【ウインターカップ】高校3年間で誰よりも伸びた八村阿蓮の成長物語「塁にやっと一歩近づけた」

2017/12/30
プレーヤー
1015

文=小永吉陽子 写真=日本バスケットボール協会、鈴木栄一

様々な困難と課題を乗り越えてつかんだ日本一

「八村だから背番号8。阿蓮が塁の8番を引き継ぐんだ!」

明成(宮城)の佐藤久夫コーチはそう言って、2年次から八村兄弟の弟、阿蓮に背番号8のユニフォームを渡した。今大会、背番号8を身にまとってゴールに向かう姿は、兄である八村塁を見ているかのようだった。両手を伸ばして高い位置で取るリバウンド、一歩の幅が大きい豪快なドライブイン、身体をぶつけてゴールに行く力強さ。それでいてフィニッシュは柔らかく丁寧という柔軟性も兄に似てきた。

決勝では32得点14リバウンドをマークし、準々決勝の広島皆実(広島)戦では44得点を叩き出した。平均27.2得点は大会得点王。リバウンドでも平均13.4本で大会2位になった。そんな大車輪の活躍を見せたエースは、優勝が決まると涙があふれて止まらなかった。

日本一にたどり着くまでには様々なことがあった。昨年のウインターカップは初戦敗退。今夏のインターハイでは走力と機動力で準優勝まで駆け上がったが、福岡大学附属大濠(福岡)との決勝ではゾーンディフェンスの前に足が止まり、受け身になって1点差で敗れた。劣勢になってからのゲームの組み立て方と、相手を恐れずに逃げないこと。この両面での課題に取り組んできた日々だった。

また、今大会の八村はアクシデントを抱えながら戦っていた。大会に乗り込もうとした矢先の12月20日に右膝が痛み出したのだ。膝に溜まった水を抜き、高橋陽介アスレティックトレーナーの適切な処置によってプレーをすることはできたが、大会序盤からフルスロットルというわけにはいかなかった。そうしたやや硬く、慎重なゲームの入り方が、洛南(京都)戦で前半4ファウルというピンチを招いてしまった。

それでもチーム全員で八村をフォローしてピンチを切り抜き、八村自身もあと1回のファウルを犯さないように踏みとどまり、リバウンドとディフェンスに力を注ぐ責任を果たした。こうしたピンチを乗り切りながら、お互いを信じあったことが優勝へと結びついたのだ。

「ウインターカップでは力を出し切ることをテーマにしていて、みんなが自分の責任を果たせました。特に先生からは気持ちのことを言われていて、強気でやれたから優勝できたのだと思います。勝てて本当にうれしかったです」

八村のプレーの広がりが『戦い上手』のバスケに

明成はウインターカップ5回の優勝を誇る高校バスケ界の強豪だが、常にエリート選手が集まってくるわけではない。有望選手をリクルートするケースもあるが、どちらかといえば自ら門を叩いて入学する選手が多い。今年の3年生たちも、特別に能力の高い選手はいなかった。特に3年生は八村を筆頭に気持ちの優しい選手が揃っていたことから、チーム作りには時間がかかった。

そんな心優しき選手たちが、このウインターカップでは、試合ごとに、『こんなこともできる』、『あんなこともできる』と様々なバリエーションで得点を取るようになり、ゲーム展開に関しては発見の連続だった。大濠との決勝前半は、駆け引きができるようになったからこその大量リードだった。八村は梅丘中時代のチームメートである200cmの井上宗一郎とマッチアップし、いつものインサイドではなく、アウトサイドのプレーからゲームに入っている。

10月の国体あたりから八村は留学生とマッチアップした時には、外に誘い出して3ポイントシュートを打つようになっていた。今回の決勝も初得点は八村の3ポイント。「決勝では最初から外に出てスリーを打とうと決めていました。中も外もできれば守りにくくなると思ったからです。あのスリーが入ったのは大きかったし、波に乗れました」と振り返る。八村を軸として、臨機応変に中と外の連携を作ったことで、明成は多彩なバスケットを見せつけた。さらに、得意の速攻で終盤に突き放している。こうした駆け引きができるようになったのも、センターの八村がシュートエリアを広げたことが要因だ。そんな選手たちを佐藤コーチは「戦い上手になったな」と目を細めて見つめていた。

「高校生は化けられる、阿蓮はもっと伸びる」

エースとしてフル回転し、駆け引きもできるようになった八村だが、兄を追って高校に入学した当時はここまで成長することは想像できなかった。成長の要因は『心技体』で鍛えられたことにある。

技術では、ポストでの面の取り方やステップの踏み方、様々なシュートバリエーションなど、センターとしての基本技術を教わって得点力を身につけた。こうした技術を叩きこまれたのは兄の塁も同様で、決して素材だけで育ったわけではない。兄はこう言った。「明成は厳しいけれど、一つひとつの基本から教わることができる。自分もそうだったから阿蓮も絶対にうまくなれる」。弟はその言葉を信じて毎日の練習に取り組んできたのだ。

体力の面では、優勝したこの代は、ウインターカップ3連覇を達成した世代と同じくらいに追い込んで体作りや走力トレーニングをしてきた。バスケ部のトレーニングを指導している高橋アスレティックトレーナーは証言する。

「高校3年生のこの時期でいえば、身体のバランスの良さや強さは塁より阿蓮のほうが上です。最初のほうは自覚がなくてトレーニングをやらされていましたが、身体が強くなって当たり負けしなくなったことでトレーニングの効果を知り、バスケットの楽しさを覚え、自信がついていったのです」

「阿蓮は心の成長に伴ってバスケットが上達した選手」

佐藤コーチは心の成長についてこのように語る。「阿蓮は『僕もやれるんだ』という内面にある心の成長に伴って、バスケットが上達した選手。『高校生は化ける』の良い例でしょう。八村阿蓮という『個性』が出てきたので、これからもっと伸びていくと思います」

心技体の進化を遂げて、真のエースになった八村阿蓮。ようやく欲が出てきて、将来は「苦しくても走って、リバウンドやブロックに跳び続けて、3番、4番のプレーができる選手になる」と誓いを立てる。「塁には、やっと一歩近づいたぞと言いたい」という言葉で締めくくり、急成長を遂げた阿蓮の高校3年間は終わるが、成長の階段を駆け上がるバスケットボール人生は、まだまだこれからだ。