安藤香織

年末のウインターカップで、大阪薫英女学院は準決勝で京都精華学園を、決勝で桜花学園を破るという見事な形で優勝し、全国初制覇を果たした。薫英を率いて11年目の安藤香織コーチは、その反響の大きさに驚きつつ、自分のやってきたことへの自信を深めて、2026年のチャレンジに向かおうとしている。ウインターカップを終えた翌日にもう新チームで練習試合を行い、大阪に戻ってようやく一息ついたタイミングで、ウインターカップ優勝の実感と2026年への抱負を語ってもらった。

2026年のインターハイは大阪開催「思いに応えたい」

──ウインターカップ優勝おめでとうございます。目標の全国制覇を実際に果たして、想像と一番違ったのは何でしたか?

一番はメディアやSNSで薫英がこれだけたくさん露出することですね。本当にたくさんの方々に祝福していただいて、びっくりしましたし、ありがたい気持ちです。

──これまでも毎年、良いチームを作ってウインターカップに臨んできました。今年のチームに今までと違う何かはありましたか。

いつもは「ちょっと不安なポジション」がやっぱりあったのですが、今年はそれが埋まりました。去年は的場梨緒のところで得点は取れますがディフェンスとリバウンドが弱く、そこを埋めるために細澤幸生を入れていました。そうなると3番の得点が足りないので、後から出てくる岩井萌が点を取る。それでもゾーンを張られた時に的場も細澤も攻略ができない不安がありました。

今年は1年生の大槻佳子が出てきて、細澤を4番に降ろして、いろいろ解消されたところで原乙羽の台頭がありました。原が3番になってスタメンの不安定さが解消され、幡出麗実、松本璃音、大槻の3ポイントシュートが武器になって、杉山ももを含めた3ポイントシュートで得点できる自信は今まで以上にありました。

あとはやっぱり三輪美良々が強みなのですが、今まではファウルトラブルが苦しかったところで、三輪がいない時間帯も今井優蕾がしっかり繋げる。むしろ京都精華戦では三輪がいない時の方がバランスが良くなって突き放すことができました。

そういう意味で、ここまでポジションバランスの不安がなかったことはありません。あとは6試合を今までは5人とか6人で戦わなければいけなかったのが、今年は10人ぐらいはしっかり使える計算が立ちました。それはU18日清食品ブロックリーグのおかげですね。使える人数が多く、いろんなタイプのチームに対応できたのは今までにはない強みでした。

──6試合をケガなく戦えたのも大きかったですね。ケガ対策は例年と同じでしたか。

同じですね。ウチは主力がケガで抜けるのが少ないと思います。今年もインターハイでの幡出の捻挫と細澤のぎっくり腰ぐらい。大阪の予選、ブロックリーグ、ウインターカップ本番と続く中で、とにかくケガしないようにはずっと言い続けています。ケガで終わるのは本当にかわいそうなので。

ウチは私が大学も見るので、どうやっても高校に一日中張り付くことができません。高校生を半日一生懸命やったら、残りは大学生を一生懸命やるので、選手からしたら私がいない時間が長いんです。その間に自主練をしたりビデオミーティングをしたりケアをしたり。私は2チームを見てヘトヘトなんですけど、選手たちは短い時間を有効活用しているのも上手く働いたのかと思います。

安藤香織

「ノーマークで一発勝負を勝ち上がっていくのが得意」

──「ブロックリーグのおかげ」という言葉がありましたが、9月の時点でキャプテンの幡出選手をはじめ選手たちはトップリーグに出られないことに相当悔しさを感じていました。トップリーグではなくブロックリーグに回ったことはどう受け止めていましたか。

トップリーグへの出場はポイント制で、近畿ブロック大会で優勝したらある程度は確定するのですが、優勝できなかった時点でポイントはゼロで、インターハイではベスト4ぐらいに入る必要があります。選手や保護者は「京都精華に競ってたのに、なんで?」みたいな気持ちだったと思いますが、私は仕組みが分かっていたので納得していました。

選手たちはトップリーグの華々しい舞台に出て、脚光を浴びることがうらやましいみたいですね。幡出なんかは目立ちたがり屋なので(笑)。他の子たちも、このウインターカップの試合後の取材ではだいたい幡出と三輪が呼ばれて、「また私らとちゃうかったな」なんて悔しがっていたところがありました。やっぱり選手たちは同世代の子たちが注目されることに悔しい思いがあって、それを溜めて力に変えていたと思います。

──安藤コーチはトップリーグに出られない悔しさはそれほど感じていませんでしたか。

私は目立つのが好きじゃないし、そっとしておいてほしいタイプです(笑)。トップリーグではレベルの高い試合をたくさんやれますが、やっぱり勝ちたいので全部をさらけ出すことになります。私たちは準優勝した2018年もそうですけど、ノーマークで一発勝負のトーナメントを勝ち上がっていくのが得意というか、10回やって1回しか勝てない1回目をそこに持ってくるにはデータがない方が良いと思っています。

今年のチームも春には岐阜女子に勝っていて、近畿ブロック大会では京都精華学園と競ったし、インターハイも細澤のぎっくり腰がなければ桜花学園に勝てたんちゃうかと思ってるし、どこが抜けているわけでもない今年の混戦状態の中で、ウチも決して弱くない。ブロックリーグで戦力も揃ってきて、最後のウインターカップでしたたかに勝つには、注目されない方が良いと思っていました。逆に選手たちはトップリーグに出場できないことをエネルギーに変えていた。その両方が上手く噛み合ったところはあるかもしれません。

──安藤コーチは以前に「日本一を目指してやってはいますが、絶対に日本一にならないといけないわけじゃない気もします。限りなく日本一を目指して、その上でどこまで成長できるか」と話していました。日本一になっても、この考えは変わりませんか。

それは変わらないと思います。松本が「来年は2連覇で」と言っていましたが、選手はそれでいいんです。私は来年になってもやることは今までと一緒で、勝っても勝っていなくても変わらず日本一を目指します。

いろんなことが上手く運ぶ時もあるし、でもやっぱりケガがあったり、審判の笛もあるし、留学生にやられるかもしれないし3ポイントシュートの当たる当たらないもあって、勝つ時もあるし勝てない時もある。だからあまり変わることはなく、でもただ一つ変わるとすれば「いろんなことが上手く運べば日本一になれる」という話を加えられることですよね。

今までは日本一になったことがないので、自分たちの壁を越え続けることで日本一があると話してきましたが、これからは「これをちゃんとやれば日本一になれる」という確信を持って選手たちに伝えることができます。それ以外はいつも通りです。

安藤香織

「高校3年間を一生懸命頑張った自分に自信を持って」

──薫英で11年、その前に指導してきた選手たちも含めて多くの卒業生がいます。「限りなく日本一を目指して、その上でどこまで成長できるか」という点での成果について、どのような手応えを持っていますか。

ウチはスペシャルな選手で勝ってるわけではないので、ここからWリーグに行って活躍できるかと言えば、そんなに簡単ではないと思います。だからWに行くことが決まった子には「バスケで生活できるほど幸せなことないよ」と伝えています。今は大学だとラストシーズンを迎える熊谷のどかや仲江穂果、高校だと三輪にはWリーグで活躍してほしい、将来は日の丸を背負ってくれたらと思います。

ただ、それも一つの成果かもしれませんが、豊島の時からみんなバスケが大好きで私のところに来て、3年間で変わらずバスケが大好きなまま、次のところでもバスケを続けるんですよ。それは私の中では手応えの一つになっています。また選手の実力は様々なんですけど、行った先々でキャプテンになったり、活躍はしていなくても先生方から「やっぱり薫英の子は人間的に素晴らしい」と言ってもらうことが多いです。

私と出会ってくれた子供たちが、それぞれの場所で、理不尽なこともあるでしょうけど、そこで一生懸命やっていて、今も薫英を応援してくれるのは本当にうれしいです。しょっちゅう会いに来てくれるし、今回も日本一になってお祝いのメッセージがたくさん来て「自分たちも誇らしいです」と言ってくれるのはすごい財産だと感じます。

──優勝していろんな人からメッセージが殺到して、その中にはかつての教え子からもたくさんあったと思います。最大で未読は何件になりましたか?

350件ぐらいですね(笑)。「返信は不要です」と書いてあっても返したいので、時間を見付けては返信して、大阪に帰る新幹線で寝ることもなく(笑)。

1月3日にいつもOG会をやるのですが、そこは薫英だけじゃなく豊島の子も来ます。就職して、ママになって子供を連れてきたり、体育館2面に溢れるぐらいの子が集まって「先生に教えてもらって良かった」と言ってくれます。ウチにはスペシャルな子はそんなにいないんですけど、高校3年間を一生懸命頑張った自分に自信を持って、みんな幸せに暮らしているのが、自分のやってきたことに対する最大の手応えですね。

安藤香織

「負けたらごめんなさい、次また頑張ります(笑)」

──安藤コーチは亡くなられた長渡俊一コーチから薫英を任され、名門だけに薫英出身ではない安藤コーチが率いる大変さもあったと思います。アシスタントコーチとして一緒にチームを見ている長渡コーチの奥さん、由子さんのサポートもすごく大きかったのでは?

由子さんがいなかったら、このクオリティで部活は全然やれていません。その由子さんが優勝してもチームの記念写真に入ってくれないんですよ。その時になるとどっかに消えちゃうんです(笑)。最後の『ラストミーティング』の撮影で「この1回だけ」とお願いして、ようやく入ってもらいました。

私が薫英に来た時は寮もあまり機能していなかったのですが、それを由子さんが自分の負担が5倍ぐらいになるのを承知で変えてくれました。由子さんは学園の経理課で働いておられるので、自分の仕事もあるんですよね。寮全般はすべて、電車やホテルの手配、お金の精算などは由子さんがすべてやってくれて、私は学校の仕事と高校と大学の指導に集中させてもらっています。私にとって今回の優勝のMVPは由子さんです。

──年末年始でゆっくりできるのはほんの少しで、すぐに新チームが始動します。2026年は大阪インターハイの年です。地元大会で勝つことの意義をどのように考えていますか。

2006年と2009年のインターハイが大阪開催で、2006年は豊島高校に来たばかりの頃で、本部でいろいろな仕事をやっていました。2009年は近畿大会にチームが出たぐらいの時期で、私は戦評の仕事を担当しながら、練習会場で準優勝した時の東京成徳大を見て「すごいなあ」みたいな感じで、大会を作り上げていく高体連の一人としてインターハイに参加していました。

2026年の大阪インターハイでは立場も変わって、常任委員と技術委員となり、協会の仕事もあるので、大会が準備されていくのが今まで以上に見えるようになっています。運営のいろんな立場でインターハイに参加させてもらう中で、いろんな先生方が大変な思いをしてその舞台を作っているのが分かります。いろんなところで「頑張って」、「勝ってね」という激励をいただき、プレッシャーを掛けられますが、その思いに応えたいという気持ちはやっぱり大きいです。

大阪インターハイで優勝できたら、こんなに最高なことはないと思うのですが、でも今回と同じようにいろんなことが上手く運ばないと勝てないので「負けたらごめんなさい、次また頑張ります」という気持ちです(笑)。でも、やっぱりひときわ気合いは入ります。今回優勝できて、その下級生が残っています。こんなチャンスはそうあるものではないので、またみんなで頑張って優勝を狙います。