横浜ビー・コルセアーズの舵を取る尺野将太(前編)「僕個人が良い経験をする場、勉強をする場ではない」

2018/02/03
Bリーグ&国内
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文=丸山素行 写真=B.LEAGUE

Bリーグ元年、横浜ビー・コルセアーズのアシスタントコーチに就任した尺野将太は、前指揮官の体調不良によりシーズン途中からヘッドコーチに昇格。残留プレーオフを勝ち抜き、最終的にチームをB1残留へと導いた。迎えた2年目の今シーズン、再びアシスタントコーチからヘッドコーチに昇格するという数奇な体験をしている。またも残留争いに巻き込まれるシーズンとなったが、尺野は事の経緯を言い訳にしようとはしない。それが『代行監督』に第一に求められる資質なのだろう。今ある環境でベストのパフォーマンスを発揮し、チームとしての目標を達成するために、日々努力を怠らない『ビーコルの若き指揮官』に話を聞いた。

大学時代に「選手兼コーチ」としてコーチングをスタート

──まずは尺野さんが指導者を志したきっかけを教えてください。

僕は小学生の時に『SLAM DUNK』を見て、友達との遊びでバスケを始めて、大学までプレーヤーでした。ただ、トップレベルでのプレーヤー経験はありません。それでこうしてBリーグでコーチをしているのは珍しいですね。

大学4年生の時、チームに常駐のコーチがおらず、選手兼コーチになったのが指導者のきっかけです。コーチングには興味があり、大学生の頃から小中学生を教えていました。

その後、大学院に行って2年間は大学のバスケ部のコーチをやらせてもらい教員になりました。教員として5年間、高校生を教えていました。この時期に女子代表のテクニカルスタッフの方の手伝いで合宿に行ったりしていました。その後、前任の方が辞めるのと同時に、女子代表の専任テクニカルスタッフになり、女子代表の全カテゴリーを見ることになりました。専任になるタイミングで教員は辞職し、バスケのコーチ一本になりました。

2013年から2015年のリオ五輪予選のアジア選手権まで女子代表に携わり、その年の10月からWリーグのアイシン・エィ・ダブリュ ウィングスでテクニカルスタッフをやって、その後に横浜のアシスタントコーチに就任しました。

「僕がいい経験をする場でも、勉強する場でもない」

──テクニカルスタッフとアシスタントコーチは、似て非なるものですよね。

全然違いますね。僕にとっては、まず男子の世界が初めてでした。アシスタントコーチになって一番の違いは選手との距離感で、選手と直接コミュニケーションを取る機会が増えます。年上の選手もいますし、選手とコーチとしての関係を一から作るところで試行錯誤がありました。もともとコーチングをしたかったので、選手と直接いろいろな話をして、プレーのアドバイスができるポジションに就いたことはうれしかったです。

──Bリーグ開幕をビーコルのアシスタントコーチとして迎えましたが、昨シーズンの途中でヘッドコーチに昇格しました。当時はどういった状況だったのでしょうか?

シーズン終盤で順位も厳しいところにて、毎週試合が続くのでやるしかない状況でした。選手は選手でしっかり頑張っているのですが、なかなか結果が出なくて苦しんでいました。僕がそこで躊躇したり言い訳したりしても何も始まりません。だから、とにかく「やるしかない」と思いました。

──突然の人事で、ヘッドコーチの経験はもちろん、気持ちの準備もなかったと思います。

そうですね、準備期間はありませんでした。それでも横浜には経験のあるベテランがいたし、選手たちも「やるしかない」という思いでした。彼らは遠慮なく意見や考えを言ってきてくれたし、僕もそれが良いと思えば採用していました。勝つために今できる最善の方法をともに探していました。もちろん、最終的に判断するのは僕です。選手の意見を採用せず、僕が「いや、これでやる」と決めたこともありました。途中からヘッドコーチになったので、良い意味でお互いを頼りながら、とにかく勝つために一番良い方法を探りました。

──結果的に残留プレーオフを勝ち抜きB1残留を決めました。尺野さん個人としては、あらゆる意味でステップアップの1年となったのではないでしょうか?

B1でヘッドコーチができるのは18人しかいません。何年もアシスタントコーチで頑張っている方もいる中で、僕はいきなりアシスタントコーチ1年目でその機会が回ってきたので、ただやるしかないと思っていました。選手の生活もかかっているし、責任が伴います。僕個人が良い経験をする場、勉強する場ではありません。「良い経験になりました」で済むポジションではないのですが、それでも個人としてはとても良い勉強をさせてもらいました。