バスケットボールでは選手上がりのコーチが長身でも別段驚きではないが、東海大学のヘッドコーチを務める陸川章はとりわけ背が高く、面と向かって話すにはかなり見上げる必要がある。ただ、それで威圧感を与えるようなことが全くない。表情豊かで身振り手振りも交え、言葉もマシンガンのように出てくる。年代別の代表でも実績のある陸川コーチを選手は最大限にリスペクトしているが、同時に「陸さん」と気安く呼びかけてもいる。天性のスポーツ好きで、話すことが好きで、情熱を持って選手を指導している陸川コーチに話を聞いた。
東海大で『2つの山』を登る陸川章 (前編)「お前たちの親父代わりになるよ」
「キツい時にもう一歩頑張るしかないんです」
──現役の頃から高校や大学で指導をしたいという考えはあったのですか?
これが不思議なもので、現役の頃は自分が選手であるという状況がずっと続くものだと思っているんですね。37歳で現役を終えたのですが、本当はもっともっと、やれるところまで選手をとことん続けるつもりでした。
ところが課長研修だったか係長研修だったか、クレヨンを渡されて「自分の20年後の姿を描く」という課題があったんです。まだ30歳にもなっていなかった頃、私が描いたのは白いポロシャツを着て青い短パンを履いた自分の後ろ姿でした。その向こうにはいろんな競技の子たちがいる。その前で手を広げて話している姿なんですよ。これは今の大学と全く同じシチュエーションで、20年後に本当にそうなっているんだから驚きます。その時は会社を辞めるつもりはなかったし、休部になるとも思っていません。今もゼミで学生に同じことをやらせますが、みんないろんな20年後の姿を描きます。頭では分かっていなくても心の羅針盤がそちらを示しているんでしょうね。私にしても、なるべくしてこうなったんだと思います。
──バスケ部のヘッドコーチだけでなく体育学部の講師としてのお仕事もあるんですよね?
あります。体育学部のバスケットを教える授業が2コマと、湘南キャンパスで11学部ある一般の学生にバスケットを教えて、ゼミが2つ。あとは競技スポーツ学科の授業が3つと、アスリート向けの講義もやっています。スポーツ教育センターの所長もやっていますし、体育学部の広報委員長もやっています。明日も明後日も朝から晩まで会議づくめです。
というわけでバスケ部の選手には私のスケジュールに合わせて朝から練習してもらっています。去年はユニバ代表の監督をやったので2月からの5カ月間、チームを離れたんです。みんな努力して頑張っているんだけど、情熱や粘りが少し抜けた部分がありました。今年は世代別の代表も全部降りたし、チームも若手が加わったのでガンガン熱量を上げてやっていくつもりです。
──東海大は「ディフェンスのチーム」と見なされていて、球際やリバウンドの強さが持ち味です。しかし、これはプロにも言えますが、コーチが「球際で強く行け!」と言えばできるものではありませんよね。実際に激しさをコート上で出すための秘訣はありますか?
秘訣かどうかは分かりませんが、ウチではコートでの練習以外のトレーニングを相当やっています。ウエイトトレーニング、ラントレーニング、それからバスケットなんです。だから身体が他の大学と違う。技術や戦術はもちろんですが、まずは身体。フィジカル、体力、走力、粘り強さ。そういうことを徹底しない限りは試合で強さが発揮できません。
そして考え方です。いろんな映画を見せたり良い言葉を伝えて考え方のトレーニングをするんです。今朝も彼らは3000メートルのランニングを2本走りました。しかも競争です。そこで私が「頑張れ」と言うことはありません。『運命』は命を運ぶと書きますが、誰が運ぶかと言えば自分だよと、そういう話をします。自分で行きたいところがあれば、自分で自分を連れていくしかない。キツい時にもう一歩頑張るしかないんです。頑張れば頑張っただけ近づくことができます。それを積み重ねて身体で覚えていくんです。本当に小さなことを積み重ねられるかどうかだから、指導者が「馬鹿野郎!」なんて怒鳴る必要は一切ありません。
一流の選手は「周りに良い影響を与えられる選手」
──そんな積み重ねを4年間やってきたのが、今の日本代表やBリーグで活躍する東海大OBの選手ですね。
まず仲間を思いやることができる、そして目指している目標に対して努力ができる、そういう選手が代表やBリーグで活躍できていると思います。
──今年は高校バスケの有望な選手が続々と東海大に入りました。Bリーグができた今、過去のように「バスケで就職する」選手がいなくなり、みんなプロ志望だと思いますが、スカウティングの際には何を重視していますか?
やはり土台となる人間力です。バスケが好きかどうか、夢があるかどうか。だから、そこの見極めはちゃんとしなきゃいけない。そうじゃない子がここに来てもしんどいだけですから。あとは練習や試合、コートから離れた時の態度は見てしまいます。東海大はみんな真面目に努力しています。今は東海大の練習が一番キツいと言われているらしいです。それを嫌がって来ない選手もいるかもしれませんが、逆に「それでも来たい」と言ってくれる選手が来てくれるのはうれしいですね。今2年の津屋一球なんかは中学生の時から東海大でやりたいと言っていたそうなので。
図々しい話なんですけど、日本を背負うような才能のある選手たちに東海大に来てほしいです。そういう選手を人間力、体力、フィジカルの面で鍛えなきゃいけない、という思いがあります。ここで土台を作り、ホップステップジャンプでその先で飛躍してほしいので。だから才能のある子には是非来てほしいんです。
──Bリーグが立ち上がったことで大学のバスケも変わりましたか?
今はBリーグができた影響で競争のレベルが上がって、層が厚くなって大学ごとのレベルの差もなくなってきました。大学バスケもNCAAのような戦国時代になっていますが、だから楽しいです。Bリーグのクラブもスクールで子供たちを育て始めていますし、今後はあっと驚くような選手が出て来るでしょうね。
その中で私は、心の山と技術の山を登るという原則を忘れずに指導していきたいです。プロになったところで、そういう土台がない限りはプロ選手を10年続けることはできません。やはり人間力なんです。一流の選手は何かと言えば、私は『周りに良い影響を与えられるかどうか』だと思います。自分のことだけをやっている選手は一流ではありません。だから、そういうことが分かる人になって、どこに行っても周囲に信頼されて可愛がられて、周りを良い方向に持っていけるポジティブな選手になってほしいです。
──これまで育てた選手で、周りを良くできる例を挙げていただけますか。
ザック(バランスキー)は1人で3人分の仕事をしていました。付属高校出身なんですが、彼を初めて見た時のことは今でも覚えています。スタートで出てベンチに下がった時に、代わって入った選手が脱いでいくジャージを彼が全部受け取ってベンチでたたんでいるんです。その姿勢を見て「すごい子だな」と。石崎(巧)も本当にクレバーな選手です。ディフェンスでは周りをよく見て助けているし、オフェンスではチームメートの持っている力を引き出すパスを出す。そう考えてプレーしていて驚きました。もう一人挙げると(田中)大貴ですね。もっともっと伸びてほしい。今シーズンは優勝してMVPも取りましたが、彼はもっとできます。海外でやってほしいと思うぐらいです。
「渡邊も塁も『東海大かアメリカか』で考えてくれた」
──少し失礼な質問かもしれませんが、今のバスケ少年は渡邊雄太選手や八村塁選手にあこがれて、「高校を卒業したらアメリカ」という進路を夢見ています。田中力選手は高校からアメリカです。大学バスケの名門である東海大が進路として選ばれないことに悔しさはありませんか?
全くないですね。渡邊も塁も田渡凌も角野亮伍も、みんな私は声を掛けてました。全員、最後は「東海大かアメリカか」で考えてくれました。私はみんなに「チャンスがあるならアメリカに行くべきだ」と言っています。でも、アメリカへの進学は学業の面も含めて分からないことが多い。アメリカに行かないのならウチに来てトレーニングして上を目指せばいいと、本人にも親御さんにも話してきました。
特に渡邊雄太の両親とは仲が良いんです。お母さんは私の同級生だし、お父さんは熊谷組のOBでよく飲みに行きます。だから彼のことも本気で考え、「アメリカに行く可能性が高いけど、ダメになったらウチに入れたい」と、ギリギリまで待つよう副学長に頼みました。結局アメリカに行くことが決まりましたが、「いいよいいよ、じゃあアメリカで頑張れ!」と。そこから彼は頑張って今のレベルまで来ました。雄太も塁もNBAに行けると思っています。
──卒業生がBリーグや日本代表で活躍する姿はご覧になっていますか?
なかなか見れません。まず授業があって、自分のクラブがあって、会議もあります。NBAの解説をやることもあるのでNBAを見て、ユーロバスケットも気になるところはチェックします。家でたまに試合を見ることはあるのですが、試合会場まで行って見るのはなかなか難しいですね。
──では、教え子たちの活躍を見るのはオリンピックで、ということになるかもしれませんね。
本当にそうです(笑)。次の予選のオーストラリアとチャイニーズ・タイペイに是非勝って、まずはワールドカップの切符を何とか手にしてほしいです。オリンピックが日本に来ることなんてなかなかない機会なので、その時は選手たちの活躍を見に行きたいです。当然バスケが中心ですけど、もともとオリンピックが大好きなところから始まっていますから、いろんなところでいろんな競技を見たいですね(笑)。