
平出剛は横浜アリーナで行われた『Bリーグファイナル2025-25』を最後に、トップリーグレフェリーとしての人生に終止符を打った。Bリーグの10年間だけでなくそれ以前に存在したプロバスケットボールリーグのbjリーグでも活躍し、現役を続けながらも後進の育成にも注力した彼にこれまでのレフェリー人生と、レフェリーとして大切にしていたことについて語ってもらった。
「栃木の平出です!」と顔を売りに行っていました(笑)
──まずは現役生活、お疲れ様でした。数日間過ごしてみていかがでしょうか?
終わっちゃったんだな、というのが本音ですね。私は今年で55歳になり、S級審判ライセンスの定年を迎えました。Bプレミアで笛を吹くことは叶いませんでしたが、最後はファイナルの場に立つこともできましたし、レフェリー生活をやりきれたので悔いは残っていません。
──現役最後の試合としてファイナルのジャッジを担当されたわけですが、お気持ちはいかがでしょうか?
Bリーグを担当している審判の全員があの場所を目指してレフェリングを続けていると思います。私自身も「あそこに立ちたい」という思いでやってきて、昨年も立たせてもらいましたが、大勢のお客さんの中で審判を担当できる喜びを今年はすごく感じましたね。
──ここからは平出さんのレフェリー人生を振り返らせていただきます。レフェリーを目指すようになったのはいつ頃でしょうか?
高校までプレーヤーをしていて、ウインターカップの前身である選抜大会出場をかけた試合で5ファウルで失格・退場になった悔しい気持ちが一番の要因としてありましたね。大学に進学してプレーヤーを続ける道もあったのですが、高校卒業後は就職の道を選び、国体選手にも選んでいただき、高校最後の試合をきっかけに審判にも魅力を感じていたのでそちらに比重を置いて活動するようになりました。若いなりに「これからの選手のためにも良い審判になろう」と思っていたことを覚えていますね。
──良いレフェリーを目指すために、技術をどのように習得していったのでしょうか?
私の場合は県内の活動からブロックの活動、時には大学生の試合などと幅を少しずつ広げて活動していましたが、注力したのは他の審判の方々に顔を知ってもらうことでした。私は栃木県の所属だったのですが、代々木第二体育館で大学生の試合があれば、そこには(当時の最上位ライセンスの)AA級審判の方がいっぱいいらっしゃるので「栃木の平出です!」と顔を売りに行っていましたね(笑)。顔が知られると非公式の試合で「見てあげるから吹いてみなよ」と言われるようになったり、アドバイスをいただいたりすることも増えました。経験値を増やす良い機会を自ら取りに行っていました。
──レフェリーはライセンス制ですね。ランクを上げていく過程はどのような仕組みになっているのでしょうか?
当時と今とで制度はほとんど変わっていないと思いますが、昇格講習会などを受けながらE級からS級まで一つずつランクを上げていく作業になります。私がA級の取得を目指した時は所属する都道府県の審判長や上位インストラクター2〜3名の推薦をもらわなくてはいけなかったので、誰でも受けられるという世界ではありませんでした(現在も都道府県からの推薦が必須)。推薦をもらって終わりではなく、1次審査、2次審査と突破しなくてはいけない関門は数多くあり、S級を取得するまでは長い道のりが続きます。

bjリーグからBリーグへ
──平出さんはbjリーグでのレフェリー経験もお持ちですね。
当時はバスケットボールやレフェリーから少し離れていた時でした。仕事の環境を変えるために栃木から東京に出てきて少し経ったころ、妻から「少しバスケをやってきたら?」と言われて近所のクラブチームに遊びに行って、時々試合で笛を吹いたりしながら、ゆるく楽しんでいた時にbjリーグの存在を知りました。
当時はNBLとbjリーグの2つのリーグが存在していたのですが、憧れていた先輩の審判の方々がbjリーグで活躍をされていることを知ったんです。調べてみるとbjリーグはトライアウトに合格すれば審判として活動ができ、その憧れの先輩たちと同じコートに立てることがわかって、トライしようと思ったことがきっかけでした。
──bjリーグでの経験は以降のレフェリングに生かされましたか?
bjリーグは外国籍選手が多かった関係でダイナミックさに違いがあって、判定の仕方やゲームの進め方は今に繋がっていると思います。また、bjリーグは独自のルールがあったり、当時はまだ現在ほど一般的でなかった3人制審判を敷いていたので、3人制の動き方、分担の方法といったところを先に学べたことは大きかったですね。
──その経験を経てBリーグがスタートしました。当時はbjリーグよりもNBLのほうが実力が高いとされていましたが、審判として違いを感じたことはありますか?
シーホース三河と川崎ブレイブサンダースの試合を吹く機会があり、金丸晃輔選手や辻直人選手のアップでのシューティングを観察していたのですが、試合になったらシュートモーションがアップの時と比にならないくらい速くて『これがトップレベルの選手なんだ』と思い知らされましたね。
──試合のアップ中も選手を観察しているんですね。
そうですね。特に年度が変わった時には新しい外国籍選手やこれまでプレーをあまり見たことがない選手を中心に観察しますね。特にシューターならジャンプシュートのタイミングやシュートフォームなど特徴をつかむようにしています。こういったことをする必要性も後輩にも伝えていて「アップ中に俺の近くに立っている必要はないからね」といつも言っていました。
──ジャッジをする上で大切にしていることはありますか?
審判を目指すきっかけの一つとして、『見えていないものを見えないところから吹く』ことをなくしていきたいというのは常に自分の中にありました。
──レフェリーの死角で起きたプレーに対して、経験や憶測でファウルをコールしないということですね。
はい。「そんなこと言ってるけど、お前も全然見えないところからしょっちゅう吹いてるじゃないか」と思われる方もいらっしゃると思います。確かにそういったジャッジをしてしまうこともあって、私が実際に吹いてしまった映像を見ると自己嫌悪に陥るくらい本当に自分に腹が立つんですよね。『もしかしたら合っているかもしれない』という経験値が上回って吹いてしまうことは、選手のためにもならないですし、自分のためにもならない。それをしないように心がけていました。
──レフェリーは毎節、クルー(メンバー)が変わります。試合の前後でみなさんはどのように連携しているのでしょうか?
試合前は前日に現地に入ったタイミングで集まり、前節の振り返りや、担当する試合のチームの映像を一緒に見ることもあります。セットプレーの確認や試合終盤で起こりうるシチュエーションについて話したりもします。試合後はクルーチーフレポートをレフェリーが所属するJBA(日本バスケットボール協会)の審判グループに提出し、テクニカルファウルやアンスポーツマンライクファウル、イレギュラーな事案の情報共有をします。映像をクリッピングして送ることもありますね。JBAがその中から一部抜粋したものをトップリーグ担当審判員全体やトップリーグのクラブにフィードバックしてくれるので、それを確認し、次の試合に繋げていくという繰り返しですね。
──毎節クルーが変わる中で大切にしていることはありますか?
自分自身は下級生からスタートしてbjリーグも経験しました。ベテランと一緒にレフェリングする難しさは肌で感じてきていたので、私と組むクルーには制限をかけないようにしています。ビデオ判定の処置の方法やルールの適用といった最低限審判として決められている行動以外は、自分がファウルだと思ったらしっかりと笛を吹いて、思い切りやりなさいと伝えています。