
山際爽吾は高校バスケ界きっての名門、福岡大学附属大濠に進学するが最高学年になっても満足のいくプレータイムを獲得できず、チームもウインターカップで3回戦敗退と、目標としていた優勝も手にすることができなかった。多くの選手が関東圏の大学へ進む中、関西の大学に進んだことでプレータイムを獲得。4回生時に特別指定選手として加わった岩手ビッグブルズではB3と翌シーズンにB2を経験し、今シーズンにBプレミアの東京サンロッカーズへ移籍を果たした。着実に階段を登る彼にこれまでのキャリアを振り返ってもらった。
夢から目標に変わった日本代表入り
──まずは福岡大学附属大濠での自身のキャリアと、関西の大学に進んだ時の心境について振り返っていただけますか?
高校時代は率直に悔しい思い出しかありません。チームの目標だったウインターカップ優勝も叶わず、個人としてもなかなか試合に出られず、とにかく悔しい思いしかありません。試合に出たい気持ちが強かったので進学した関西学院大で、先発起用していただいたことはありがたかったですし、プレータイムがあることはとてもうれしかったです。主力として活躍したことで、次は『関東の大学を倒したい』という気持ちが強くなりました。
──『関東の大学を倒したい』という気持ちから『プロを目指す』という気持ちに切り替わったきっかけの出来事はありますか?
1回生の時にインカレで青山学院大を倒したことが大きなきっかけだと思います。インカレ後に3×3のU23日本代表に呼んでいただいて、そこで通用するモノを感じてプロに挑戦したいという思いが強くなりました。高校の時からチャレンジャー精神を持っていて、常に『まだ』という感覚が自分の中にあったんです。何か結果を残しても『まだ足りない。さらに良くなるためにはどうしたら良いか?』という考えがあり、グッドよりベター、ベターよりもベストを目指した結果です。
──そして4回生の時に岩手ビッグブルズから特別指定選手のオファーをもらいました。
まずプロチームに入れたことが率直にうれしかったです。水野(哲志)社長をはじめとした方々が評価してくれたので、今度はチームの一員として結果を出すことが大事だと思いました。加入直後の試合は大変でしたが、いろいろな人に支えられたことで結果を出すことができたと思います。若くしてB2昇格に貢献できたことは素晴らしい機会でした。
──昨シーズンの舞台となったB2ではチームは思うような成績を残せませんでした(16勝44敗、東地区5位)。
ケガ人も続いて思い通りにいかなかったシーズンで、ポイントガードとしてもチームを勝利に導けなかった悔しさが残りました。ですが、個人的にはB2のレベルでも通用することを実感できてすごくポジティブにとらえていました。日本代表を目指すのも夢ではないなと。
──現在の目標は日本代表入りということですね。
昔だったら日本代表になることは考えていませんでしたが、シーズンが進むにつれてB2のアシストランキングで自分の名前が入るようになってきて、日本代表入りを目指す意識が芽生え始めました。周りからも「お前なら目指せるかもしれない」と言ってもらえることが多くなり、夢から目標へと変わって、どんどんその気持ちが強くなり、今では聞かれたらすぐパッと答えられるぐらい気持ちを固めています。目標を達成するためにも最高峰のレベルでプレーすることが、自分にとっても大事なことだと思うようにもなりました。
──そのためにも新たな挑戦の場として東京SRを選びました。
ゼネラルマネージャーの松岡亮太さんや、アシスタントGMの堀健太郎さんが自分を推薦してくれたこと。そして、日本代表を経験した多くの選手が在籍する東京サンロッカーズでプレーすることで、レベルの高さや、代表入りする選手とはどういう人たちなのかということを間近で学べると思い、入団を決めました。
──同期のジャン・ローレンス・ハーパージュニア選手と同じチームになりましたね。
高校では彼が福岡第一でトップ選手として活躍し、僕は大濠でその活躍をベンチから眺めていたのを思い出します。彼はその後、名門の東海大に進み最短距離でトップカテゴリーへ。かたや僕は関西の大学からB3、B2と本当に一歩ずつ這い上がってきたイメージなのですが、今こうして同じチームにいることは不思議な気持ちです。やっと肩を並べることができたという気持ちもありますが、彼は日本代表にも選ばれ、世代を代表するポイントガードなので、頼もしいチームメートでありながら超えなくちゃいけないライバルだと思っています。