「東海大」と言えば陸川章コーチ率いる関東大学バスケの強豪チーム。今回、福岡県の女子2位としてウインターカップに出場する東海大学付属福岡は、その14ある付属高校の一つ。精華女子が頭一つ抜けるが他にも強豪がひしめく福岡を勝ち抜いた。チームを率いるのは宮﨑優介監督。「新人戦から負け続けたチームですが、何度も立ち上がることができたのは夢があったからです」と語る若きコーチに、初の全国大会に挑む意気込みを聞いた。
「埃だらけの体育館、雑巾掛けからのスタート」
──まずは宮崎先生の自己紹介からお願いします。
小学校4年の時に地元の津屋崎小でバスケを始め、津屋崎中、九産大九州高校に進みました。その後は専門学校に2年間行ったのですが、教職をどうしても取りたくて九州産業大に入り、社会科の教員免許を取りました。ただ、プレーヤーとしてやっていたのは高校まで。九産大九州高校では阿部友和(富山グラウジーズ)先輩の2つ下でした。
私たちの代は県ベスト8で終わってしまい、自分の中でやり残したこともたくさんありました。プレーヤーとしてもあったんですが、指導の道に進むことにしました。それで専門学校に通いながら地元の中学校に外部コーチとして5年間携わり、それで東海でお世話になることになって今が8年目になります。
前監督の飯田良輔先生が熊本に移動された後は休部状態だった女子バスケット部を復活させたい思いを校長先生から聞かせていただきました。初年度は部員2人に、私と一緒に入ってきた子が2人の4人しかおらず、どうにか5人揃えて地区大会1回戦負けからのスタートです。最初はこの体育館をどこのクラブも使っていない状態で、埃だらけの体育館で2人だけがシュートを打っていました。だから雑巾掛けからのスタートでしたね。
2年目からこの宗像の地元の子が中心に集まってくれて、12名の小さなクラブとしてやってきました。そこから5年後に広島インターハイに行き、そして愛知インターハイに行くことができました。飯田先生の頃にもインターハイには出場していますし、伝統あるチームなんですけど、飯田先生からは「俺は離れたんだから、ゼロから好きなようにチームを作りなさい」と言っていただいたことが後押しになりました。
──ここに来たのは24歳の時で実績もありませんでした。何か心掛けたことはありますか?
当時は選手との年齢も近かったので、一匹オオカミでやってもダメ、背中で感じてもらおうと思いました。子供だけでなく保護者も輪になって、一丸となったところから結果に繋がっていったんだと思います。
「選手の熱い思いから刺激をもらっています」
──2度のインターハイで全国のレベルを体験する中で、どんなことを学びましたか?
初めてのインターハイでは2回戦でオコエ桃仁花選手のいる明星学園と対戦し、すごく熱い戦いができたことで満足して、大会を楽しんで帰って来ました。でも2回目のインターハイでは、1回戦で名古屋女子大と、2回戦で東京成徳と対戦したのですが、福岡県を突破するためにごまかしながらチームを作っていた部分が全く通用しなかったという正直な思いがありました。だから今回は東京成徳さんの時の敗戦を思い出し、また精華女子さんにも1年かけて勝てなかったところをもう一度見直して、ごまかすことなく通用するバスケットを準備したいと思っています。
──全国大会の常連と自分たちでは、具体的にどんな差があるのでしょうか。
技術的な部分はあまり差がないと思っています。強いチームを見ていても、スムーズに行っていなかったりミスが多かったりする中で、チーム力とか組織力で勝っていると感じます。自分たちのバスケットが自然にできるように、これまでとは違うスタイルも必要なのかなと。
この間は選手たちにNBAの映像を見せたんです。ステフィン・カリーのウォリアーズと、ジョン・ストックトンとカール・マローン。どちらを目指すべきかと問いかけると、選手たちは口を揃えて「ストックトンとマローン」と言うんですね。阿吽の呼吸で質の高いバスケットを目指そうと思います。
話が戻りますが、今のチームは新人戦は地区大会の5位通過、県大会でも上位2つに入れませんでした。そうやって負け続ける中で、自分たちを見直してコミュニケーション能力が成長したのは大きかったですね。
──社会科の先生だとうかがいました。毎日どんなスケジュールで働いているんですか?
今日も日本史の授業をやってきました。教材研究が毎日1時間か2時間、それが学校の空き時間でやれるんですけど、バスケットの準備となるとプライベートの時間はほとんどありません。朝は6時に起きて、7時には学校にいます。7時20分から生活態度とかが悪い生徒を呼んで課題をやらせたりする指導をしています。そこから授業をやって、夕方から部活。練習は19時半には終わるのですが、20時15分までは体育館が使えるので、フリー練習に付き合います。
──プライベートを犠牲にしてでもやれるのは、やはりモチベーションがバスケットボールにあるからでしょうか?
それはありますが、自分だけが熱くても続いていないと思います。選手も熱い思いを持っていて、そこから刺激をもらっています。負け続けていても彼女たちには夢があって、だから何度も立ち上がって一歩ずつ進んでウインターカップ出場という結果をつかむことができました。福岡県での優勝、全国ベスト8。これは歴代の卒業生たちも思い描いていた夢です。
「宗像の中学生や小学生にエネルギーを与えたい」
──宮﨑監督もまだ若いですから、毎日が学びと成長だと思います。誰かお手本になる指導者はいますか?
福岡県には素晴らしいチームがたくさんあり、それを作った指導者がいます。そんな環境で戦うためにはどんな準備が必要なのかと選手たちと一緒に考えていく中で、選手も私もいろんなことを吸収して成長しています。昨年から国体のアシスタントをさせていただいています。去年は池田先生(池田憲二、福岡大学附属若葉)、今年は大上先生(大上晴司、精華女子)と一緒にやらせていただいて、学ぶことがたくさんありました。
もう一つ、ウチのチームのお手本になっているのは熊本の鶴屋百貨店さん。鹿毛美智子監督にお世話になっていて、熊本で合宿しながら練習試合や合同練習をさせていただいています。選手たちが求めるバスケットの質を考えた場合、すごくプラスな時間になりますから、どんどん足を運びます。
逆に私が国体に行っている間、アシスタントも仕事の関係でなかなか来られず、特に夏休みはほとんど選手たちだけで練習をやっていました。その分、自主性も伸びてコミュニケーション能力も高まったと思います。
──いよいよウインターカップですが、選手たちの思いや夢とは別に、宮﨑監督個人としてこの大会に懸ける思いはどんなものですか?
福岡県のバスケはこの宗像で始まったという話をよく聞きます。ミニバスも福岡で最初の優勝チームは吉武小学校だそうです。ただ、その宗像地区が今どうかと言えば、低迷しています。大学では石橋千宣先生の福岡教育大が昨年のインカレに出ましたから、高校でも私たちが頑張って、宗像の中学生や小学生にエネルギーを与えられて、地域の人たちにもっともっとバスケに触れてもらえたらと思います。
──では、ウインターカップでどんなバスケットを見せたいかを教えてください。
真摯に40分間ボールと向き合っていく姿勢を選手たちはコート上で表現しますので、そこを見ていただければと思います。光り輝くものを表現できるチームではありませんが、泥臭くプレーする中でもバスケットの面白さ、ひたむきさを感じてもらえるんじゃないかと思います。