷新されて再起の2018-19シーズンを迎えようとしている。そんなチームに新たに加わった一人が、社会人の九州電力からプロ挑戦を決めた伊集貴也だ。安定した生活を捨ててプロの世界へと飛び込む25歳の彼に、その決断の理由と意気込みを聞いた。

興南、国士舘大を経て、九州電力でプレー

──まずは伊集選手の自己紹介をお願いします。

伊集貴也です。出身は沖縄で、興南高校を出て国士舘大学に行き、九電アーティサンズでプレーしていました。

──興南は沖縄の強豪ですが、そこで挫折があったと聞きました。

僕たちは高校3年で沖縄インターハイを迎え、小学生の頃からずっと強化していた年代なんです。興南も沖縄インターハイに向けて良い選手を集めてチーム作りをしていました。地元でのインターハイを前にチームは好調で、九州大会では福岡大学附属大濠を倒して九州選抜になり、ベスト4で当たった福岡第一にも引けを取りませんでした。能代カップでは市立船橋に勝ちました。

それなのに、インターハイ予選のベスト8で北中城に負けてしまったんです。僕らはベスト8で負けるわけがないと思っていて、応援も全然来ていなかったんですが、試合会場が北中城から近かったこともあり、会場すべてが北中城の応援団でした。北中城は興南を徹底的に研究してもいました。そこで後半の一つのミスから沖縄独特の会場の雰囲気に飲み込まれてしまい、一気に逆転されて負けてしまったんです。それが僕のそんなに長くないバスケット人生の中で一番後悔する試合ですね。

──大学ではレバンガ北海道の松島良豪選手や千葉ジェッツの原修太選手と一緒でしたね。

国士館大では3年まで2部リーグで、2年の時に入れ替え戦まで行ったのですが早稲田大に勝てずに、3年の時が松島選手がキャプテンで、2部の2位で入れ替え戦に行き、今度は早稲田大に勝って昇格しました。原選手はその時の後輩です。4年生になって初めて1部で戦ったのですが、リーグ戦は6位でインカレが5位。国士館大では過去2番目に良い成績でした。僕は4年の時はずっと先発ガードとして試合に出ていました。

伊集貴也

「自分もやれるんじゃないか、やってみたい」

──そこから九州電力に『就職』しました。プロを選ばなかった理由は何ですか?

当時はNBLとbjリーグに分かれていて、それがBリーグになる道筋がまだしっかりと見えていませんでした。bjのチームは全部なくなるんじゃないか、なんて噂もあって、すごく動きづらい年代でした。だから僕らの年代はプロに行く実力があっても選ばなかった選手が多かったように思います。僕も就職活動をして、どうせやるなら強いチームでやりたいと九州電力に決めました。

──その九州電力では全国実業団選手権で優勝し、大会の優秀選手に選ばれてもいます。そこからプロに転向するという思いはどうやって生まれたのですか?

九電でバスケをやるのに物足りなさを感じていたのは事実です。みんな仕事が忙しかったりして、週に3度の練習にもなかなか人数が集まらない。実業団のチームはどこもそうだと思いますが、「こんな感じでいいのかな」という気持ちもやっぱりあったんです。練習回数を増やしたいと相談しても、会社ですからそう簡単には通らないですし。

自分としては、なあなあでバスケをやっているつもりはありませんでした。それでBリーグで同級生だったり大学で一緒だった選手がプレーしているのを見ていると、やっぱり悔しくて。自分もやれるんじゃないか、やってみたい、でもそのコートには立てない、というフラストレーションがありました。

特に国士館大で後輩だった原選手はよくLINEをくれて、絶対にプロに来たほうがいいですと言ってくれました。松島選手に相談した時も挑戦すべきだと言ってもらいました。2人ともB1で活躍して、松島選手はあの『劇団松島』でも目立っていて(笑)、僕もそのコートに立ちたいという気持ちがすごく強かったので、挑戦することを決めました。
伊集貴也

トライアウトでは「変に固くならずプレーできた」

──Bリーグ主催のトライアウトでのパフォーマンスが契約につながったわけですね。

僕は実業団でプレーしていて大した実績もない選手なので、プロチームにプレーを見てもらうにはトライアウトしかありませんでした。

──トライアウトは相当『狭き門』だったと思います。どんな気持ちで参加しましたか?

会場に着くと、参加者の目の色が違いましたね。自分の将来が懸かっているのだから当然です。「ここにいる全員が敵」という雰囲気を全身から出している選手もいました。でも僕としては、変に固くならずプレーできたのが良かったと思います。個人的なアピールのために真っ直ぐしか見れなくなってしまうものですが、僕はそれを逆手に取ってパスの配給を多くすることを意識しました。

その中で1対1のドライブという自分の強みはしっかりと見せられるように、名前も分からない選手と一緒にやる状況にアジャストするために、自分の思いだけは試合前に必ず伝えました。ピック&ロールを多用するのは最初からの狙いでした。みんな普段は日本人同士でプレーしているので、身体の大きい外国籍選手のピックは結構効くんですよね。それでズレが生じるので、そこから2対1のシチュエーションをどんどん作りました。

まずまずのプレーはできましたが、終わった後は相当バタバタしました。着替えてから帰るまでの間に、いろんな方から名刺をいただいて、こちらの電話番号を教えて。バタバタしていたので、誰と連絡先を交換したのかあまり覚えていないぐらいです。
実業団からプロへと挑む伊集貴也(後編)「チームにプラスになる風を吹かせたい」