「うち来る?」「うん、行く」でオーストラリア参戦
毎年2月に大阪で国際親善試合「大阪カップ」が開催されている。2011年に来日したオーストラリアの選手に誘われるまま、二つ返事でオーストラリアWNWBLに参戦することを網本麻里は決めた。オーストラリアのトップリーグであるNBL、その傘下の車椅子バスケットボールリーグ。2013シーズン、所属する『Stacks Goudkamp Bears』はファイナルで敗れたが、網本はプレーオフMVPを受賞した。
昨年はアジア・オセアニア予選に専念していたため、1シーズンぶりの参戦となる。今年は『MineCraft Queensland Comets』に所属。渡豪した翌日の6月17日に行われた開幕戦は、先発を務めてチームハイとなる20点をマーク。例年、4カ月間に渡って繰り広げられるWNWBLだが、パラリンピックを控える今シーズンはイレギュラーとなり、7月から2カ月間の短期決戦となる。
今年は網本の他に同じクラブ、カクテルの仲間であり、ともに日本代表としても活躍する吉田絵里架(持ち点1.0)と北田千尋(持ち点4.5)もWNWBLへ挑む。吉田は同じチーム、北田は『Be Active Western Stars』に所属。北田は近畿のメンバーで行ったオーストラリア・パース遠征で刺激を受け、すでにパースの男子リーグに参加。「うちに便乗して一緒に行く?」という網本の誘いに、吉田もまた二つ返事で参戦決定。なんとも軽いというか、決断が早い。
WNWBLはプロではない。遠征費はチーム負担となるが、練習場への交通費や生活費はすべて実費となる。現在、網本は企業に所属し、アスリート支援のような形で思う存分挑戦できる環境に感謝していた。
パラリンピック人気の裏で、車椅子使用を断られる現実
東京五輪が決まり、パラリンピックの盛り上がりとは裏腹に施設の理解はまだまだ足りない現状がある。網本自身は大阪を拠点に近畿地区では練習環境を確保できているが、全国に目を向けると普及や強化もままならない。
「カクテルは舞洲市にある障害者専用スポーツセンターで練習でき、私自身は良い環境が整っています。でも、地方に行くと1週間に1回練習できるかどうか。まず体育館が使えない。うちらもそのスポーツセンター以外はブレーキ痕が付くとか、傷が付くと言われ、ほとんど断られます」
断られなくても、「他のチームでは、車椅子バスケットをするのであれば何かシートのようなものを敷いてくれれば使っていいですよ、と言われた」そうであり、無理難題を強いられている。
「テレビでパラリンピックが取り上げられたり、障害者スポーツ選手がCMに出たりしていますが、環境面に関しては引き離されている現実があります」
このままではパラリンピックのブームも一過性に終わり、2020年が過ぎれば逆戻りしかねないことに危機感を抱く。オリンピック・パラリンピックと横並びで表記されるのだから、環境や設備も公平に扱い、競技者を増やすことで強化につなげていきたいところだ。
すべての財産を昇華させ、東京オリンピックで完全燃焼
オーストラリアに渡って自らを磨き、日本代表ではエースとしてチームを引っ張る。4年後の東京パラリンピックでは世界一になる目標に向かって、網本は走り始めた。
「パラリンピックに2大会出られていない中、世界一は難しいと周りからも言われます。でも、それは分かってることであり、その逆境というか、落ちてるところがないと這い上がる力も出ない。2大会出られていない日本が、世界一になったらメッチャかっこいいやん、そんな気持ちでやってやろうと思ってます」
東京オリンピックから先は何も考えていない。完全燃焼して終える決意だ。
「ロンドン予選で敗退した時と昨年のリオ予選敗退の感情は全然違う。過去3大会のアジア・オセアニア予選に出たけど、責任感と重大さも全然違って味わえました。それも、あの結果でなければ得られなかったことですし、ほんまにいろんな経験をさせてもらっており、すごい財産だと思っています。だからこそ、2020年はアジア・オセアニア予選で勝つことも大事だけど、そんな低いステージで行ったら、結局は結果もそこまでで終わってしまう。それはもう分かってること。東京パラリンピックは4年後だけど、3年で仕上げるくらいの感じでやっていきたい」
根っからポジティブで、インタビュー中も終始笑顔で前向きに答えていた網本。さらに輝くためにも、東京パリンピックまで突っ走るしかない。
「自分のバスケット人生として、一番良い形で終わりたい。この話をすると、『なんで辞めんの?』ってみんなにすっごい言われるけど、モチベーションとしても今はそこまでしか持っていけない。そこから先のことは全然考えてないし、心身ともにボロボロになるくらい、すり切れるまでそこにすべてを持って行きます」
1988年11月15日生まれ、大阪府出身。ポジションはフォワード。右足首の病気のため車椅子バスケに転向し、16歳で日本代表入り。2008年の北京パラリンピックでは7試合で133得点を挙げて得点王に輝いた。以後、日本代表のエースとして活躍している。
車椅子バスケ日本代表 網本麻里インタビュー
vol.1「世界との差を思い知らされたリオ予選」
vol.2「世界一を誓い合った清水合宿」
vol.3「海外挑戦と東京パラリンピックへの決意」