取材=丸山素行 構成=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

東芝、栃木ブレックス、三菱電機、そして千葉ジェッツ。実業団とプロクラブで2002年から16年のキャリアを築いた伊藤俊亮が現役を引退した。ラストゲームはBリーグファイナル。この試合に敗れ、『勝って引退』は逃したものの、「残念ですけど、しっかりみんなで戦えたことは自分の財産なので、また次のステージで頑張りたい」と、新たなステージへと目を向けた。今後は千葉ジェッツのフロントの一員として再スタートを切るという伊藤に、選手として最後の取材を実施した。

「高い年俸でメンターを引き受けるのは少し間違っている」

──長らくお疲れ様でした。まず聞きたいのは現役引退を決意した理由です。「この練習を今後も続けるのか、と考えてしまった」という話でしたが、それはいつのことですか?

今年に入ってすぐのことです。トレーニング、レスト、ゲームという作業が回らなくなったとすごく感じました。回復が追い付かなくなってきたんです。調整のためのトレーニングをすれば、ある程度は良くなるんですけど、別のところにダメージが出てしまって。トレーナーと相談しながら練習量を調整してやっていたのですが、なかなかパフォーマンスにつながらない、下がっていくのを止められなかったです。

──とはいえ、現役にこだわる気持ちがあれば続けることもできたはずです。

身体の衰えは自分が一番分かります。自分の思い描くプレーとかけ離れてしまっていたんです。だましだましプレーしていて、見ている方から「まだやれそうですね」と言われると「よし!」と思いますけど、大事なところで自分の思ったようなパフォーマンスが出せないのは結構つらいんです。安全運転をしている分には事故らないけど、スピードを出した時に事故を起こしかねない、という感覚です。車には乗れるし、誰かを乗せることはできるのですが、何かあった時に対処する能力はどんどん落ちていきます。やっぱり事故になるとチームに迷惑がかかりますから。

動けなくてもチームに残ってほしい、という提案もいただいていました。ジェッツとの3年契約の3年目は『金額面は相談』だったのですが、結果的に満額を提示いただいて「残ってほしい」と言われました。それだけチームに必要としてもらえるのはありがたいし、蹴る理由はないんです。サポートの仕事をメインにやることに、どこか選手としてのプライドが邪魔したところもあります。それに選手として残る限りはトレーニングや練習でのゲームで全力のパフォーマンスをすべきで、そこを流してやれたとしても、残るべきではないと思いました。

──若いチームを引っ張るベンチの求心力、いわゆるメンターには否定派ですか?

否定はしません。必要な概念だし、それで救われることもたくさんあります。ただ、個人的にはパフォーマンスを出せない選手が教育や指導をして、どれだけ言葉が響くかは疑問です。だからオファーをいただいても、引き受けるべきではないと判断しました。逆にすごく減額されて、この値段でやってくれと言われた場合には逆に考える余地があったのかもしれません。

高い年俸をいただいた上でメンターを引き受けるのは少し間違っているなと。若い選手からすれば「その仕事でそのお金をもらえるの?」って話にもなりますし。そんな選手の話を誰が聞くのか。そうならなくても自分が辛いですよ。そこはチームはすごく繊細な生き物なので。

特にウチのチームは互いのコミュニケーションを密に取って信頼関係を構築することで出来上がっているチームなので、一瞬で爆発的な力も出るし、一瞬で崩れてしまうこともあって、そこで自分がすごく不安定な要素になってしまうかもしれない。それだったら自分はもう別の形でサポートしたほうが絶対にチームのためになると考えました。

発信力を持つきっかけは自身が『プロ化』した栃木加入

──プレーヤーとして今シーズンはやりきった感がありましたか?

千葉に来てから後悔はほとんどないですね。ある程度の年齢になって「若い頃にこうしておけば良かった」というのは少なからずありますけど、それでも自分は好き勝手にやらせてもらったという印象です。千葉では最初の契約の時点で「日本人ビッグマンとしてちゃんと働いてもらわないと困る」という話をされていたので、その準備をしていました。結局、マイク(マイケル・パーカー)の加入でパワーバランスが変わり、プレータイムは減る一方でした。レギュレーションも帰化選手に有利で、そうなると厳しいポジションではありましたが、それ以前には日本人ビッグマンが優遇された時期もあったと思うので、仕方ないかなと。

それでうまく行かないのであれば、別のことでチームに貢献する方法を探さなければいけないとサポートする側に回ったのですが、それが功を奏したというか、自分としては結構合っている部分もありました。葛藤はもちろんありました。昨シーズンの序盤から中盤にかけてはかなり精神的に辛かったです。あまり表には出さなかったですけど、すごく葛藤は多かったです。

──プレー面での葛藤とは別軸でTwitterでの発信力がスポーツ界全体でも注目されるほど大きなものになりました。今の姿はある程度は予想できていたものですか?

いやいや、全然です(笑)。選手である以上は何かしら発信をしていかないといけないし、このご時世、SNSは一つのメディアになるとは思っていました。選手だからこそ発信できることはたくさんあります。ちゃんとやっていれば、ちゃんと見てもらえます。特に三浦くんと一緒にSNSでやり取りするようになってからはうまく運用できました。

──三浦一世さんは千葉の「イケメン広報」ですね。

彼が公式アカウントの愛されるキャラをしっかり作り上げながら自分も出して。チーム公式はどうしても叩かれるんです。うまく行っていない時や対応に問題があった時に、一番石を投げやすいのがチーム公式じゃないですか。その的になりながらも、自分の人間性を出して、途中からは顔も出してやっていました。あれをやっているのがこの人かと思えば、石を投げるのもためらうようになります。その役割を担ってくれて、僕らが言いにくいことを広報から言ってくれることもあります。そのやり取り自体がすごくバランスが良いと思います。

──選手とフロントはファンが思っているより距離があるというか、あまり接点がないものだと思いますが、選手がそこまでフロントのことを思うようになるきっかけはありましたか?

プロチームに入って自分がプロ化した時にすごく衝撃を受けたんです。栃木に加入した時、何もなくてびっくりしました。お金もないし練習施設もない。いろいろなものがない状況で、結果を出すためにすごく努力をしていました。クラブ事務所に全部が詰まっていて、倉庫なんかぐっちゃぐちゃです。そんな事務所の、スタッフが一生懸命働いている隣で、僕らは身体のケアをしてもらったりしていました。

毎日のように事務所に顔を出すことで互いの仕事が理解できるようになって、この人たちがチームを作ってくれているという気持ちが強くなり、その仕事を選手の言葉でちゃんと表に出していくことがチームをうまく回すのに必要な要素なんじゃないかと思って。それがきっかけです。

「自分のキャリアとか人生を楽しんでほしい」

──現役ラストゲームのファイナルに話を戻しますが、どんなゲームでしたか。

素晴らしい舞台を用意してもらえたのはありがたかったですが、それだけに負けて悔しい気持ちはありますね。何度か経験してますけど、決勝の舞台でチャンピオンをこちら側から見るというのは、何度やっても苦々しいものです。最後なので優勝できるに越したことはなかったんですけど、最後のブザーが鳴るまでみんなで戦えたのは一つ自分の財産だと思います。これから次のステージに人生を進めていく上で良い経験になりました。

──フロントになり営業をやるようですが、どんな仕事をイメージしていますか?

6月中に社長としっかりコミュニケーションを取りたいと思います。自分の目指すジェッツ像があるので、そこは社長と話をしていきたいです。ジェッツはまだ伸びしろのある、期待値の多いチームなので、運営側でしっかりと、またあの舞台に選手たちを連れて行けるようなサポートしていければと思います。

──チームに残る選手たちに何か託したいものはありますか?

言葉として何かを残すことはあまりしたくないし、何かを強いることもしたくないですけど、自分のキャリアとか人生を楽しんでほしいとまずは思います。どんな状況でも、どんな役割でも、そこに愛情とプライドを持って仕事ができるようなプレーヤーであってほしいと思っています。